フレンチウイスキーの新星【前半/全2回】
文:マリー=エブ・ベンヌ
フランス人が誰よりも得意なこと。そのひとつはスピリッツの蒸溜だ。極上のアルマニャックやコニャックで知られるフランスが、今度はウイスキー市場へと参入してきている。
だが、この事実は驚くべきことでもない。そもそもフランスは世界有数のスコッチウイスキー消費国であり、知識豊富なウイスキーファンがたくさん住んでいる。だからリトマス試験紙のように消費者の反応を測るため、あらゆるウイスキーブランドが頼りにしているテスト市場でもあるのだ。
世界中のウイスキーファンにとって、スコットランドは依然として品質における基準を提供してくれる特別な場所だ。だがその一方で、ウイスキーファンの中にも地元産の製品を好意的に受け取るトレンドが生まれている。そのような流れを背景にして生まれた新カテゴリーが、国際市場にも定着しつつある。フレンチウイスキーもそのひとつだ。
国内に80軒以上の蒸溜所を擁するフランスは、間違いなくひとつのスタイルを確立しつつある。新興地域のウイスキー生産において、リーダー的な生産地ブランドになっていくことは間違いないだろう。
ウイスキーづくりの本質に立ち返ってみれば、このような近未来のシナリオには高い信憑性がある。ウイスキーとは何か、ウイスキーづくりに求められる条件は何かと思い返せば、フランスがウイスキー生産国に相応しい資質を十分に備えていることがわかるはずだ。
まずは原材料から見てみよう。ウイスキーの主原料といえば、大麦を筆頭とする穀物だ。フランスはEUを代表する大麦モルトの生産国であり、世界トップクラスの輸出国でもある。フランスの大麦は生産量において欧州最大であり、モルトウイスキーの生産に必要な大麦をもっとも潤沢に確保できる国である。
穀物の次は、オーク樽について考えてみよう。フレンチウイスキーの中には、アメリカンバーボンのように 新樽で熟成されるウイスキーもある。またスコッチウイスキーでは慣例となっている使用済み樽での熟成もおこなわれている。この使用済み樽とは、他のワインやスピリッツの熟成に使用された樽のことだ。
新樽にしても、使用済み樽にしても、フランスで樽不足のような状況に陥ることはありえない。フランスの樽製造業界は、地元で育ったオーク材から新樽を製造する設備が十分に整っている。さらにはブルゴーニュやボルドーなどのワイン生産地、そしてコニャックやアルマニャックなどのブランデー生産地から高品質な使用済み樽を簡単に調達できる。
ウイスキーづくりの準備は整っていた
フランスのウイスキー業界が恵まれている理由はまだ他にもある。それはワインやスピリッツを生産してきたノウハウが豊富なことだ。ウイスキーの生産に必要となるスキルは、すでにフランス国内で網羅されているといえるだろう。
貯蔵庫における樽熟成や、そこで熟成された原酒のブレンディングはお手の物だ。蒸溜時には繊細な還流を促したり、連続蒸溜で純度を上げたりする知見にも事欠かない。蒸溜酒製造に関しては、経験不足という状況がほとんどないのである。
スピリッツの世界で、すでにある程度の知名度を獲得しているブランドのひとつがシャトー・デュ・ブルイユだ。ノルマンディーのブルイユ・アン・オージュ村にあり、高品質なカルバドスと「ラムエクスプローラー」のシリーズで広く知られている。
今年のはじめ、シャトー・デュ・ブルイユの商品カタログには新しい酒類のスピリッツが公式に加わった。他でもないウイスキーである。それもただのウイスキーではない。ノルマンディーで生まれ、ノルマンディーで育まれたシングルモルトのシリーズとして発売されることになったのだ。
このシングルモルトウイスキーを発売にまで漕ぎ着けた功績の多くは、オーナーのフレデリック・デュサールにある。IT業界で成功を収めたフレデリックは、シャトー・デュ・ブルイユと出会った瞬間から大いなる将来性を見出し、2020年4月にシャトーを買収した。
「数年前からワインへの投資は始めていたんです。会社が売りに出されていることを知ったとき、ほとんど自動的に興味を惹かれました。事業に投資すれば、まだまだ成長する可能性を感じたんです。会社の経営は思わしくなく、利益を生み出していないことがわかりました。でもその事業自体の開発が、まだ不十分ではないかと思えたのです」
フレデリックによる買収後、シャトー・デュ・ブルイユの生産力は増強された。だがことウイスキーの生産に関していえば、それは特に自分の手柄とは言えないとフレデリックが謙遜する。
「最初にウイスキーづくりを思いついたのは、セラーマスターのフィリップ・エティニャールです。あれは2017年のことでした。フィリップが個人的にウイスキーづくりの工程に興味を持っていたので、最初は面白半分に話し合っていました。でもそのうち、蒸溜器はすでにあるものを使えばいいじゃないかと真剣に考え始めたんです。その当時も、蒸溜器はカルバドスを生産する4か月間しか使用していませんでしたから。ウイスキーづくりは、そんな軽い感じで始まりました」
(つづく)