ウイスキーの殿堂「ホール・オブ・フェイム」2024年度表彰者発表

April 1, 2024


ウイスキーマガジンアワードの一環として2004年にスタートし、今回で21回目を迎える「ホール・オブ・フェイム」。このたび7人の功労者が新たに殿堂入りを果たした。その素晴らしい功績をプロフィールとともにご紹介。

 

ジョセフ・J・マグリオッコ

(ミクターズ蒸溜所)


ジョセフ・J・マグリオッコは、現在ルイビルに本拠地を置くミクターズ蒸溜所の社長。輸入ワインや通好みのスピリッツを取り扱うチャタムインポーツ社(ミクターズの親会社)の社長も兼任している。大学卒業後すぐにスピリッツ業界で働き始め、最初期の上司の一人が後にフォアローゼズ社長を務めるR・C・ウェルズだった。そして1990年代には、指導を仰いでいたコンサルタントのディック・ニューマンと共にミクターズの経営権を買い取って再出発。もともとペンシルベニア州にあったミクターズ蒸溜所は、1989年の倒産後に設備が放棄されている状態だった。ちなみにディック・ニューマンは、当時ワイルドターキーを保有していたオースティン・ニコルズ社の元社長でもある。
マグリオッコはミクターズの副会長であり、「オーダー・オブ・ザ・リット」を創設した15人の1人でもある。オーダー・オブ・ザ・リットは、「ケンタッキーバーボンに関する教育、責任、環境管理、歴史、学術を振興し、アメリカ産スピリッツブランドを発展させる揺るぎない取り組みで結びついた友愛慈善団体」だ。マグリオッコはケンタッキー蒸溜酒造協会の理事として、会計監査や副会長も務めてきた。ボルドーではメドック&グラーヴのボンタン騎士団から騎士の称号を受けるなど、スピリッツだけでなくワイン業界でも豊富な経験を積んでいる。
マグリオッコはイェール大学を卒業し、在学中より宗教学を専攻しながらバーテンダーとしても活躍した。また非営利団体のボランティアとして、慈善活動にも積極的に取り組んでいる。
 

 

フレディ・ジョンソン

(バッファロートレース蒸溜所)


フレディ・ジョンソンは、バッファロートレース蒸溜所のビジターセンターでVIP顧客を担当するリーダーだ。祖父の代から3代にわたってバッファロートレースに務める従業員として、2002年の入社以来ずっと蒸溜所で働いている。それ以前はジョージア州アトランタでネットワークやオペレーション関係のエンジニアとして成功を収めていたが、20年以上前に父親と交わした約束を果たすためにエンジニアをやめた。その約束こそ、父方の祖父ジミー・ジョンソン・シニアと父ジミー・ジョンソン・ジュニアの足跡をたどってウイスキーづくりに関わることだった。
ケンタッキー州パリスで生まれたフレディ・ジョンソンは、幼少期の夏を母方の祖父と一緒に東ケンタッキーの山中で過ごした。祖父は炭鉱夫で、友人には密造酒づくりに手を染めている者もいたという。フレディが5歳のとき、一家はケンタッキー州フランクフォートに引っ越す。家族と過ごした記憶の中には、狩猟や釣りをしながら当時のジョージ・T・スタッグ蒸溜所を訪ねた思い出もある。
入社から20年以上が経ち、フレディはバッファロートレース蒸溜所で屈指の人気を集めるツアーガイドとなった。幼少期の思い出と蒸溜所の豊かな歴史を織り交ぜたフレディの語り口は、毎年さまざまなツアーで何千人ものビジターを魅了している。オリジナルのカクテル「フレディーズ・オールド・ファッションド・ソーダ」も人気のゲスト体験だ。このカクテルは2019年に登場し、ルートビア、ジンジャーエール、ジンジャービールの3種類から選べる。カクテルの売り上げの一部は、フランクフォートの歴史的な黒人墓地として知られるグリーンヒル墓地の修復用に寄付される。
 

 

ラッセル・アンダーソン

(マッカラン蒸溜所)


貯蔵庫の作業員からマスターディスティラーまで、ラッセル・アンダーソンはエドリントン傘下のウイスキー蒸溜所で37年にわたってさまざまな役割を担ってきた。特にマッカラン蒸溜所への貢献は大きく、2018年から新設された蒸溜所では蒸溜所長の重積も担った。
ラッセル・アンダーソンは、1987年にスペイサイドのグレンロセス蒸溜所で働き始めた。シフト制の労働者として、さまざまな部署を渡り歩きながらスコッチウイスキー業界の経験と知識を着実に築いてゆく。そして1995年にはオークニーのカークウォールにあるハイランドパーク蒸溜所に移り、主に発酵工程を担当して3年間働いた後、スペイサイドに戻ってマッカラン蒸溜所で製造工程の全体を管轄するようになった。
醸造蒸溜研究所の会員となり、本格的に蒸溜技術を学んで複数の一般資格を得たラッセルは、2000年4月に蒸溜所長としてハイランドパーク蒸溜所に戻った。ハイランドパークには12年間在籍し、生産部門全体と貯蔵庫内の原酒管理を担当。ブランドチームと協力して、数々の賞に輝いたシングルモルトを世界中の取引先や消費者に広めた。
ラッセルは2012年に蒸溜所長として再びマッカランに戻り、2017年に生産を開始した総工費1億4,000万ポンドの新蒸溜所とビジターセンターの運営で主導的な役割を果たした。この2024年3月に引退の日を迎えたが、シングルモルトの素晴らしいポートフォリオと遺産は世界中のウイスキーファンへの大きな贈り物になるだろう。
 

 

肥土伊知郎

(秩父蒸溜所)


肥土伊知郎は、17世紀から続く造り酒屋の家系に生まれた。祖父や父と同じ酒類業界でのキャリアを目指すが、その道のりは決して平坦なものではなかった。
東京農業大学を卒業後、サントリーに入社。しかし実家の東亜酒造が経営難に陥り、退社して立ち直しを目指すも家業は民事再背手続きに。祖父の代から羽生蒸溜所でつくってきたウイスキー原酒を販売すべく2004年にベンチャーウイスキーを立ち上げ、「イチローズモルト」の名で小さなボトラー事業を始める。その後、故郷で2008年に設立した秩父蒸溜所は、日本で35年ぶりにウイスキーの製造免許が交付されることで話題になった。
この秩父蒸溜所は、やがてジャパニーズウイスキーの新しい潮流を生み出すパイオニア的な存在となる。後続のクラフトディスティラリーがこぞって肥土伊知郎にアドバイスを求め、日本のウイスキー業界を一変させる先駆者となったのだ。その後、秩父蒸溜所は第2蒸溜所も建設し、北海道の苫小牧でグレーンウイスキーの蒸溜所も建設中だ。ワールド・ウイスキー・アワードでは「モルト&グレーン」の限定商品がワールドベストを受賞するなど、これまでもさまざまな賞に輝いてきた。
肥土伊知郎は、日本のウイスキーづくりで廃れていたフロアモルティングやウイスキー用大麦の栽培を復活させた。地元産の大麦やピートを使用し、「ちびダル」と名付けた独自のクォーターカスクで熟成するなどの革新的なウイスキーづくりも実践している。
高品質なウイスキーをつくるだけでなく、日本洋酒酒造組合の一員としてジャパニーズウイスキーの定義を明確化。生産地ブランドの基準と品質の確保にも尽力している。
 

 

ダヴァン・ドケルゴモー

(ウイスキーライター)


カナディアン・ウイスキー・アワードの創設者であり、1990年代に設立されたモルトマニアックスの元祖メンバー。著書、セミナー、審査員として世界を股にかけ、ダヴァン・ドケルゴモーはカナディアンウイスキー業界の隆盛に貢献している。
主な著書に『カナディアン・ウイスキー:ポータブル・エキスパート』『カナディアン・ディスティラリー・ガイド』。その他にもウイスキー、スピリッツ、カクテルに関するさまざまな著作がある。カナダの全国紙グローブ・アンド・メール紙が、飲食業界で最も影響力のあるカナダ人として2016年に表彰。ニューヨークタイムズ紙の特集(2018年)では、カナディアンウイスキーの知名度向上における絶大な影響力を言及されている。
カナディアンウイスキーに関するドケルゴモーの著作は、業界だけでなく政界からも注目されている。これまでカナダの下院議長2名が、政府公認のウイスキーを選ぶためにドケルゴモーを招待した。国際料理専門家協会のベスト・スピリッツ・ブック賞や、国際グルマン賞で世界のスピリッツ本のトップ3に入賞するなど、評論家としての業績は枚挙にいとまがない。
四半世紀に及ぶ活動の中で、ダヴィンは著作、ウイスキーマガジンの寄稿編集者、自身のウェブサイト(canadianwhisky.org)の情報発信を続けてきた。このウェブサイトでは定期的に話題のウイスキーをレビューし、業界内の時事問題についても論じている。
 

 

方 基胜

(蓬莱市沃林橡木桶公司)


研究者兼および熟成樽のサプライヤーとして、中国の製樽業界で25年以上にわたり活躍してきた方基胜。世界中の蒸溜所に中国産のオーク樽を供給する蓬莱市沃林橡木桶公司(ウォリン・クーパレッジ)の創設者としても知られている。研究業と樽製造の二足の草鞋を履き、中国のウイスキー業界に豊富な知識と技術を伝える役割を情熱的に担っている。
方基胜は、1996年に樽熟成技術の研究者として製樽業界に入った。その4年後、生産技術者として蓬莱全球木業に入社。自身のチームを率いて中国における多様なオーク種の分布、風味の特徴、持続可能な伐採方法などについて研究し、発展途上にある中国産オーク樽産業のための実地データを蓄積してきた。
方基胜の研究により、モンゴリナラやシャングリラオークといった樽材に適した中国産オーク7品種が特定された。さまざまなオーク材でトースティングの実験も続け、データを検証しながら樽材の最適な活性化を研究。重要な技術や知識を世界のウイスキー業界に提供する立場になった。
そして2008年には中国随一の製樽企業である蓬莱市沃林橡木桶公司を設立し、現在も会長兼社長を務めている。国際市場における最大の中国産オーク樽メーカーとして、今後も中国産オーク樽の風味を世界に届けていくことになるだろう。
 

 

ケニー・ワン

(ホワイト&マッカイ)


ケニー・ワンは、中国のスコッチウイスキー界隈で最も著名な人物の一人。中国市場におけるシングルモルトスコッチウイスキーの成長を支えてきた第一人者としても知られ、スコッチに対する深い理解と情熱を国内の消費者やバイヤーに注いでいる。
ケニーは2003年に中華圏担当ディレクターとしてホワイト&マッカイに入社。その後の20年にわたって、市場開発計画やブランド刷新の陣頭指揮を執ってきた。その結果、代表的なブランドであるダルモアを中華圏市場向けの高級ブランドとして位置づけることに成功した。
すでに殿堂入りを果たしているマスターディスティラーのリチャード・パターソンにも触発され、ケニーは商品だけでなくウイスキーづくりの知識を中国本土に広めようと決意。中国全土で開催されるウイスキー展示会を飛び回り、独自のウイスキー教育プログラムを立ち上げた。この20年間で、ケニーのチームは約5万人の消費者にウイスキーの基礎知識を伝導してきた。
ウイスキー見本市、教育、トレーニングなどの多様な局面で、ケニーは現在も中華圏市場の業界関係者との協力関係を広げている。ウイスキー業界への揺るぎない情熱と献身によって、中華圏のウイスキー市場が世界で最も重要な市場のひとつになると確信しているのだ。
 

2004年に創設されたウイスキーの殿堂「ホール・オブ・フェイム」の全表彰者はこちらから。

 

 

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