欧州のライウイスキー【前半/全2回】
文:ジェイソン・トムソン
ライウイスキーと聞けば、誰もが北米を連想するはずだ。両者は歴史と伝統によって深く結び付けられている。ライウイスキーの入ったグラスを傾ける時に、アメリカやカナダのライ麦畑を思い浮かべずにはいられない。このようなウイスキーと生産地の関係は、ロマンチックに語られることが多い。しかし実際のところ、すべてのスピリッツは歴史の必然から生まれている。
19世紀初頭のアメリカで、穀物といえばライ麦だった。欧州からの移民が新大陸で自活するとき、まず大地に植えたのがライ麦だったといわれている。寒さに強く、栽培や収穫も比較的簡単。収穫量が少なくてもカロリーが高いので空腹を満たせる。だからライ麦は、辺境の開拓に理想的な穀物だと考えられていた。
そして19世紀といえば、全米の農家が自前の蒸溜器を保有していた時代である。その総数は何千基にものぼった。ことスピリッツを蒸溜となれば、自前で収穫できる穀物を原料にするのが歴史の常である。だからライウイスキーの勃興はまったく自然の流れであり、ほどなく北米を代表するスピリッツに定着した。
だがどんなラブストーリーにも紆余曲折がある。ライウイスキーの歴史も、ずっと順風満帆という訳ではなかった。
ライウイスキーは、強力なワンツーパンチによってノックアウト寸前にまで追い詰められたことがある。最初のパンチは、寒冷地にも適応した頑健なコーン品種の出現だ。この改良種が米国内に普及すると、アメリカの農家たちはこぞってコーンの生産に乗り換えた。コーンがライ麦よりも安価だったことも手伝って、ライ麦主体だったスピリッツの原料構成(マッシュビル)もコーンが主流になっていく。
2発目のパンチは、1発目よりもはるかに大きなダメージを酒類業界にもたらした。ご存じ禁酒法の施行である。コーンの出現と禁酒法によって、ライウイスキーは半世紀にわたる長い衰退期を余儀なくされた。その過程で、北米からライウイスキーへの愛情がすっかり消え去ってしまうかのようにも思われた。
だが愛の火種は、しぶとく生き残っていた。お酒を楽しむ人々の嗜好が変化し、意欲に満ちたバーテンダーたちがカクテルの素材として注目したことから、ライウイスキーは再び世界中のドリンカーたちの心を魅了するようになったのである。
ライ麦パンを国民食とするフィンランドの挑戦
そんな消費者の嗜好の変化に気付いたのは、北米の人たちだけではない。大西洋の向こう側にある欧州のスピリッツメーカーが、ライ麦を使用したスピリッツづくりに興味を抱きはじめている。そもそもライ麦は、欧州で何千年にもわたって栽培されてきた穀物なのだ。キュロ蒸溜所でヘッドディスティラーを務めるカーレ・ヴァルコネンが語る。
「私たちフィンランド人にとって、ライ麦は文化的にも極めて重要な存在。将来、フィンランドがプレミアムライウイスキーで知られるようになることを期待しているくらいですよ」
キュロ蒸溜所はフィンランドがライ麦と共に行きてきた伝統を重視し、100%ライ麦原料のスピリッツをつくることに専心している。ただしこの方針には、特有の難しさもあったのだとカーレは明かす。ライ麦を使用した最初の糖化工程では、ライ麦原料がドロドロになって、マッシュタンがうまく扱えなくなったという。
「学ぶべきことや、克服すべきことが山程ありました。マッシュタンの中に漂うライ麦のかすをパドルで取り除くのに何時間もかかったものです」
このような経験に学んだキュロでは、ライ麦特有の問題に対処できるような特注の生産機器を導入した。特別に厳選した酵母株で、2段階の発酵プロセスを採用してる。カーレいわく、この酵母株は「複雑なフレーバーの全要素を引き出す」ような働きをする。またライ麦自体に常在するバクテリアによって、自然な乳酸発酵を促すタイプなのだという。
フィンランド産のライ麦だけを原料にしたスピリッツにこだわりながら、カーレとキュロ蒸溜所のチームは新しい概念である「根っからのフィニッシュウイスキー」を自分たちの手でつくり上げようとしようとしている。カーレの言葉には、そんな意気込みが宿っていた。
「フィンランドとライ麦には、切っても切れない強固な絆があります。ライ麦を原料にしたフィンランド流の黒パンは、2017年の投票でフィンランドの国民食に選ばれたくらいですから」
世界的なレストランをヒントにした実験精神
キュロ蒸溜所は、フィンランド文化とライ麦のつながりを重視したスピリッツ生産に取り組んでいる。だがこのつながりは、フィンランド限定という訳でもない。周辺のスカンジナビア諸国は、どこも古くからライ麦の生産が盛んだ。少し南のデンマークにも、ライ麦への愛を表明してウイスキーづくりに取り入れている蒸溜所がある。スタウニング蒸溜所の共同創設者、アレックス・ムンクが説明する。
「ライ麦パンは、デンマーク人にとってなくてはならない存在です。学校に行って給食のランチボックスを見れば、必ずライ麦パンが入ってますよ」
そういうスタウニングも、フィンランドのキュロのように最初からライウイスキーの生産を志していた訳ではない。「最初はやはりモルトウイスキーにこだわっていました」とアレックスは明かす。だが実際にライウイスキーを試飲してみて、自分たちの手でつくる価値も十分にあると確信したのだ。モルトウイスキーと並行でライウイスキーもつくる実験は何とか成功し、現在ではスタウニング蒸溜所で生産する商品の50%以上がライウイスキーである。
スタウニングでは、それぞれ特徴のある2種類のライウイスキーを生産している。最初に発売したのが伝統的なスタイルのライウイスキーで、2番目に発売したのがメスカル樽で後熟を施した「バスタード」と呼ばれるライウイスキーだ。アレックスがこの大胆な狙いについて説明する。
「ライ麦を原料にしたスピリッツは、大麦のスピリッツよりも樽材との関係が面白いと思ってきました。現在はミズナラ樽で熟成しているライウイスキー もありますよ。その出来栄えが、本当に素晴らしいんです」
ライスピリッツと樽材の組み合わせからは、さまざまな面白い実験の余地が生まれてくるはずだ。そしてスタウニング蒸溜所では、そんなライウイスキーのアドバンテージをフル活用している。
このように大胆な実験精神は、スタウニング蒸溜所チームが目指している最終目標への布石となる。それはスコットランド、アイルランド、そしてアメリカとも明確に一線を画した新しいウイスキーのスタイルを開拓すること。つまり北欧独自のノルディックスタイルとも呼べるウイスキージャンルだ。スタウニング蒸溜所の共同創設者、アレックス・ムンクが説明する。
「北欧料理(ノルディック料理)のムーブメントからも、多大な影響を受けているんですよ」
たとえば、ミシュラン2つ星を獲得したコペンハーゲンのレストラン「ノーマ」。スカンジナビアの伝統を踏まえながら、斬新で冒険的な料理によって世界中のグルメたちを魅了している。北欧の文化や伝統を独自のウイスキーづくりに活かそうと考えたとき、スタウニング蒸溜所はノーマのアプローチをお手本にしたのだ。
(つづく)