クライヌリッシュ蒸溜所の現在を知るには、まず過去を振り返らなければならない。ジョニーウォーカー最北のキーモルトをめぐる2回シリーズ。

文:ガヴィン・スミス

 

クライヌリッシュ蒸溜所のエントランスに近づくと、等身大のフィギュアがお出迎えする。ジョニーウォーカーのシンボル「ストライディング・マン」(歩く人)だ。 滑らかなハチミツ色のジャケット、シルクハット、 乗馬靴に身を包んだその出で立ちは、ワックスのような口当たりやハチミツの風味に富んだシングルモルトウイスキー「クライヌリッシュ」の特性を象徴している。

クライヌリッシュの酒質と表すキーワードは、「ワックス」と「ハチミツ」。ストライディング・マンの衣装がそれを表現している。

ストライディング・マンだけでなく、すぐそばにはスコットランドに棲む山猫の等身大フィギュアもある。クライヌリッシュ蒸溜所を創設したサザーランドの氏族が、山猫を家紋としていたのである。今でも山猫はクライヌリッシュの蒸溜所やウイスキーを象徴する動物だ。

クライヌリッシュは1819年に設立された。設立者である第2代スタッフォード侯爵は、1833年にサザーランド公爵となった人物。結婚相手はサザーランド伯爵夫人(未亡人)のエリザベスだった。蒸溜所を建設したのは、所有するサザーランド・エステートの借地人が育てた穀物を無駄なく使用するためだった。

クライヌリッシュ蒸溜所は、サザーランドの海辺の町ブローラから北に1.6kmほど離れた場所にある。インヴァネスからは北東に100kmほどの距離で、交通量の多い国道A9号線にも近い。この国道は「ノースコースト500」と喧伝され、インヴァネスからたくさんの物資や人を運んでくる。
 

2つの蒸溜所の物語

 
クライヌリッシュを紹介するとき、どうしても2つの蒸溜所の物語になってしまうのは避けられない。なぜなら、もともとのクライヌリッシュ蒸溜所が、ブローラ蒸溜所に改名されることになるからだ。新しい姉妹蒸溜所として建設された現在のクライヌリッシュ蒸溜所は、元祖クライヌリッシュの創設からほぼ1世紀半も経った1967年より操業している。

元祖クライヌリッシュ蒸溜所の目的は、地元産の大麦を利用してウイスキーをつくることだった。それに対して、近所に建てられた新しい蒸溜所は規模も大型化している。第2次世界大戦後のスコッチウイスキーブームに対応するために建設されたからだ。

ビジターツアーで使用されるモダンなクライヌリッシュのバー。蒸溜所には、隣のブローラ蒸溜所にも関連する複雑な歴史がある。

1960年代に高まったスコッチウイスキーへの需要(特に米国から)は、スコッチ業界全体の供給力を上回りそうな勢いだった。そこで業界をあげて、蒸溜所の拡張、再建、新設が各地でおこなわれることになった。現在のクライヌリッシュ蒸溜所が建設されたのは、そんな時期であった。

蒸溜所の新設が決まるまでに、クライヌリッシュはディスティラーズ・カンパニー・リミテッド(DCL)に買収されて長い年月が経っていた。DCLは傘下の蒸溜所は大半が生産拡大計画を進めている最中で、個性的なガラス張りのスチルハウス(蒸溜棟)をトレードマークにしていた。アバフェルディ、クライゲラキ、グレンオード、ロイヤルブラックラ、カリラなど、当時に建設された施設の多くでガラス張りの蒸溜棟が今も残っている。

新しいクライヌリッシュ蒸溜所もまた、そのように近代的なスタイルで建設されることになった。元祖クライヌリッシュ蒸溜所は石造りで古めかしいパゴダを戴き、2基のポットスチルを擁するのみ。それとは対照的に、新クライヌリッシュ蒸溜所はモダンな配管と6基のスチルを備えていた。

この新しい蒸溜所は「クライヌリッシュA」と名付けられ、古い蒸溜所は「クライヌリッシュB」と呼ばれることになった。だがB蒸溜所は1968年8月より生産を休止し、その翌年にブローラ蒸溜所と改称。そして1983年に閉鎖されるまで稼働した。そのブローラは、今年5月に38年ぶりの復活を果たしている。

新しいクライヌリッシュ蒸溜所のスピリッツは、その多くが現在のオーナーであるディアジオ保有のブレンデッドウイスキーに使用されることになった。だがディアジオは、2002年にシングルモルトのクライヌリッシュ14年を発売し、さらにバリエーションとなる他のシングルモルト商品も後に続いた。
(つづく)