ハリウッド映画からテレビシリーズまで、ウイスキーはかつてないほどの露出時間を獲得している。現代のウイスキーが象徴する社会的なメッセージを2回シリーズで分析。

文:クリスティアン・シェリー

 

ビル・マーレイ演じるボブ・ハリスは、やや落ち目のハリウッド俳優だ。テレビ広告の契約で日本を訪れ、タキシードに身を包んで撮影に臨む。手にタンブラーを握りしめながら、繰り返したCM用の決め台詞が有名になった。

「リラックスするなら、サントリータイム」

このシーンは、21世紀の映画史において最も象徴的なウイスキー描写のひとつといえる。ソフィア・コッポラ監督が、主人公の中年クライシスを描いた『ロスト・イン・トランスレーション』の一幕である。

この映画の中で、ウイスキーはたびたび画面に登場し、言葉にできない深みをストーリーに加えていた。公開は2003年だが、当時はジャパニーズウイスキーの真価にようやく世界が気づき始めた頃だ。少なくとも脚本が書かれた時点で、まだ今日のようなジャパニーズウイスキーのブームは起こっていない。

今でこそ緻密に設計された香味で人気のジャパニーズウイスキーだが、当時の日本ではむしろ時代遅れで、堅苦しく、おじさんたち用の退屈なお酒というイメージさえあった。

ちょうどあの時代に、落ち目の俳優がウイスキーの広告にキャスティングされるという設定には深い意味がある。それは意図されたメタ認知であるといってもいい。老いゆく自分への失望や、時代遅れになって忘れ去られる俳優の不安が、ウイスキーという旧時代のドリンクに象徴されていたのだ。

あの映画の公開から20年が経った。映画を賑わせる大人気スターたちの感情は、おそらく四半世紀を経てもそれほど変わっていない。だがその間に、ウイスキーの人気は大きく上昇してきた。

「ウイスキー人気は、どん底から奇跡的なカムバックを果たしました」

そう語るのは、脚本家でプロデューサーのジェームズ・ピッカリング。映画学校として国際的に有名なメットフィルムスクールで講師を務める人物だ。メットフィルムスクールは、英国に6校、ベルリンに1校の映画学校を運営している。

ピッカリングいわく、ドレイクがプロデュースしたアメリカンウイスキー「バージニアブラック」やメタリカの「ブラッケンド」などがウイスキーの復権を証明している。さらにはジェームズ・ボンドの『007 スカイフォール』(2012年)でウイスキーが果たした役割や、『キングスマン』シリーズに登場するウイスキーのイメージについても指摘している。

映画だけでなく、近年のテレビ番組でも多くの登場人物たちが以前より頻繁にウイスキーを飲むようになった。『パークス・アンド・レクリエーション』のロン・スワンソン、『マッドメン』のドン・ドレイパー、『イエローストーン』のベス・ダットン、『ザ・モーニング・ショー』のブラッドリー・ジャクソンは、みなウイスキーが大好きだ。

それぞれのストーリーで描かれるウイスキーが象徴しているのは、もはや『ロスト・イン・トランスレーション』のボブ・ハリスのように落ち目になった時代遅れの人物などではない。

それどころか、ウイスキーは登場人物が嗜むクールな飲み物という位置づけになっている。それだけなく、登場人物の微妙なニュアンスを視聴者に伝えるための便利なツールでもある。これはウイスキーに対する認識が時代とともに変化し、飲食文化の中でより多くの人たちに楽しまれるようになった事実も反映しているだろう。

「女性の登場人物が、ウイスキーのグラスを手にしている場面を見ても違和感のない時代になりました。むしろ人物の個性をあらわす信憑性が増すので、それを特別なものとして説明する脚本上の工夫も要りません。ほんの10年前や15年前なら、女性がウイスキーを飲むなんてありえないと思われていたはずなので、これは大きな変化ですね」

そう語るのは、脚本家のトロイ・ボロトニックだ。ロサンゼルスのフィルムランド・スピリッツ社で共同創設者兼CEOを務めるウイスキー愛好家でもある。フィルムランド・スピリッツ社は、ケンタッキーで原酒のブレンドと瓶詰めをおこなっている。
 

ウイスキーを飲む人物の描かれ方

 
映像作品の中だけでなく、ウイスキーの愛好者は現実にもたくさん存在する。そのバックグラウンドはとても多彩だ。ウイスキーを飲む人はいったいどんな人なのか、なぜウイスキーを好んで飲むのかを簡単に説明することはできない。そのような先入観を映像表現の一部として用いることには難しさもある。それでも社会の認識が変化にあわせて脚本の書き方にも工夫が求められるため、脚本家は読者とともに歩まなければならない。

この問題はウイスキーに限らず、あらゆる事物に当てはまる。ウイスキーは誰が飲んでもいいと多くの人が思っている。だが広い社会には、ウイスキーは役員室で飲むためのお酒だったり、決して水を混ぜてはいけない崇高なお酒だと主張する人が今でもいたりもする。

ウイスキーがテレビドラマで頻繁に取り上げられるようになる時代では、そのような文化的ギャップも意識する必要がある。テレビや映画などのメディアは、あらゆる人を取り持つ奇妙で中途半端な場所でもあるからだ。ウイスキーに多くを語らせるのは、これまで以上に難しくなっているのかもしれない。

登場人物のプロフィールを作り上げる第一歩は、その人物についてあらゆる細部を思い浮かべて想像することだ。両親の職業、出身校、支持政党、好みのドリンクなどは、みなその人物の属性を物語る。脚本家のピッカリングにとって、このような細部は非常に重要なことなのだという。

とりわけピッカリングがまず考えるのは、登場人物がどんな飲食を好むかという設定である。 自宅の裏庭でシングルモルトを45分かけて飲む人は、ブレンデットウイスキーをショットグラスでを一気飲みする人物とは何かが異なっている。

「そこにある違いは、その人物の社会的地位、人生の段階、これまでの経験などを示しています。そのような細かい人物像は、台詞や言葉で書かれることがなくても、脚本に影響を与えることになります。ウイスキーの飲み方ひとつが、登場人物のイメージを決めてしまうことを脚本家は深く理解しておかなければなりません」

脚本家とオーディエンスが、異なる先入観を持っている場合はやや問題になる。視聴者や観客には、ウイスキーに夢中な人もいれば、飲んだことさえない人もいるからだとピッカリングは語る。

「特定の飲み物で、言外に何かを暗示したい気持ちはいつもあります。そういう表現手法には依存しがちですが、登場人物とウイスキーの関係には信憑性も必要です。それでもウイスキーにかつてより幅広い意味が託されうる時代に、その意味を脚本に反映せずにいることもフラストレーションが溜まります」

ボロトニックは、駆け出しの脚本家にありがちな議論についても説明した。

「脚本で書くべきなのは、ありえそうなことではなく、必ずそうだろうと思えること。私には執筆のパートナーがいますが、あるシーンの描き方で口論になりました。フリスビーが戻ってきて投げた人の頭に当たる場面なのですが、書いた本人は『自分も経験した出来事なので、書いてもいいでしょ』という意見です。でも私にとっては明らかにわざとらしい出来事なので、フィクションで描かれると現実味も信憑性も感じられないのです」
(つづく)