手づくりやテロワールにこだわり、世界のウイスキーシーンに多大な影響を与えてきた2つの蒸溜所。キルホーマン蒸溜所のピーター・ウィルズが、秩父蒸溜所の肥土伊知郎を訪ねた。

対談:肥土伊知郎(秩父蒸溜所)+ ピーター・ウィルズ(キルホーマン蒸溜所)
構成:WMJ

 
 
 

アイラから秩父へ

 
肥土伊知郎
ようこそ秩父蒸溜所までお越しくださいました。私がキルホーマン蒸溜所を訪問したのは、創業直後の2005年です。当時の設備や機能の配置もまだよく憶えていますよ。

ピーター・ウィルズ
日本には何度も来ていますが、いつもイベントで慌ただしくなりがちでした。実はこれまで日本の生産現場を訪ねる機会が一度もなかったんです。最初に見学できる日本の蒸溜所が、私も父も大好きな秩父蒸溜所であることを幸運に感じます。

キルホーマン蒸溜所のピーター・ウィルズが、初めて秩父蒸溜所を訪ねる。山々に囲まれた秩父の美しい自然環境に魅了された。

肥土伊知郎
お父様のアントニー・ウィルズさんは、11年前に秩父までいらっしゃいました。当時はお互いにまだ創業から数年後という新興の蒸溜所で、いろんなことを熱く語り合いました

ピーター・ウィルズ
日本とアイラの風土はかなり異なりますが、秩父とキルホーマンのウイスキーづくりには共通点がたくさんあります。そして秩父は本当に周囲の自然が美しいですね。いつもこんなに天気が良いのですか?

肥土伊知郎
秋から冬にかけては、今日のような晴れの日が多くなります。でも日本には梅雨があるし、夏はアイラよりもずっと暑くて、台風やゲリラ豪雨などもあります。秩父は寒暖の差が激しいので熟成が速く、いわゆる天使の分け前はスコットランドの2倍くらいでしょうか。それでも山の天然水が豊富なのは利点ですね。

ピーター・ウィルズ
アイラは雨は多いのに、水不足の土地なんです。夏の渇水期には、水が手に入らないために休業する蒸溜所もあるほどです。キルホーマンでは、近くにダムをつくって水不足を回避しました。そんな風土の難しさに直面した父は、「アイラで124年も新しい蒸溜所が建てられなかった理由がわかったよ」と言っていました。
 

大きく変わったウイスキー界

 
肥土伊知郎
キルホーマン蒸溜所の設立は2005年でしたが、秩父蒸溜所も同じ頃に設立を決意して2007年に完成しました。まだ本格的なウイスキーブームの前で、日本でもスコットランドでも新しい蒸溜所の設立が驚かれたくらいです。それが今では、私たちも古株と見なされるくらい新しい蒸溜所が増えてきました。

ピーター・ウィルズ
家族全員でアイラに移住したとき、私はまだ15歳でした。当時はよく状況を理解しないまま、父の事業に巻き込まれた感じです。大学を出てマーケティングを任され、初めて訪れた外国のひとつが日本でした。日本では秩父蒸溜所の影響で新しい蒸溜所が激増しましたが、モルトウイスキーの蒸溜所は今いくつあるのですか?

18年前には肥土伊知郎がキルホーマン蒸溜所を訪ね、11年前にはピーターの父のアントニー・ウィルズが秩父を訪ねた。遠く離れていても、2つの蒸溜所は共通の志を抱いている。

肥土伊知郎
計画中のものを合わせると、そろそろ国内で100軒を超えるはずです。秩父蒸溜所ができた十数年前はまだ10軒にも満たなかったので、これは劇的な変化ですね。

ピーター・ウィルズ
日本ほどではありませんが、スコットランドもモルトウイスキーの蒸溜所が増えています。もともと約100軒だったのが、さらに30軒ほど増えました。アイラではキルホーマンが8番目の蒸溜所でしたが、数年後には14軒から15軒にまで増える見込みです。今でも蒸溜所めぐりはされていますか?

肥土伊知郎
コロナ禍が一段落してからは、あちこち出かけるようになりました。お父さんも旅行をされていますか?

ピーター・ウィルズ
父はウイスキーづくりに専念し、基本的にずっと蒸溜所にいます。その代わりに、息子の私が諸外国を定期的に訪ねる役割です。生産部門の兄はずっとアイラですが、私はマーケティング担当なのでエディンバラに住んでいます。アイラは1日2便のフェリーが欠航したり、住むにはとても不便な場所ですから。

肥土伊知郎
アイラはのどかで信号機もなく、私が訪ねたときはレストラン併設の蒸溜所が2件しかありませんでした。前回スコットランドを旅してから約10年が経つので、アイラのダイナミックな変化を確かめるために再訪したいと思っています。

ピーター・ウィルズ
今でもアイラに信号機はありません。私はアイラで運転免許を取得しましたが、とても簡単でしたよ(笑)。でも近年のアイラはウイスキーのためだけに大勢の人が押し寄せる観光地になり、今ではすべての蒸溜所にビジターセンターやカフェが併設されています。秩父はそれなりに大きな町のようですが、近隣に他の蒸溜所はありますか?

ミズナラ材を前に語り合う肥土伊知郎とピーター・ウィルズ。小さな2つの蒸溜所は、創業20年足らずで大きく進化してきた。

肥土伊知郎
この地域には秩父蒸溜所だけです。ビジターはウイスキー関係のプロ限定で受け入れていますが、ここ数年は国外からのお客さまも増えてきました。秩父は人口約6万人で、東京からのアクセスも悪くありません。交通の便でいえば、エディンバラとアイラの中間みたいなイメージでしょうか。アイラではウイスキーづくりの人材が簡単に集まりますか?

ピーター・ウィルズ
アイラ島の人口は約3,500人ですが、世界各地からウイスキー産業で働きたいという人たちもやってきます。生産部門とビジターセンターを含めて、キルホーマンは約50人を雇用しています。手作業が多いこともあって、雇用数ではアイラで第2位の蒸溜所なんです。最近は人件費も上がっているので、人材の獲得競争で苦労することも増えてきました。

肥土伊知郎
秩父蒸溜所も最初は4人だけの時期が続きましたが、現在はボトリング、樽工房、生産部門を含めて約50名が働いています。以前は特に募集をせず、「ここで働きたい」とやってくる人たちを雇用していました。今では1回の求人に60人以上の応募があります。ウイスキーづくりに魅力を感じる若い人たちも増えているようです。

ピーター・ウィルズ
キルホーマンも最初は家族経営だったので、学生時代からカフェやボトリングの仕事を手伝っていました。小さい蒸溜所は、いろんな仕事を経験しながらウイスキーのビジネスを理解できるのがいいですね。
 

先駆者ゆえの失敗と学び

 
肥土伊知郎
蒸溜所を立ち上げたばかりの頃は、お互いに失敗と教訓の連続だったと思います。お父さんと11年前に話したとき、製麦棟が火事で焼けてしまった話もうかがいました。

ピーター・ウィルズ
創設翌年の2006年のことです。私と兄がキルンの火元を見るように言いつけられていたのですが、不注意から火事を出して施設を全焼しました。ほぼ1年がかりで再建しましたが、その間はモルティングができなくなって父も怒っていましたね。

キルホーマンと同様に少量生産でスタートした秩父蒸溜所。第1蒸溜所では、マッシュタンも人力で撹拌する。

肥土伊知郎
いろんなことがありながら、一歩一歩しか進んでいけないのもウイスキーづくりの現実ですね。

ピーター・ウィルズ
本当に、3歩進んで2歩下がるような毎日でした。キルホーマンは2005年に樽5本の原酒からスタートしましたが、資金繰りのために樽原酒で300本ほどプライベートカスクを販売したこともあります。後に父はそれを反省して、必死に買い戻そうとしました。

肥土伊知郎
秩父蒸溜所でも、資金繰りのために100本ほど販売しました。買い戻しを考えたこともありますが、誰も売ってくれないのが現実ですね。

ピーター・ウィルズ
キルホーマンは2008年から商品を販売しています。最初は熟成1ヶ月、1年、2年のミニチュアボトルセット。初めての正式なウイスキーは、2009年発売の3年熟成でした。もちろんキャッシュフローが目的ですが、その時点でフレーバーも誇れるものだと思っていました。でも当時は「熟成3年なんて若すぎる」という批判も浴びました。

肥土伊知郎
確かに、3年熟成のキルホーマンは美味しかったですね。秩父蒸溜所も2011年に3年熟成の「秩父 ザ・ファースト」を発売しています。当時は3年熟成のウイスキーも珍しがられましたが、後発の蒸溜所が続いたのでウイスキーファンも慣れてきた感じがします。今では熟成年の若いウイスキーの楽しみ方を理解してもらえているのではないでしょうか。
(つづく)