周囲の豊かな自然環境を活かし、サステナブルな手法でシングルモルトウイスキーを生産。北欧フィンランドのテーレンペリ蒸溜所を訪ねる2回シリーズ。

文:ティス・クラバースティン

 

「この蒸溜所の責任者を紹介していただけませんか?」

それは1990年代後半のことだった。ほとんど無計画にエディンバラを訪れたアンシ・ピューシンは、タクシーに乗ってグレンキンチー蒸溜所に向かった。すでにビール醸造所とレストランを経営していたピューシンは、故郷フィンランドのラハティにウイスキー蒸溜所を建設しようと計画中だった。

シニア・ウイスキー・アンバサダーのユッシ・オイナス(左)とCEO兼オーナーのアンシ・ピューシン(右)。テーレンペリは典型的なベンチャービジネスから大きく成長を遂げている。

その少し前の1995年に、フィンランドの酒税法が改正された。それまで国家独占だったアルコール生産の規制が解除され、民間資本でもウイスキーがつくれるようになった。そんな事例の先駆けになりたいと考えたピューシンの計画を実現するには、外部の専門家にも協力を仰がなければならない。そこでピューシンは、グレンキンチーの蒸溜所ツアーに参加し、ガイドに声をかけて蒸溜所長に会わせてもらえないかと掛け合ったのだ。行きあたりばったりの行動だったが、今思えばこれがすべての始まりだった。

ピューシンは、いつも必要なものを自発的な行動で手に入れてきた。フルーツが大好きだったので10歳から地元のイチゴ畑で働き、カニを売って稼いだお金で初めての自転車を買った。その自転車に乗りながら庭師の仕事をこなし、次から次へとさまざまな職を経験してきた。

ロシアとの国境近くで育ったピューシンは、交換留学生としてロサンゼルスに渡り、短期間だがオーストラリアでも働いた。その後、フィンランドのコトカにある海軍士官学校を卒業して商船隊に入隊。だがある嵐の夜に、海上で一大決心をした。商船隊はやめて、人生を完全に方向転換しよう。そんな運命の夜を乗り越え、やがてピューシンはフィンランドのホスピタリティ業界で頭角を現す。フィンランド全土でレストランやバーを開店し、醸造所や蒸溜所の運営にも着手し始めたのだ。

2002年9月23日、ついにテーレンペリ蒸溜所で初めてスピリッツが蒸溜された。グレンキンチーへの訪問がきっかけとなり、ピューシンは元グレンオード蒸溜所長のウィリアム・マイクルを紹介してもらった。それ以降、マイクルはテーレンペリ蒸溜所の計画や建設に深く関わることになった。

「ウィリー(マイクル)を通じて、スコッチウイスキー業界に大勢の知り合いができました。彼は素晴らしいネットワークを持っていたんです。それで結局は蒸溜所を買うことに決めました」
 

地下室の小さな蒸溜所からスタート

 
蒸溜所の設備は、スペイサイドに本社を置くフォーサイス社が納入した。ピューシンからの依頼について、フォーサイスは「非常に驚くべき注文で、これほど小さな蒸溜所は初めてだった」という感想を述べている。ただ小さいだけでなく、ラハティにあるピューシンのレストラン「タイヴァンラーンタ」の地下室に建設するというロケーションも異例だった。

かつては酒造が国有化されていたフィンランドで、規制緩和の象徴となったテーレンペリ。現在もビールとウイスキーで糖化工程の設備を共有している。

限られたスペースだったが、かつては駐車場だった場所が魅力的な空間に生まれ変わった。この小さな蒸溜所は、現在もスタッフのトレーニングに使用されているという。フォーサイス製の銅製スピリットスチルは容量900リットル。他のすべての設備も、低い天井高にあわせた特注の仕様だ。

蒸溜所が完成し、最初のニューメイクスピリッツが流れ出した。それはお祭り騒ぎのように楽しい時間だったが、ピューシンは決して先を急がなかった。今できるのは、スピリッツが熟成するのを待つこと。ひたすら待ちの姿勢を貫いたのだ。

だがピューシンは、出来上がるウイスキーについて楽観視していなかったのだと明かす。ウィリアム・マイクルの知識は、大きな蒸溜所での経験に基づくものが中心。ここまで小規模な蒸溜所は、マイクルにとっても初めての体験だったからだ。

「ウィリーはとても頼りになる存在でしたが、テーレンペリ設立当初は毎日現場で蒸溜所を監督はできませんでした。そして私たちの生産規模は、本当に小さなものだったのです。でも3年間熟成させ、出来上がったウイスキーを試飲したとき、心が解き放たれるような気分になりました。これでよかったんだ、本当に自分でもウイスキーがつくれるんだ、そう思えた瞬間です。それまでの投資が無駄ではなかったと安堵しました」
 

緑豊かなロケーションで事業を拡大

 
ラハティは、ヘルシンキから北へ電車で1時間ほどの場所にある。東ベルリンを彷彿とさせるような古い建物もあるが、森のただ中に築かれたような街並みは美しい。まさに緑豊かな街と呼ぶのにふさわしく、市内の74%が森林地で、さらに11%が水で覆われている。

創業から20年が経ち、原酒のバリエーションも増えてきた。フィンランドらしいサステナブルな方針もウイスキーファンに注目されている。

先駆的な環境保護活動の実績が認められたラハティは、2021年の「欧州グリーン首都」にも選ばれている。家庭の二酸化炭素排出量を削減するプロジェクトが実施され、自治体の積極的な情報収集によって持続可能なライフスタイルをサポートしている。わずか3年後(2025年)にはカーボンニュートラルを達成し、2050年までに廃棄物ゼロの循環型経済を実現しようと取り組んでいる。

やがてシングルモルト「テーレンペリ」の人気が高まると、ラハティの中心部にある小さな蒸溜所の生産力では需要に対応できなくなった。新しい施設を設計する際に、重視されたのはもちろんサステナブルな価値観だ。旧蒸溜所からわずか8分の場所に、驚くほど緑豊かな工業地帯がある。ここに新しいテーレンペリ蒸溜所と醸造所が建設され、2015年に竣工した。

新蒸留所には、旧蒸溜所とまったく同型の小さなレプリカ蒸溜器2基が設置され、大型のウォッシュスチル1基も新調された。生産能力は従来の実質4倍にまで拡大され、年産16万リットルという規模になった。糖化の設備はウイスキーとビールの共用だ。蒸溜所のシニア・ウイスキー・アンバサダーを務めるユッシ・オイナスは、次のように説明してくれた。

「でもマッシュタンは、もともとビール用の澄んだ麦汁をつくるための設計なんです。だから元の蒸溜所と同じように、濁った麦汁をつくるためには糖化のプロセスを急がなければなりません」
(つづく)