ホーリールード蒸溜所とエディンバラの未来【前半/全2回】
文:ジェイソン・トムソン
スコットランドで蒸溜所めぐりをすると、たいていの蒸溜所は遠くからでも場所がわかる。屋根の上のパゴダや、丘の斜面に突き出した赤レンガの煙突や、貯蔵庫の黒ずんだ壁などが目印になるからだ。目に見えなくても、空気中に漂う甘酸っぱい麦汁の匂いでわかったりもする。不意打ちを食らうことはほとんどない。
だがホーリールード蒸溜所は、そんな普通の蒸溜所とはまるで違う。古都エディンバラの南側には「アーサーの玉座」と呼ばれる丘があるが、ホーリールード蒸溜所はロッククライマーの聖地としても知られるソールズベリー・クラッグスの崖を見上げる場所にある。周囲の都市環境にうまく溶け込んでいるため、他の蒸溜所のような目印がない。
ホーリールード蒸溜所は、スコットランドで次々に建設されている新進の蒸溜所とも異なる。そもそも専用の建物があるわけではなく、文化遺産(カテゴリーB)に指定された歴史的建造物の中に生産設備を収納しているのだ。
その建物とは、セントレナード駅である。エディンバラ初の旅客鉄道であるイノセント鉄道の終着駅で、周囲に建ち並ぶアパートやオフィスは、すべてエディンバラの厳しい景観保護条例を守っている。町全体が古い駅舎のムードに溶け込むようなデザインで建てられていると言ってもいい。
「本当に面白い建物なんです」
ホーリールード共同設立者のロブ・カーペンターはそう語る。エディンバラの地元住民が、何十年にもわたって機関庫と呼んできた建物だ。だがロブは、この建物に列車が入っていたことはおそらくないだろうと明言する。
「蒸気機関車が登場する以前は、レール上の貨物を馬が引いていたんです。だからこの建物は、馬車馬が食べる干し草の置き場に使われていた可能性が高いでしょう」
蒸溜所を創業する以前のロブは、カナダで企業内弁護士として働いていた。蒸溜所のような夢多きベンチャー事業には、ビジネスと法律の専門知識が不足しがちだ。そんな意味でも、ロブがホーリールード蒸溜所の創業に果たした実務的な役割は大きい。
だからといって、ロブがウイスキーの門外漢だと推察するのは早計だ。もともとロブと妻のケリーは、2011年にザ・スコッチ・モルトウイスキー・ソサエティ(SMWS)のカナダ支部を設立したほどのウイスキーマニアなのである。
カナダでウイスキーを楽しむことに飽き足らず、ロブは蒸溜所建設の構想を広げていた。「もしやるとしたら、どこでやろうか」と考え続け、カナダでの創業も検討したが、結局はスコットランドとエディンバラへの愛が勝った。
「ウイスキー観光がこれだけ盛り上がっているのに、エディンバラにシングルモルト蒸溜所がない。そんな状況に、ずっと違和感を持っていたんです」
そしてロブは2015年末にホーリールード蒸溜所の設立を発表。2019年7月には蒸溜所が一般公開された。
コロナ禍を乗り越えて軌道に
ホーリールード蒸溜所の建設は、他の新しいウイスキー蒸溜所と比べても順調に進んだ。しかしすべてが順風満帆という訳でもなく、かなり大きな問題にも直面した。
多くの蒸溜所にとって、今やウイスキー観光は不可欠な収入源になっている。しかも英国屈指の観光都市であるエディンバラとなればなおさらだ。これからブランドの知名度を確立しようというホーリールードにとって、観光業の停滞ほど悩ましい問題はないだろう。
ホーリールード蒸溜所の総支配人を務めるデブス・ニューマンが振り返る。
「新型コロナウイルスの流行が始まった瞬間には、すべての計画が頓挫するのではないかと覚悟しました」
デブスは観光施設での経験が長く、ロンドン・アイやエディンバラ城などの運営にも関わってきた。ホーリールードには2019年に入社したが、その直前には英国を代表するデザイン美術館のV&Aダンディーをシニアチームの一員として開業させた。
「新型コロナウイルスの大流行によって、エディンバラでもロックダウンが実施されました。毎日のように変化する規制は、まるでジェットコースターのように事業を振り回しました。蒸溜所の運営をどうするか、決断するのが本当に大変だったんです」
当時のホーリールードは、先行発売のジンが酒類市場に浸透し始め、エディンバラでもある程度の存在感を示していた。だがビジネスの細部までオンライン化がなされていなかったため、コロナ禍での活動が制限されることになったのだとロブは語る。
観光客の受け入れが禁止され、ホーリールードは6ヶ月間にわたって閉業状態に追い込まれた。だが同じ時期に、スピリッツの製造を続けたスコットランドの蒸溜所もたくさんある。ロブによると、ホーリールードの立地と製造スタイルが特殊であるため、スタッフの安全を確保することが難しかったのだという。
ホーリールードのチームは、この休止期間を何とか生産的に過ごそうと知恵を絞った。そして新しいブランド戦略、蒸溜所での生産計画、再開後のビジターセンター運営などについて、しっかり検討する時間に充てたのだとデブスは振り返る。
「私たちがいちばん伝えたかったのは、エディンバラと蒸留所のつながり。この街がどれだけ私たちのスピリッツ製造に影響を与えているのかを表明しようと頑張りました。自分たちが、本物のエディンバラ産のウイスキーをつくっていることを示す必要があったんです」
(つづく)