王族たちに愛されたスコッチウイスキーとは異なり、アメリカンウイスキーを広めたのは物議を醸す初代大統領だった。

文:文:クリス・ミドルトン

 

ウイスキーに対して、初めて王室御用達のロイヤルワラントを与えた国王はウィリアム4世だ。ロンドンで1830年代初頭にハイランド産のモルトウイスキー「ブラックラ」を口にし、その味を大変気に入った国王が1833年に蒸溜所に900ガロンのウイスキーを注文した。

ウィリアム4世は、インバネスからイングランドのセントジェームズ宮殿に直接ウイスキーを輸送する勅許を出し、同年12月にはブラックラ蒸溜所を王室御用達に認定した。ウィリアム4世の死から1年半後の1838年、19歳で戴冠したヴィクトリア女王は叔父が保管していたウイスキーを見つける。その味わいが気に入った女王は、王室御用達の認定を更新することにした。

ヴィクトリア女王は、スコッチウイスキーとアイリッシュウイスキーの熱烈な支持者であり、生涯を通じて愛飲することになった。その一方で、アメリカンウイスキーにはあまり関心がなかった。

そんな女王に、自分のウイスキーを気に入ってもらおうとしたアメリカ人がいる。エドモンド・H・テイラー・ジュニアはアメリカンウイスキーのマーケティングを代表する人物で、現代バーボンの世界基準を確立した功労者でもある。みずからケンタッキーで12軒の蒸溜所を経営し、ジェームズ・クロウが定めた原則に従ってウイスキーをつくっていた。

テイラーは、ケンタッキーのウイスキーを「バーボン」とは呼ばなかった。 なぜならバーボンが粗悪で品質が劣るウイスキーだと考えていたからだ。その代わり、自分でつくるすべてのウイスキーのラベルに「Copper distilled, sour mash whiskey(サワーマッシュを銅製蒸溜器で蒸溜したウイスキー)」という言葉を明記していた。

テイラーは1881年にビクトリア女王にウイスキーの樽を贈った。それはおそらくケンタッキー州フランクトンで製造された「OFCウイスキー」だと推測される。この「OFC」とは、オールド・ファッションド・コッパー(古風な銅職人)の略である。テイラーは酒税を最小限に抑えるため、樽入りのウイスキーをリバプールで何年も熟成してからアメリカに送り返していた。

このテイラーは「ケンタッキーで蒸溜された最高級酒」という触れ込みで自分のウイスキーをビクトリア女王に届けようとしたが、女王は受け取ってくれなかった。女王が受け取ってくれたら、「ビクトリア・ウイスキー」と名付けて宣伝しようというのがテイラーの目論見だった。

だが時代は、まだアメリカ独立戦争の記憶が新しい頃。アメリカ人を狂わせる強い蒸溜酒のシンボルとして、自分の名前が後世に語り継がれることをヴィクトリア女王は望んでいなかったのだろう。
 

ラムを駆逐したアメリカンウイスキー

 
テイラーが生まれる以前から、大西洋の向こうでは別のウイスキー史が展開されていた。ここで時間を18世紀まで巻き戻してみよう。アメリカでは1737年の糖蜜法と1764年の砂糖法が独立戦争を誘発し、ついに1776年のアメリカ合衆国独立によって旧世界の社会規範が激しく打ち砕かれた。

当時の糖蜜法と砂糖法は、西インド諸島の英国植民地から輸入される糖蜜への課税を強化したものであった。これがアメリカのラム酒生産に影響を与えたことから、英国政府は現地住民たちの大きな反発を招いた。

アメリカのラム生産は、18世紀の時点で製造業第2位の売上を誇っていた。だがラムは英国の支配を象徴していた国王の権威に結びつき、嫌悪すべき帝国主義の象徴としても捉えられていた。それに比べて、国内産の穀物や地元で製造されたアメリカンウイスキーには最初から好ましいイメージもあったのである。

ラムからウイスキーへの移行は急速だった。ラムは1791年にアメリカの蒸溜酒消費量の66%を占めていたが、1810年には10%以下にまで減少している。

皮肉なことであるが、1794年には新しい蒸溜酒税をめぐる最初の市民反乱が新生アメリカ合衆国の存続を脅かした。ウイスキー税に対する反対運動が起こると、ジョージ・ワシントン大統領はペンシルベニア州での反乱を鎮圧するために1万3千人の軍隊を率いることを余儀なくされたのである。

ヨーロッパの階級制度とは異なり、独立戦争後のアメリカは新しい社会の理想を模索していた。旧世界の高位高官に対する賞賛や模倣は忘れられ、開拓者、発明家、カウボーイ、ガンマン、ならず者などが民衆のリーダーとして英雄化されるようになった。

そのような地位を最初に獲得した人物こそ、アメリカ初のスーパースターであり、国内最大級のウイスキー蒸溜所を所有していたジョージ・ワシントン大統領だ。

マスメディアが隆盛した20世紀には、印刷物、映画、テレビなどが人々の生活に娯楽やスポーツなどのコンテンツを届けるようになった。そこから新たなヒーローの典型像や、時代の寵児となる有名人たちが生まれてくる。

そして21世紀には大衆がSNSにアクセスできるようになって、画面越しに語りかけるインフルエンサーたちが、熱心なフォロワーたちに向けて投稿を重ねている。

統計データの収集と分析を手掛けるドイツのスタティスタ社によると、現代の消費者の20%が有名人やインフルエンサーが宣伝する商品を購入している。ロンドンの情報サービス企業IWSR社が報告するところによると、著名人が宣伝に協力するウイスキーブランドは2024年だけでウイスキーカテゴリーの世界平均より4倍も成長している。またワールドメトリック社の調べによると、SNS上のインフルエンサーが消費者に購入を促す可能性は、メディアに登場する有名人より2倍も高い。

だが初めてウイスキーを飲んでみようとする人にとって、やはり最も影響力のある人物はごく身近な存在である。つまりウイスキーへの扉は、家族、同僚、友人などの勧めによって開かれる事が多い。

そしていざウイスキーの世界に初めて足を踏み入れた後、有名人やインフルエンサーたちがブランドの選択や消費傾向に影響を与えてくるのである。