この秋より、本国でラインナップを刷新したスコッチシングルモルトウイスキーのベンリアック。その多彩な横顔と戦略を知る2回シリーズ。

文:クリス・ホワイト

 

ベンリアックというウイスキーブランドについて、まず最初に浮かんでくるイメージは何だろう。そんな質問をされて、考え込んでしまうことがあった。あれこれ思案してみても、蒸溜所の本質を一言で表すようなフレーズはなかなか見つからない。

同じ質問をされて、即座にそんなイメージが浮かぶ蒸溜所もある。例えば、ラフロイグなら「薬品っぽい」。マッカランなら「シェリー樽熟成」。クライヌリッシュなら「ワックス(蝋)みたいな風味」。ダフトミルなら「希少価値」といった言葉が当てはまるだろう。

19世紀に創設され、数奇な運命をたどってきたベンリアック蒸溜所。伝統の製法を守りながら、さまざまな原酒タイプを駆使した多彩なスタイルでファンを魅了している。

だがベンリアックには、そんなわかりやすい特徴がない。ブランド自体を明確に分類できる個性がある訳でもない。かといって、そんなわかりにくさが短所になっていないのもベンリアックのいいところだ。

ベンリアックの従業員たちは、このブランドに研究所のような性質があると考えている。親しみを込めて「ラボ」と呼ばれているのもそのせいだ。ピーテッドとノンピートはもちろん、2回蒸溜と3回蒸溜でスピリッツをつくり分ける。さまざまな樽熟成と組み合わせ、多彩な原酒をブレンドする。このような実験精神は、まさにラボという名に相応しい。

だがかつてのベンリアックは、スコットランドで最も短命な蒸溜所のひとつというイメージが付きまとっていた。ビクトリア調時代のウイスキーブームに乗って、1898年にジョン・ダフが蒸溜所を設立。しかしスピリッツを生産できたのは、わずか2年後の1900年までだった。悪名高いパティソン兄弟の不正に巻き込まれ、他の多くの蒸溜所と同様に閉鎖を余儀なくされてしまったのである。

ベンリアックの歴史は、そこで潰えてもおかしくはなかった。しかしジョン・ダフが1893年に設立した姉妹蒸溜所のロングモーンが、たまたま数百メートル以内の近所にあったことが幸いして生きながらえることになる。

ベンリアックとロングモーンは「パギー」と愛称される私用の小型蒸気機関車で結ばれ、原料などの貨物が互いの蒸溜所を行き来していた。スピリッツの生産が休止になった以降も、ベンリアックでは引き続きモルティング(製麦)が継続された。ロングモーンにモルト原料を供給しているうち、再びスコッチウイスキーの需要が上昇。そして1965年に大規模な改修工事をおこなって、65年ぶりにポットスチルからスピリッツが流れ出したのである。

 

ビリー・ウォーカーからレイチェル・バリーへ

 

かつてのベンリアックは、他の蒸溜所と同様に伝統の製法を守っていた。だがベンリアックの特徴をなかなか一言で表現できない理由は、むしろ近年のベンリアックが志向している変幻自在の生産方針にあるといっていいだろう。

1972年に初めてピーテッドモルトのスピリッツを生産して以来、蒸溜所では「スモークシーズン」と呼ばれるピーテッドモルトの生産期間が年間スケジュールに組み込まれている。さらに1998年の夏からは、毎年のように3回蒸溜のスピリッツも複数バッチで生産するようになった。ただし2002〜2004年には、当時のオーナーであるシーバスブラザーズの判断で休止状態に。だがすぐ2004年にビリー・ウォーカーが買収して生産を再開させている。

今では希少になったフロアモルティングを年に1回は実施している。65年間にわたる休業期間中も、モルティング工場として姉妹ブランドを支えてきた歴史がある。

そのビリー・ウォーカーは、2016年にベンリアック、グレンドロナック、グレングラッサを売却。現在のオーナーであるブラウン・フォーマンが、新しいマスターブレンダーに指名したのはレイチェル・バリーだった。

多彩なスピリッツを駆使する実験精神たっぷりのベンリアックが、スコッチウイスキー界きってのイノベーターであるレイチェル・バリーを惹きつけたことは間違いない。だがバリーの蒸溜所に対する憧れは、さらに古い思い出とも結びついていたのだという。

「私の出身地は、スペイサイドからちょっと東のアバディーンシャー。のどかな田舎で、家族全員がいつも屋外で過ごしていました。この地域を自転車で通り過ぎた日のことも憶えています。そこにある小屋の外で、桜の木がきれいな花を咲かせていましたよ。18歳のとき、ここから道路のすぐ向かいにある航空学校の夏期講習に参加したんです。生まれて始めて、グライダーで空からスペイサイド北部の広大なパノラマを眺めることができました。ベンリアック蒸溜所も眼下に見えて、本当に素晴らしい体験でした」

子供時代から青春時代に経験した、スペイサイドでの夏の思い出。そんな美しい記憶が、ウイスキーのブレンダーとなったレイチェル・バリーのキャリアを形作っていた側面もあるのだろう。ウイスキー業界で働いて3年が経った1994年に、彼女はかつて眼下に眺めたベンリアックのウイスキーと初めて出会うことになる。

「ベンリアックのウイスキーをテイスティングするのはその時が初めてでした。しかもそのウイスキーは、1994年に発売されたばかりのシングルモルト商品『ベンリアック10年』だったのです」

当時のベンリアックは、まだ勃興期のシングルモルト市場に初参入したばかりだった。それでもバリーは、初めて味わったウイスキーの印象をよく憶えている。

「フルーツ香とモルト香が、美しいバランスで融合していました。その風味は、スペイサイドのモルトウイスキーが目指すべき原型のようなもの。まさしく完璧な味わいだったことが思い出されます」
(つづく)