イノベーションが切り拓いたウイスキー250年史【後半/全2回】
文:クリス・ミドルトン
ボイラーと蒸気機関の発明は、英国で始まった産業革命による画期的な技術革新のひとつである。これが連続式蒸溜機の開発につながり、ウイスキー業界に変革をもたらした。
蒸気の動力によってスピリッツ蒸溜のコストが大幅に削減され、生産量、スピード、効率が向上する。さらにはクリーンなスピリッツが生産できるようになり、幅広い愛飲家にも受け入れやすいスタイルのウイスキーが誕生した。
1794年に初めてスチームパテントスチルが導入され、19世紀初頭からは蒸溜に蒸気を利用するのが一般的になる。これが伝統的なポットスチルから半連続式密閉システム、そして連続式コラムスチルへと急速に発展した。最初のスチームスチルから40年弱の1830年8月に、イーニアス・コフィーがツインコラムスチルの特許を取得している。
このコフィー式スチルの利点は、従来のポットスチル2基分の蒸溜液を10倍のスピードで生産できること。樽入れする前の蒸溜液をつくるコストは、1ガロンあたり70%削減された。
この製造コストは原料によっても異なってくる。大麦モルトのみを原料とするウォッシュ(もろみ)の場合、生のトウモロコシ、オート麦、生大麦を原料とするマッシュよりも3分の1ほど製造コストが高くなる。連続的に稼働する蒸溜機は、労働力、洗浄時間、メンテナンス、燃料費などの大幅な削減を実現した。
ポットスチルによるバッチごとの蒸溜と比較すると、連続蒸溜機の生産効率は極めて高い。ポットスチルでバッチごとに2回以上蒸溜するよりも、燃料とエネルギーの利用効率が75%も向上したのである。
連続蒸溜器で製造するスピリッツは、アルコール度数90%以上の高純度にまで蒸溜される。香味に特徴的な性質をもたらす化学成分は少なく、より軽くて純粋な蒸溜液が生産された。サイレントスピリッツまたはパテントスピリッツとも呼ばれる蒸溜液は、大麦モルト100%ではなく混合穀物を使用していたため、業界ではグレーンスピリッツと呼ばれるようになった。
初期のコラム式蒸溜機は、厚さ15cmの堅木製で、内部は銅でコーティングされていた。ビールやウォッシュの副産物から、有害なフーゼルアルコール(照明用の灯油として販売)やアセトン(後に軍需品やプラスチック製品に使用されたニス)などのエチルアルコールを分離する働きもあった。
英国の連続式蒸溜機で生産されたサイレントスピリッツは、1860年までにスコッチウイスキー、アイリッシュウイスキー、イングリッシュウイスキーのほぼ3分の2を占めるまでになった。このパテントウイスキーに少量のモルトをブレンドすると消費者からの需要も急増。1880年代には、心地よい香味を持つブレンデッドウイスキーが販売の97%以上を占めるようになった。
連続式蒸溜機の歴史
イーニアス・コフィーが1830年に連続式蒸溜機の特許を取得するまで、連続蒸溜の技術はさまざまな人々の貢献によって向上されてきた。1800年から1830年の間に、フランス、ドイツ、スウェーデン、イタリアの発明家数十人が改良を重ねている。
蒸気を使った蒸溜システムの使用は、1790年代にアメリカで始まっていた。アイルランド人のピーター・ウォルフが1767年に連結式ボトルを開発し、フランス人のエドゥアール・アダムがその連結式ボトルを1801年に半連続蒸溜用の蒸溜釜(卵が連なったような形状)として借用した。
ベルギーでは、ジャン=バティスト・セリエ=ブルメンタールが1813年に世界初の精溜塔による部分蒸溜システムを開発。ルイ・シャルル・デロヌとアルマン・サヴァルが、さらに改良を加えた。
1820年代初頭のアイルランドでは、ジョセフ・シーがレトルト式蒸溜器を連結。アンドリュー・ペリエが半同心の仕切り板を設計した。イングランドでは1818年にジョセフ・コルティが複合蒸溜機を開発したが、これはドイツのヨハン・ピストリウスの設計をモデルとしている。
スコットランドでは、1828年にジョン・スタインが噴霧ポット式レトルトを発明。ジャン=ジャック・サンマルクが1825年に7室の精溜器で特許を取得した。この精溜器をアイルランドの蒸溜所に設置した際、当時スピリッツメーカーの検査官を務めていたイーニアス・コフィーは、出来上がった蒸溜酒が「純粋すぎる」という理由で蒸溜酒製造免許を交付しなかったというエピソードもある。
1830年代以降は、密閉式で多室構造の半連続式木製スチーム蒸溜機がアメリカとカナダのウイスキー生産で活躍する。南北戦争後、連続式の銅製ビアコラムがダブルスチルに接続され、バーボンの生産を独占し始めた。このアメリカ式の蒸溜技術は、トウモロコシやライ麦に特有の濃厚なマッシュを蒸溜するために開発されたものだった。
インターネットに接続されたコンピュータの破壊力
コンピュータとデジタル革命は、ウイスキー蒸溜所にとって極めて有益な変化をもたらしている。供給、生産、在庫管理、販売管理の業務効率は、デジタル化で飛躍的に向上した。
今日では、デジタルデータがウイスキービジネスのあらゆる部分に浸透している。従業員やパートナーが即座に情報にアクセスし、相互に意思を疎通させて、適切な予測を立てることが可能になった。
コンピュータが最初にウイスキー業界を変え始めたのは、蒸溜所の生産を監視する役目を担っていた物品税検査官がコンピュータに置き換わった時だ。オーストラリア政府は、1968年に「コンピュータ化された会計システムと新しい合理化された手続き」を理由に現場検査官を廃止した。
英国では1983年に、米国では1984年に、それぞれ物品検査官が廃止されている。老舗の蒸溜所がデジタル技術の導入に遅れをとる一方で、1990年代にはコンピュータ化されたシステムが徐々に浸透し、新設の蒸溜所ではラップトップから遠隔操作で操業できるようになる。21世紀になると、クラウドソフトウェア、Wi-Fiモニタリング、さらにはAIアプリケーションによって穀物の仕入れから販売までが操作できるようになった。
デジタルデータが普及することで、トレーニングや教育も国境を越えた。高等教育コース、業界知識、ベストプラクティス、ビジネス管理、貿易データ、ニュースなどの重要情報に、必要な人が即座にアクセスできるようになっていった。
パーソナルコンピュータの登場に続き、1990年代にはインターネットが普及した。消費者は商品情報、教育フォーラム、ブログ、SNS、オンラインショッピングなどにアクセスできるようになった。
2010年までに、従来のメディアやマーケティングの多くをSNSが担うようになった。消費者へのアプローチ、購入者へのメッセージ発信、蒸溜所へのバーチャルツアーなども進化を続けている。
Eコマースの普及によって、消費者は簡単にお気に入りのブランドを購入し、詳細な情報にアクセスできるようになった。さらにAIアルゴリズムが台頭し、それぞれの消費者の好みを把握した上での情報提供も可能になった。ウイスキー消費は、今やインターネットの情報と密接な関係がある。
革新的な発明を支えた神の金属にも感謝
最後に、ウイスキー製造に欠かせない銅という金属についても言及しておきたい。銅器時代は、人類が石器時代から金属工具を駆使する移行期だった。文明の知識が、宝飾品や斧から宇宙時代へと発展する土台もこの時代にできている。
初期の蒸気機関は銅で製造されて産業革命につながった。銅線は電気の伝導に最も適しており、デジタル革命におけるコンピュータのマザーボードにも欠かせない。
銅製の蒸溜器とパイプ類は、飲みやすい香味のウイスキーを製造する上でも不可欠だ。人類の進歩とウイスキー業界の進歩において、銅はこれらの重大な発見を促進する上で重要な触媒となった。水、大麦、酵母などの原料があっても、銅がなければ人類がウイスキーを味わうことはなかったであろう。