ウイスキーづくりには、いつも長大な時間の壁が立ちはだかる。急速な熟成技術で革命を起こそうと試行錯誤する人々の物語。

文:マット・ストリックランド

木樽で熟成するという習慣がなければ、ウイスキーという飲み物はどんな歴史を辿っていたのだろう。おそらく琥珀色に輝く現代的なウイスキーは登場せず、密造の蒸溜酒として流通していた暗黒時代から抜け出せずにいたのではないだろうか。

木樽に貯蔵することが、個々のウイスキーを特徴づける最重要な行程のひとつであることは間違いない。ウイスキーの最終的な風味を分析すると、その70%が樽材との接触に由来するという主張もあるほどだ。バーボンウイスキー、シングルモルトウイスキー、ライウイスキーなど、どんな種類のウイスキーでも樽熟成が香味づくりの王様だ。その樽材に関する方針が、蒸溜所ごとに製造されるウイスキーの品質を左右することもある。

画期的な高速熟成技術で注目されるカリフォルニアのビスポークン・スピリッツについては、次回で詳しく紹介する。メイン写真は創業者のマーティン・ヤノシェックとステュー・アーロン。

スチルでの蒸溜を経て製造されたニューメークスピリッツは、アルコール度数が60~90%。蒸溜所のスタイルにかかわらず、通常は力強い味わいがある。このスピリッツをオーク材でできた樽に入れ、数カ月もすれば刺々しいアルコールの刺激が軟化し、ニューメイク特有の辛味もやや鎮まってくる。そのまま放置して数年後に戻ってくると、樽内のウイスキーは黄金色から赤みがかった美しい色合いに染まっている。木樽はまるでサナギのようにスピリッツを育て、美しい蝶のように洗練されたウイスキーを羽ばたかせてくれる。

もちろん、この行程にはいちいち時間がかかる。通常なら少なくとも数年の歳月が必要だ。ウイスキーによっては10年以降に熟成のピークを迎えるものもあるし、それ以上の長大な時間がかかることもある。時は金なりとは言ったもので、母なる自然の摂理を待ち続ける時間も決して安いものではない。他の産業と同様、待ち時間はそのままコストの一部になる。

このように一見不毛な時間を回避するため、難解な熟成のメカニズムを解き明かそうと試みる生産者たちもいる。実験室でさまざまな検証を繰り返し、時間を飛び越えてウイスキーを熟成させる秘密のコードを探っているのだ。このような試みをするのは、昔から一部の変わり者だけだと思われてきた。しかし現在のブームに後押しされ、今ではウイスキーにイノベーションを求める消費者たちがこのような実験精神を受け入れるようになった。
 

樽内で起こってる4種類の化学反応

 
熟成中の樽内で起こる反応は、大きく分けて4種類ある。そのひとつは添加反応。樽の素材である木の成分が、スピリッツに直接抽出されることである。抽出される成分には、木に含まれる糖分、色素、ラクトン、木酸、タンニンなどが含まれる。

また減法反応は、木がスピリッツから特定の物質を積極的に除去する反応である。最もよく知られている例は、オーク材の炭化層に含まれる活性炭がウイスキーに含まれるさまざまな硫化物を除去すること。硫化ジメチルや三硫化ジメチルなどの硫化物は、そのまま放置しておくと雑味の原因になる。

カリフォルニアワインの樽について研究を進め、偶然にも熟成速度の鍵を発見したロスト・スピリッツのブライアン・デイビス(詳しくは次回)。

この雑味とは、トウモロコシや野菜を調理したような風味だ。このような風味を取り除いてクリーンな酒質を得るため、木樽はウイスキーにとって重大な役割を担っている。

3つ目の生産反応は、樽内で起こる化学反応によって、それまでになかった化合物が生成されること。ひとの例としては、木質植物の重要な構造化合物であるリグニンのエタノール分解だ。樽の製造時に施す熱処理(トーストやチャー)と同様に、蒸溜酒に含まれるエタノールがリグニンをゆっくりと分解し、バニリンなどの重要な香味成分を生成する。また他の生産反応としては、熟成効果としても非常に重要なエステルの形成が挙げられる。

最後の還元反応は、特定の化合物の量が化学的に減少する現象だ。その中でも特に重要なのが、アクロレインという化合物の還元反応である。アクロレインは、グリセロールが加熱されることによって蒸溜器内で生成されるため、ほとんどのニューメイクスピリッツにある程度の量が含まれている。

アクロレインにはワサビを思わせる辛味があり、ニューメークが刺すように辛い刺激をともなう理由の一つになっている。だが樽材の呼吸によって穏やかに酸素を取り込むことで、時間とともにアクロレインは味のないアクリル酸に変質していく。

樽の中ではさまざまな変化がおこっており、上記の例はそのごく一部に過ぎない。熟成にはこのように複雑なメカニズムがあるため、スピリッツの熟成を速めようという試みは長年にわたって足踏みを余儀なくされた。試される新しい技術は、主要な化学反応のごく一部にしか対応していないことが多く、そのような方法で短期熟成されたスピリッツはせいぜいアンバランスな香味になるのが常だったのである。

スピリッツやビールの研究者として著名なギャリー・スペディングは、高速熟成の技術が直面している問題について幅広く執筆している。なぜこのような技術の多くが、飲用に耐えられるレベルに至る道のりでつまずいてしまうのか。そんな質問に対して、スペディングはこう答えている。

「樽内で起こっている何百種類もの化学反応は、それぞれのスピードで進行します。一気に最終地点まで進む反応もあれば、中途半端な状態で止まる反応もあるでしょう。このような数百種類の反応をひとつひとつ精査した上で、その反応を足し引きすれば目的の反応を一方向に導くことができます。熟成を速めるということは、それくらい気の遠くなるような作業なのです」

まさに重要な指摘といえるだろう。だが高速熟成の手法を探る人々はそもそも変わり者だ。スペディングが指摘するような謎に怖気づいて実験をやめるどころか、むしろ意欲を新たにするような人々ばかりだった。樽の中で何が起こっているのか、その解明に向けた研究はさらに過熱していったのである。
(つづく)