ウイスキーの殿堂「ホール・オブ・フェイム」2022年度表彰者発表

March 28, 2022


ウイスキーマガジンアワードの一環として2004年にスタートし、今回で19回目を迎える「ホール・オブ・フェイム」。このたび4人の功労者が新たに殿堂入りを果たした。その素晴らしい功績をプロフィールとともにご紹介。

 

ガービン・ブラウン

(ブラウンフォーマン/前会長)

本年度、ウイスキーマガジンの殿堂入りを果たした1人は、ケンタッキーのレガシーを継ぐガービン・ブラウンだ。アメリカンウイスキー業界においては、もっとも新しい世代のレジェンドと呼べる人物である。ブラウンフォーマンの設立は1870年で、創設者はガービン・ブラウンと同じ名前を持つ祖父のジョージ・ガービン・ブラウン。彼の功績によって、ブラウンフォーマンはワインおよびスピリッツを取り扱う会社として業界屈指の規模を誇るまでに成長した。

創業者の孫にあたるガービン・ブラウンは、母の故郷であるモントリオールで弟と一緒に少年時代を過ごした。それでも夏休みになると、ケンタッキー州ルイビルにある祖母の農場に滞在していたという。大学院で政治学で学士号と修士号を取得したガービンは、ニューヨークにある「地球規模問題に取組む国際議員連盟」の事務局で働いた。だがいずれは家業を継いでビジネスの世界に進みたいという希望を持っていたため、2001年にロンドンビジネススクールでMBA を取得すると、その後はブラウンフォーマン一筋の人生を歩むことになった。

2001年に家業であるブラウンフォーマンに入社すると、ガービンはビジネスアナリストとして働き始めた。翌2002年からは、CEOオフィスのディレクターとして2年間勤務。その後は、バイスプレジデント兼ジャックダニエルのブランドディレクター(欧州およびアフリカ担当)を4年間にわたって担当し、シニアバイスプレジデント兼マネージングディレクター(西欧およびアフリカ担当)を2年間務めた。そして2007年から、名誉あるブラウンフォーマン取締役会長の座を受け継ぐのである。

ブラウンフォーマン会長として、ガービンは創業家の関与を透明化する委員会の設立に力を入れた。他の家族経営企業が弱体化していく事例に学び、社内の利害対立を防いで経営を安定化させるための工夫だった。ブラウンフォーマン会長は約14年にわたって務め、2021年7月に同職を退いている。
 

 

ポール・P・ジョン

(ジョン・ディスティラリーズ/会長)

ポール・P・ジョンは、生まれながらの起業家である。1965年9月30日にインド南部のケララ州で生まれ、少年時代のほとんどをバンガロールで過ごした。大学生時代には父の事業である酒屋チェーンを手伝っていたので、若い頃から酒類業界と深い関わりがあった。やがてビスケット工場の経営者としてビジネスの世界にデビューしたが、あいにくビスケット事業は頓挫。最終的には、1995年にベンチャー企業を立ち上げてアルコール業界に参入した。

カルナータカ州バンガロールに拠点を置いたスピリッツ事業は、わずか10年ほどですべての近隣州や一部海外市場にまで広がりを見せた。現在、ポールが所有するジョン・ディスティラリーズはインドの7州に8箇所の生産拠点を構え、国内第4位の酒類会社に成長している。フラッグシップブランドの「オリジナルチョイス」は、ウイスキー、ブランデー、ラムの各部門で人気ランキングを独占しており、特に年間販売量が1200万ケースを超えるウイスキーは全世界の売り上げベスト10にも食い込んでいる。

ウイスキー、ワイン、ブランデーなど、さまざまなカテゴリーで強固なポートフォリオを築いてきたポール・P・ジョン。大きな成功を可能にしたのは、事業に対する並々ならぬ熱意だった。またポールの個人的なシングルモルトへの情熱が、「ポールジョン インディアンシングルモルト」の誕生につながった。

世界のシングルモルトウイスキーを味わい、プレミアムな品質を深く理解したポールは、本物のウイスキーファンたちを魅了するインディアンシングルモルトをつくりたいと切望していた。そして2012年に「ポールジョン シングルモルト」を英国で発売すると、すぐに世界中のシングルモルトに勝るとも劣らない品質が評判に。そのようなシングルモルトファンからのお墨付きで「ポールジョン シングルモルト」は世界に販路を拡大し、現在43カ国以上で販売されている。わずか9年間で、285以上のグローバルなアワードに輝いた品質も本物だ。
 

 

ティエリ・ベニタ

(ラ・メゾン・デュ・ウイスキー/CEO)

ティエリ・ベニタの人生がウイスキーと交錯したのは、インターンとして父の仕事を手伝った思春期の頃にさかのぼる。父のジョルジュ・ベニタは、1956年にパリでラ・メゾン・デュ・ウイスキーを創業した人物。だがティエリは、まず金融業界での仕事を志して米国に2年滞在した。勤務地のフィラデルフィアで学友たちとバーに繰り出すうち、ウイスキーへの情熱を育むことに。そしてフランスに帰国するとラ・メゾン・デュ・ウイスキーに入社し、1995年2月にマネージングディレクターに就任した。

もともと質素な小売店として始まったラ・メゾン・デュ・ウイスキーは、ティエリ・ベニタの手腕によってヨーロッパ屈指のダイナミックな卸売業者へと変貌を遂げていく。1990年代後半からは、ディストリビューターとして数々のブランドを立ち上げ、フランス市場を足がかりにヨーロッパ全土へと販路を広げながら輸出部門まで創設した。現在でもさまざまなウイスキーブランドと密接に仕事を続けているが、そのいくつかは自分で立ち上げて初期から育ててきたブランドである。

1990年代半ばに、ティエリはフランス初のウイスキー&スピリッツ専門Eコマースサイト「whisky.fr」をスタートさせる。その数年後には、ウイスキーマガジンのフランス語版を出版し始めた。さらにはパリで開催されるウイスキーライヴの主催者にもなり、今年は18周年のイベントを開催する予定だ。パリのウイスキーライヴは、いまや3日間で4万人以上の来場者を見込むビッグイベントである。

好奇心旺盛なティエリは、いつも高い理想を追求し、独立した事業者であることにこだわっている。ウイスキーの卸売は、彼が考えるビジネス全体の一部に過ぎない。スピリッツにまつわるユニークで包括的な体験を消費者に提供するため、今でも意欲的にさまざまなイニシアチブを創出している。

ジャパニーズウイスキーが欧米市場に浸透していく過程では、初期からティエリの個人的な貢献が見られた。現在もニッカウヰスキーとの密接な関係は維持している。輸出入業者、スピリッツメーカー、ウイスキー界の著名な専門家と連絡を取り合いながら、スピリッツの世界にグローバルなビジョンを提供してくれるティエリ・ベニタ。完全に独立した事業形態を維持しながら、ユニークな販売網のモデルを確立してきた功績は大きい。

仕事にとことん没頭し、溢れんばかりの情熱を注ぎ込む。そして辛抱強く一貫性を保つことが、ティエリの経営哲学の根幹だ。現在のラ・メゾン・デュ・ウイスキーは、ダイナミックな市場のなかで成長を続けている。変化への見事な適応力を活かし、世界のウイスキー人気を先導しながら勢力をますます拡大している最中だ。
 

 

田中城太

(キリンビール株式会社/マスターブレンダー、エグゼクティブフェロー)

田中城太は34年間にわたってキリングループに所属し、現在はキリンのウイスキー事業を代表する立場にある。長い酒類業界でのキャリアを通して、日米のキリンのグループ会社に勤務。製造・品質管理・商品開発&技術開発・マーケティングなどの幅広いバリューチェーンに携るとともに、学界活動を含めウイスキーやワインを中心としたアルコール飲料に関する専門領域を探究してきた。現在はその情熱、スキル、経験のすべてをフラッグシップブランドの「富士」に注ぎ、世界中のウイスキーファンから注目を集めている。

キリンビール入社(1988年)以前は、北海道大学大学院で応用微生物学を専攻し、農芸化学の修士号を取得。入社翌年から、カリフォルニアのナパバレーでワイン造りに従事した。その後、カリフォルニア大学デービス校でワイン醸造学を専攻し、食品科学の修士号も取得。1995年に日本に帰国すると、キリン・シーグラム(現キリンディスティラリー株式会社)の御殿場工場でワインの品質保証や商品開発に携わった。

その後、キリン・シーグラム社マーケティング部でサンデマンのシェリー&ポートを含む、輸入ワインのブランドマネージャーを務め、富士御殿場蒸溜所でウイスキーづくりの世界に足を踏み入れた。

2002年、キリン社がフォアローゼズ蒸溜所を買収すると同時に、シーグラム社の北米事業のフォアローゼズ関連のさまざまな機能をフォアローゼズ蒸溜所に統合する任務を遂行。ケンタッキー州のフォアローゼズ蒸溜所では、品質担当ディレクターとして商品開発を担当した。スモールバッチや限定商品シリーズを開発すると共に、商品ポートフォリオ全般のリニューアルも実施。フォアローゼズ蒸溜所のジム・ラトリッジやアル・ヤングらパッション溢れた同僚たちと7年間にわたって協働した後、2009年に日本へ帰国。2010年にはキリンウイスキーのチーフブレンダーとなり、2017年にはキリンウイスキー50年の歴史の中で、第2代マスターブレンダーに任命された。

2017年には、アイコンズ・オブ・ウイスキー(IOW)で、マスターディスティラー/マスターブレンダー・オブ・ザ・イヤーを受賞。2019年にはケンタッキーバーボン協会より栄誉ある会員組織「オーダー・オブ・ザ・リット」創立メンバーに迎えられた。キリンウイスキーでは2019年よりマスターブレンダー&エグゼクティブフェローとして、同社のウイスキー事業全体を牽引。また国内外におけるジャパニーズウイスキーの信頼性と評価を守るため、日本ウイスキー業界の中枢でラベル表示基準などの設定に関する重要な役割も担っている。

 

2004年に創設されたウイスキーの殿堂「ホール・オブ・フェイム」の全表彰者はこちらから。

 

 

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