意志を形に ― グレンスコシア蒸溜所【その1・全2回】

December 26, 2012

将来に向けた大きな計画が進行中のグレンスコシアを、ガヴィン・D・スミスが訪れる(第1回/全2回)

スコッチウイスキーの地図では「ウイスキーの首都」キャンベルタウンを中心となって維持してきたのはスプリングバンク蒸溜所であり、このアーガイルシャーの港町で2番目に古いグレンスコシア蒸溜所は長きにわたりその陰に隠れていた。

しかし、グレンスコシア蒸溜所は目下、大規模な改造の最中にあり、やがては近隣の名だたるスプリングバンク蒸溜所と主役を分かち合う地位に立つと思われる。両蒸溜所はほぼ同年代の誕生で、グレンスコシアはスプリングバンクの4年後、1832年に設立された。いずれもキャンベルタウンのウイスキー産業が空前の景気に湧いて24ヵ所の蒸溜所が生産開始した1823~1835年の間の設立だった。

キャンベルタウンの蒸溜産業にとって試練のときとなった1920年代以降、スプリングバンク蒸溜所は家族経営に注力して困難な時代を乗り越えたが、グレンスコシアはそれほど幸運ではなかったスチュアート・ガルブレイス社が設立したこの蒸溜所は、キャンベルタウンの他の蒸溜産業と同様に1世紀の間栄えたが、同地域のウイスキー生産がほぼ停止状態にまで落ち込むとともに1928年に閉鎖された。

その後、グレンスコシア蒸溜所はブロッホ・ブラザーズ社の所有に代わった1933年に生産を再開。ハイラム・ウォーカー社の所有を経てグラスゴーのブレンダー、A・ギリーズ社の手に渡り、同社は1970年にアマルガメイテッド・ディスティラーズ・プロダクト(ADP)社の傘下に入った。1979~1982年の間にグレンスコシア蒸溜所の改造に100万ポンド以上が費やされたが、わずか2年後に再び沈黙した。1989年にはADPの新たな親会社、ギブソン・インターナショナル社のもとでウイスキーづくりが再開されたが、1994年にまた所有者が変わってグレン・カトライン・ボンデッド・ウェアハウス社が同蒸溜所を取得した。同社は主にモルトウイスキーの保管場所としてグレンスコシアを購入したが、1999年には小規模ながら再び蒸溜が始まった。

そして4年前にイアン・マカリスターが蒸溜所マネージャーに指名され、間もなく蒸溜所の黒と白の外観が塗り替えられた。些細なことに見えるかもしれないが、マカリスターはこう説明する。

「第一印象が重要ですから、この塗り替えは意志の象徴でした。技術的な観点から言うと、長期生産のための持続可能性を構築しつつあります。ここの外観と生産能力の両方を改善しています」

昨年は新しいウォッシュバック6基が設置され、スピリッツスチルのコンデンサーの交換に続いて、今夏には新しいウォッシュスチルのコンデンサーが導入された。

加えて、「倉庫にもさらに構造的な改造などの手を加える」計画があるとマカリスターは言う。では、グレンスコシア蒸溜所にこれほどの投資を行う背後にはどのような方針があるのか?

[その2へ続く]

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