2022年1月17日、静岡蒸溜所を運営するガイアフローが創立10周年を迎えた。代表取締役の中村大航氏と一緒に、ここまでの道のりを振り返る。

文・写真:ステファン・ヴァン・エイケン

 

まずは時間をさかのぼり、ガイアフローがウイスキー界に参入したいきさつについて。まったく異業種の会社を経営していた中村大航氏が、ウイスキー事業に専念しようと決断するまで、いったいどんな出来事があったのだろうか。

「もともとウイスキー愛好家でした。バーでお酒を勉強し、ボトラーのシングルモルトを買い集め、イベントや国内の蒸溜所に足を運んでウイスキーライフを楽しんでいました。転機が訪れたのは、2012年6月のこと。パリにいる友人を訪ねがてら、憧れのアイラ島を初訪問したのです。ジュラ島も含めて、蒸溜所全9軒(当時)を見てまわりました」

大のウイスキー好きだが、酒造や流通の経験はゼロ。中村大航氏はウイスキー業界の先輩にアドバイスを貰って事業に乗り出した。

そして最後に訪問したキルホーマン蒸溜所が、運命の場所となったと中村氏は思い起こす。当時アイラ島でもっとも新しい蒸溜所である。

「衝撃を受けましたね。辺鄙な場所で、建物もかなり小さい。ほぼ手づくりのウイスキーが、世界で人気を集めている。そんな事実を目の当たりにして、自分の手でウイスキーをつくりたいという気持ちを止められなくなったんです」

そんな夢が、簡単に実現できると考えた訳ではない。そもそも精密部品の製造会社を経営していた中村氏には、酒造や流通の経験すらなかった。ウイスキーづくりに膨大な時間がかかるのも承知の上だったという。

「帰国してすぐ、秩父蒸溜所の肥土伊知郎さんに連絡しました。いろいろ相談に乗ってもらい、まずはウイスキーのインポーターから始めることにしたんです。コネクションは皆無でしたが、幸運にも翌2013年4月からブラックアダー社の輸入元として事業をスタート。同時に蒸溜所の場所探しを始め、2014年6月に土地が見つかりました」

新しい蒸溜所を建設するまでには、もちろんさまざまな障壁が待ち構えていた。チャレンジの連続を中村氏は振り返る。

「とにかく初めてのことばかりなので、ウイスキー業界の先輩方にゼロから教えを請い、世界中で100軒以上の蒸溜所や醸造所を見て歩きました。お酒好きな私には楽しい時間でしたが、体験から得たアイデアを蒸溜所に結実させるのは至難の業です。フォーサイスや三宅製作所に設備を一任しなかったのは、独自の可能性にこだわっていたから。結果がわからない挑戦は、エキサイティングながら精神的にタフな仕事でした」
 

テロワールに本気でこだわる

 
静岡蒸溜所の敷地は約2万平米で、すぐそばには安倍川の支流が流れている。小さな茶畑に囲まれ、近隣の美しい山々は野生動物の宝庫だ。気候は年間を通して穏やかで、冬でも零下になることは珍しい。そしてウイスキーづくりには、静岡蒸溜所ならではのユニークな特徴がたくさんある。

「地域の特色を取り入れたウイスキーづくりにこだわっています。林業が盛んな地域なので、地元の杉材で木製の発酵槽を造ったり、間伐材を薪にして蒸溜時の燃料にしたり。このような工程でつくるのが『シングルモルトW』です。それとは別途に、閉鎖された軽井沢蒸留所から移設した製造設備も一部使用しています。特徴的な形状の蒸溜器を再稼働し、軽井沢蒸留所と同様のオレゴンパイン製発酵槽も導入しました。こちらの工程でつくるウイスキーは『シングルモルトK』と呼んでいます」

ジャパニーズウイスキーの伝説、軽井沢蒸留所から設備を移設して使用。「幻の風味」を再現しながら、静岡蒸溜所の個性に組み込んでいる。

この2種類の製造工程から、特性がはっきりと異なったスピリッツがつくられる。「シングルモルトW」は、穏やかな香り、強いボディ、長い余韻。「シングルモルトK」は、華やかな香り、ライトなボディ、フルーティーでエステリーな味わいが特徴だ。

「別々の初溜釜で蒸溜した2つの原酒は、ブレンドされて弊社スタンダードの『シングルモルトS』になります。バランスが良くて飲みやすいのに、それぞれの原酒の特徴を兼ね備えた複雑さも感じられるウイスキーです」

複数の工程だけでなく、大麦モルトの種類によって原酒の多様性を広げているのもユニークだ。

「一般的に使われている英国産麦芽だけでなく、日本国産麦芽も相当な割合で使用しています。各国のビール用麦芽など、多彩な麦芽を原料とした原酒を造っています。酵母もメインはスコットランドの一般的なウイスキー用酵母ですが、それ以外の酵母でもテストを重ねており、なかには静岡県が開発した酵母も含まれています」

熟成樽については、中村氏が好むバーボン樽での熟成が中心で、シェリー樽やワイン樽はまだ少数だという。だが最近は、地元の林業関係者との協働で静岡県産のミズナラ樽も製作している。このようなアプローチの背景には、静岡のテロワールを表現したいという中村氏の強い願いがある。

「2018年から、静岡県産大麦を原料にした原酒づくりに挑戦してきました。これまで静岡県内で大麦の栽培は希少でしたが、県の公的研究機関、農業協同組合、農家のみなさんの協力もあって収穫量が増えているところです。静岡県産大麦での仕込みが、今年度は年間生産量の1割を超えました。静岡県は、ウイスキーやビールの発酵に向いた酵母も開発しているんです」

その新しい酵母を使った発酵も、2018年からテストを重ねている。もとより静岡県は日本酒用酵母の開発が盛んで、香り豊かな吟醸酵母で全国トップレベルの酒質を誇る。その酵母を開発したチームが、現在は大麦のマルトースの発酵に向いた酵母の開発を続けているのだという。

「静岡県は、クラフトビール醸造所の数が全国4位。日本酒と同じく、ビールの分野でも全国トップクラスです。静岡の大麦、酵母、水を使ったニューメイクスピリッツには、穏やかながらも深みのある味わいがあります。静岡県民のおっとりした気風が、お酒にも表れているような印象でしょうか」
 

静岡らしいブレンデッドを発売

 
ガイアフロー創設10周年にあわせ、2月下旬から「ガイアフローウイスキー ブレンデッド M」が発売される。これは外国産の原酒と静岡蒸溜所の原酒が出会ったブレンデッドウイスキー。「M」は出会い(meet)を意味する新しい符号だ。

2種類の製造工程に、テロワールを重視した地元産原料なども採用。原酒の多様性から生まれるクリエイティビティも静岡蒸溜所のアドバンテージになる。

「原酒全量を自社で製造するシングルモルトは、どうしても価格が高くなりがちです。そこで、静岡蒸溜所の原酒が手軽に味わえるブレンデッドウイスキーを企画しました。日本産麦芽のみを使用した『K』と『W』からの原酒をブレンドしています。飲み応えを大事にした48%の度数で、モルト比率も高めにしました。外国産の原酒が主体のブレンデッドですが、十分『静岡らしさ』を感じていただけるウイスキーに仕上がったと思います」

秩父蒸溜所の後に続こうと、6年ほど前には日本で小規模な蒸溜所の設立が相次いだ。静岡蒸溜所は、そんなムーブメントの最初期に設立された蒸溜所である。静岡蒸溜所の建設が始まったとき、稼働中のウイスキー蒸溜所が日本には12軒しかなかった。それが今では30軒に近づく勢いである。

「ジャパニーズウイスキーの製造者が増えることは、市場の活性化に繋がるポジティブな側面がある一方で、品質が不十分なウイスキーが市場に出回るリスクも高めます。静岡蒸溜所が竣工した当時には、ここまでウイスキー蒸溜所が激増する状況は想像していませんでした。資金的難しさはもちろんのこと、ウイスキー製造の知識や経験を持った技術者が国内にほとんどいなかったからです」

中村氏は、「ウイスキーづくりは一生解けない謎」という大先輩の言葉を重く受け止めている。ビールや、日本酒や、焼酎などの経験を土台にウイスキーをつくっても、良い原酒ができるとは限らない。本当に美味しいウイスキーをつくって、消費者の審判を待つだけだ。

これまで「プロローグ K」「プロローグ W」「コンタクトS」でその高い完成度を示してきた静岡蒸溜所のシングルモルトウイスキーだが、今後も「シングルモルト静岡」という枠組みで「W」「K」「S」という3種類のタイプを毎年リリースして行く予定だ。

「最もスタンダードな商品は『S』。『W』と『K』は、様々なスペックの商品企画になるため、出荷本数や価格は内容に合わせて変わります。また弊社と取引のあるブラックアダーやアスタモリスなどのボトラーから、シングルカスクのウイスキーもリリースします」

静岡蒸溜所の新しい10年は、もう始まっている。