トーモア蒸溜所の新時代【前半/全2回】
文:フェリーペ・シュリーバーク
数ヶ月前のことだ。雨がふる午後にトーモア蒸溜所を訪ねると、事務所は何やら騒がしかった。蒸溜所長のポリー・ローガンとアシスタントマネージャーのサム・ダグラスが、サンプルの原酒を樽から移動させるのに便利な小型の携帯ポンプを探しまわっていた。ポンプを見つけたローガンは言う。
「この道具が何と呼ばれているのか知らないので、僕らは『ウイスキーちゅうちゅう』って呼んでいるんだ」
ダグラスが笑う。
「グーグルで調べても、この道具の正式な名前はわからないからね」
ローガンとダグラスが、ペルノ・リカールからトーモア蒸溜所の鍵を受け取ったのは今年1月のこと。蒸溜所の新しいオーナーとなったエリクサーディスティラーズは、数年前にオンラインショップの大手であるザ・ウイスキー・エクスチェンジをペルノ・リカールに売却している。
エリクサーディスティラーズのオーナーであるスキンダー・シンとラジ・シンの兄弟は、人気の小売業を捨ててまでウイスキーづくりに専心することにしたのだ。そんな背景もあって、新しいトーモア蒸溜所のチームは士気が高い。
トーモア蒸溜所が、注目されるのには訳がある。蒸溜所の竣工は1960年で、20世紀になってからスコットランドで新設されたモルトウイスキー蒸溜所の第1号という歴史もある。さらには60〜70年代にかけて建設された当時最新の生産施設をいちはやく取り入れた蒸溜所でもある。機能的なブルータリズム建築様式を採用した同世代の蒸溜所とは一線を画し、荘厳で風変わりな生産拠点として有名だった。
このユニークな外観を見た後なら、蒸溜所の創設にいわくつきのアメリカ人たちが関与していた歴史にも合点がいくだろう。この蒸溜所を建設したのはシェンレー社。ルイス・ローゼンスティール会長率いる大手酒類メーカーだ。
当時のシェンレー社は飲料業界の巨頭であり、ローゼンスティール会長はさまざまな裏社会の大物たちと交流があった。伝説のマイヤー・ランスキーや、アル・カポネの盟友だったジョセフ・フスコ。ギャング界や組織犯罪の関係者たちとも密接な関係を築き、禁酒法時代に暗躍したことで勢力を拡大したのがルイス・ローゼンスティールとシェンレー社なのである。
戦後のシェンリー社は、グラスゴーのストラスクライド蒸溜所(グレーンウイスキー)、ピーターヘッドのグレンアギー蒸溜所(モルトウイスキー)、ブレンデッドスコッチウイスキーのブランド「ロングジョン」を所有するロンドンのシーガーエバンス社などを1956年に買収した。シェンリー社は、瞬く間にスコッチウイスキーの大手企業となったのである。
やがてシェンリー社の傘下になったシーガーエバンスが、プリマスジンを買収し、キンクレイス製麦工場を創設し、トーモア蒸溜所を建設した。最終的にはラフロイグ蒸溜所も傘下に収め、アバディーンのブレンダーであるゴードングラハム社(当時はブラックボトルの親会社)やスタンレー・ホルト&サン社も買収している。
不思議がいっぱいの蒸溜所設計
そんな背景もあって、トーモア蒸溜所にも惜しみなく資金が投入された贅沢ぶりが垣間見えるのだ。アールデコ様式を取り入れた巨大な蒸溜所の建築には、宮殿と発電所が一体化したような異様さがある。蒸溜所敷地内にある世界でおそらく唯一の(そして一度も使われたことのない)カーリング池、鐘、蒸溜器などの形をした大きな植木、銅製の屋根などはほとんど奇景といっていいだろう(ローガンはクリスマスプレゼントに黄金の植木鋏を受け取った)。
大きな鐘を備えた高い時計台は、年中無休で15分ごとに4曲のスコットランドの伝統曲を鳴らす。何十年にもわたって、蒸溜所のスタッフはこの音がうるさいので鳴らないように細工しておいたという。スティルルームに隣接するラウンジを兼ねたエントランスルームには、2脚の立派な革張りのアームチェアと手彫りの木製の天井がある。
エリクサーディスティラーズが蒸溜所を運営することになり、引き継ぎ担当のエンジニアを務めたのはアンディ・キャメロンだ。偶然にも、キャメロンはカーリングの選手だという。地方大会の優勝体験もある腕前で、カーリング池を眺めながらしみじみと語った。
「外から見るだけで満足ですね。こんなアイデアを思いついた人に会ってみたいです。まったくクレイジーな発想ですよ。なぜこんなものを作ったのか、想像もできません。トーモア蒸溜所は『チャーリーとチョコレート工場』みたいな場所。どこかに小さなボタンがあって、それを押すとクレイジーなことが起こりそうなムードがあるんです」
生産設備のレイアウトも、控えめにいって奇天烈だ。2005年にペルノ・リカールが蒸溜所を引き継ぐまでに何度もオーナーが変わったが、その過程で長期間にわたる無計画な生産量の拡大があった。エリクサーディスティラーズが蒸溜所を引き継いだときには、まず無数の排水管がどこを通っているのか把握するために業者を雇う必要があったという。
蒸溜所内の3部屋に、発酵槽11槽が散らばっている。糖化棟と蒸溜器に隣接した場所に4槽。ボイラーハウスの階上に4槽。そして騒々しい時計塔の中にも細長い発酵槽が3槽ある。つまり場所によって微気候が異なるので、一貫した発酵条件を保つためには特別な工夫をしなければならない。
(つづく)