ブレンデッドウイスキーの原酒として重宝されるには、明確な個性を持ったモルトウイスキーでなければならない。インチガワー蒸溜所のウイスキーづくりは、スコッチ業界の奥深さを学べる好例だ。

文:ガヴィン・スミス

 

インチガワーのモルトウイスキーは、現在どのような方針で生産されているのだろうか。ディアジオのスコッチウイスキー部門で、シニアグローバルブランドアンバサダーを務めるユアン・ガンに話を聞いた。

「インチガワーのモルト原酒に求めているのは、オイリーな感触を伴ったナッツ香です。このナッツ香を手に入れるため、あえて時間をかけないスピーディーな生産方針を貫いています」

まずマッシュタンでは、透明度の低い濁ったワートをつくる。濾過も手早く進めることで、固形物の多くも次の工程へ持ち越せる方針だ。

発酵時間は短いパターンと長いパターンがあり、短いパターンは39時間。これは一般的な蒸溜所の発酵時間よりもかなり短い。この短い発酵時間が、シリアルやナッツの香りを押し出し、スパイシーな酒質をもたらすのだとユアン・ガンは説明する。

「つまり、エステル香を強めるような時間をかけたやり方とは完全に一線を画しています。初溜でも、このシリアルを思わせるオイリーな香りが持ち越されます。蒸溜は強火で迅速におこない、なるべく銅との接触を減らすように意識しています。銅との接触が少ないと、より重厚でヘビーな香味成分が維持できますから。銅との接触を減らすということは、つまりスチル内部での蒸気の還流を減らすということです」

華やかな香りのエステルは、アルコールと酸性分子の相互作用によって生じる。これはスピリッツのフルーティな酒質を強める働きがあることで知られている。エステル香を増やすために発酵時間を長くすると、バナナ、洋ナシ、リンゴなどの香味が増えてくる。しかしインチガワーのスピリッツは、このようなフルーティな香味要素を必要としていない。蒸溜中の還流も減らすことによって、さらにエステルの増加を抑えているのだ。

エステルの増加を防ぐため、蒸溜のミドルカット(ハート)は度数70%からスタートして、度数55%になるまで続けられる。これは蒸溜の後半に現れるヘビーな香味成分をなるべく確保するための方針だ。スチル上部のラインアームも、急激に蒸気を下降させる構造となっており、ヘビーな香味成分を集めやすい設計にこだわっている。

 

塩気を含んだ香味の秘密

 

ウイスキーの酒質やスタイルを表現するとき、インチガワーに添えられる言葉が「ソルティ」(塩気)だ。これは海沿いにある他のウイスキー蒸溜所とも共通している。プルトニーや、ディアジオ所有のオーバンなどもあてはまるだろう。だがユアン・ガンいわく、この塩気は物理的な塩分とは異なるものなのだという。

「味覚で感知できるほどの塩化ナトリウムは、スピリッツの中に存在しません。つまりインチガワーには、化学的な『塩気』がある訳ではないのです。おそらく、非常に強いスパイス香とヘビーなナッツ香によって感じる刺激が「塩気」と感知されるのでしょう。このスパイス香も、生産工程のどこで生じるのを特定できるものではなく、科学的というよりは官能レベルでの評価です」

つまりインチガワーの塩気は、フレーバー要素の相互作用によるものであり、明確に出自を説明できるものではない。インチガワーで蒸溜されたスピリッツは、蒸溜所内で熟成されものもあれば、別の場所で熟成されるものもある。海沿いで熟成されたから、塩気があるという単純な話ではないというのがユアン・ガンの説明だ。

ブレンデッドウイスキーに欠かせないインチガワーのモルト原酒も、シングルモルトウイスキーとして発売されることがある。重厚でナッツ香に富んだ味わいは、熟成を重ねるほどに美しく仕上がる。

同じように「塩気」のあるウイスキーであるオーバンについても、ユアン・ガンは独自の見解を示している。

「生産工程を科学的な視点から見てみても、オーバンとインチガワーはかなり異なったアプローチでスピリッツを生産しています。オーバンの発酵時間は長く、フローラルで、甘みが強いのが特徴。オレンジピールのオイリーな感じがあり、そのような柑橘系の風味がオーバンの個性です」

このように異なった酒質のウイスキーを、ディアジオは実際どのように活用しているのだろうか。ユアン・ガンがその詳細の一部を明かしてくれる。

「インチガワーは、かなりの品目のブレンデッドウイスキーに使用しています。代表的なのは、ベルズとJ&B。インチガワーの原酒は、リッチで、フルボディで、ナッツ香の強いフレーバーを加えてくれます。ブレンドするとボディに厚みが増し、他のフレーバーをまろやかにまとめてくれる働きもあります。口当たりの良さで、大きな貢献があるのです。『ジョニーウォーカー ゴースト・アンド・レア グレンユーリーロイヤル』では、長期熟成原酒がとても重要な役割を担いました。ディアジオのブレンダーは、インチガワーの素晴らしさをみな驚きとともに称賛しています」

2017年以来、インチガワーは週に5日の稼働ペースを守っている。年間の生産量(純アルコール換算)は、210万Lだ。これを年中無休のフル稼働に変えると、年間310万Lにまで生産量を増やせるのだという。蒸溜所での工程はすべて自動化されており、必要とあればシフトあたり1名のオペレーターがすべてのウイスキー生産工程を管理できる。

蒸溜されたニューメイクスピリッツは、タンクローリー車に入れられて樽詰めの場所に運ばれていく。使用する樽は、主にリフィルのバーボン樽だ。樽詰めはスコットランドのセントラルベルト内でおこなわれるが、かなりの量が蒸溜所に戻されて敷地内の貯蔵庫で熟成される。

このインチガワーの貯蔵庫では、他のディアジオ傘下の蒸溜所で蒸溜されたスピリッツも熟成されている。インチガワーの貯蔵庫はダンネージ式とラック式の両方があり、最大で約65,000本の樽を収容できる。現在、ここで熟成中の原酒は約61,000本だ。

ご想像のとおり、シングルモルトとしてのインチガワーは入手が難しい。オフィシャル品としてハウススタイルを表現したウイスキーといえば、「インチガワー 14年」(花と動物シリーズ)が代表作となる。他にも独立系ボトラーがインチガワーのシングルモルト商品を販売しており、ブティックウイスキー(14年)やシグナトリー(12年)でその個性的な味わいを体験できる。

今年になって、ザ・スコッチモルトウイスキー・ソサエティも13年熟成のボトル(No. 18:33)をリリースした。これはライウイスキー樽で2年間の後熟を施した珍しいモルトウイスキーだ。またディアジオは、2018年のスペシャルリリースの一部として、素晴らしい27年熟成のインチガワーも発売している。

普段は「縁の下の力持ち」「馬車馬」などと語られる無名なウイスキーでも、宝石のような輝きを放つシングルモルトとして真価を発揮することがある。運良く希少なウイスキーを味わえた人は、インチガワーの底力に感銘を受けることだろう。