日本の新進バーがアイコンズ・オブ・ウイスキー(IOW)でノミネート

February 17, 2020


「アイコンズ・オブ・ウイスキー(IOW)」は、ウイスキーマガジンの発行元でもある英国パラグラフ・パブリッシング社主催の世界的なコンテスト。レスト・オブ・ザ・ワールドの2部門でノミネートされた「アロハ・ウイスキー・バー」のデービッド・ツジモトさんに独占インタビュー。

聞き手:ステファン・ヴァン・エイケン

 

今年で第18回目を迎える「アイコンズ・オブ・ウイスキー(以下IOW)」は、ウイスキーマガジンの発行元でもある英国パラグラフ・パブリッシング社主催の世界的なコンテスト。「ワールド・ウイスキー・アワード(WWA)」が製品としてのウイスキーを対象とするのに対し、IOWは世界のウイスキー業界に著しい貢献を果たした企業、蒸溜所、人物、小売店、バーなどを表彰している。2020年のIOWで、日本の関係者が2部門のアイコンにノミネートされた。しかも1人で2部門という異例の推挙である。バー・オブ・ザ・イヤーへのノミネートは「アロハ・ウイスキー・バー」。そしてバー・マネージャー・オブ・ザ・イヤーへのノミネートは同店のオーナー兼バーテンダーを務めるデービッド・ツジモトさんだ。さらに驚きなのは、「アロハ・ウイスキー・バー」がつい最近開店したばかりの新しいバーであるということ。昨年9月にオープンして、1年以内のノミネートは偉業である。早速デービッド・ツジモトさん本人に話をうかがった。

 

姓から日本人であろうと想像できるのですが、日本の一般的なオーナー兼バーテンダーとは異なったバックグラウンドですね。

 
民族的には100%日本人ですが、ハワイで生まれ育ちました。両親は2世と3世の日系アメリカ人です。家族全員、日本人に見えますが、誰も日本語を話せません。だから日本で仕事をすると、いろいろな混乱を巻き起こしてしまうのはご想像の通りです。でもこの混乱には、人を和ましてくれる力もあるんですよ。日本人の友だちのなかには、いまだに「デービッドはわざと日本語を話せないふりをしているのだ」と信じている人もいます(笑)。
 

ウイスキーに関心を持ったきっかけは?

 
ウイスキーを初めて好きになったのは中学生の頃。父がジョニーウォーカーブラックラベルを教えてくれました。ディナーで外食するたびに、最初のひと口を舐めさせてくれたものです。そこから成長するにつれてひと口の量がどんどん多くなり、高校時代のパーティーにはジョニ黒のボトルを持参するようになります。あるパーティーで、友人が私のジョニ黒を一瓶飲み干してしまいました。その変わりに、彼が次のパーティーに持ってきたのはジョニ赤。この日の悪酔いのせいで、21歳になるまでウイスキーとは距離を置くことにしました。念のため言っておきますが、未成年の飲酒は禁じられているので当店では決して許可しませんよ。
 

世界的なアワードに推挙された日本のバーは、意外なほど新しい。だがウイスキーに対する店主の情熱は桁外れだ。

お酒が飲める歳になった頃には、ジャックダニエルのロックとスコッチのソーダ割りが自分の定番でした。シングルモルトに初めて出会ったのは2007年のこと。銘柄はラフロイグで、すぐ大好きになりました。スモーク香と海のような風味を、どうやってウイスキーの味わいに溶け込ませるのか本当に不思議で。そんなふうにウイスキーは大好きだったのですが、自分で意識して買ったのは2017年のことです。当時は川崎市の大学で英語を教えていましたが、幼なじみ(あのジョニ黒を飲み干した男です)が電話してきて「おい、俺のために響17年を買ってくれないか?」と頼んできました。ジョニ黒事件の過去を持ち出してすぐ断りましたけど。
 
それでもまあ、調べてやることにしたんです。でも2週間探し回っても見つかりません。友人は「じゃあ代わりに響12年でいいから」と言うのですが、これもどこにもありません。もう完全に諦めかけていたとき、酒屋の棚に響12年が1本だけ置いてあるのを見つけたんです。このときの感動といったらありませんよ。そのウイスキーを買って、友人には「見つからなかった」と嘘をつき、自宅に持ち帰って自分で飲んでみました。この味わいが、第2の感動。気づいたら、800本ものウイスキーを購入して東京でバーをやっていました。
 

本格的なウイスキーファンになってわずか2年強。急速な進化はどうやって起こったのでしょうか?

 
英語教師を続けながら、ハンターのように毎日なにがしかのウイスキーを手に入れようと決めていました。週末になるとグーグルマップを頼りに遠くまで足を伸ばし、日中のウイスキー探しと夜のウイスキーバー訪問をInstagramで日記代わりに投稿しました。この苦闘の過程を記したインスタが注目され、世界中のウイスキーファンにフォローされ始めます。
 
ちょうどその頃、父の具合が悪くなったので、看病するために仕事をやめてハワイの実家に帰りました。地元のウイスキーファンで愛好会を作ると、会員も500人以上まで増えていきます。その頃からウイスキーは完全に心の癒やしとなっていましたが、別に依存症になった訳ではありません。ウイスキーがきっかけで新しい友人たちと出会い、苦しい時期に支えてもらえる絆が得られたのです。でもそのウイスキー熱のおかげで、かつては禅寺のようにシンプルだった我が家がボトルの山になってしまいました。
 

自分のバーを持ちたいと考えたのはいつのことですか? ウイスキーバーを生業にしようと思った理由は?

 
バーを開こうと思ったのは、自分のなかでウイスキーの存在がどんどん大きくなっていったからです。もう父のグラスで味わっていた飲み物ではなく、友人に嘘をついてまで入手した響12年にも留まりません。ウイスキーは人生の目的になり、追い求めるべき理想となり、トロフィーのように価値ある存在となっていたのです。自分が飲みたいから買った最初の動機はすっかり忘れていました。正直に言えば、自宅を埋め尽くすボトルの山を眺めて、「おいおい、これをいったいどうしたらいいんだ」と頭を抱えていたのです。結局のところ、ウイスキーを仕事にしたのは必然の成り行きで、そんな自分の運命をずっと有り難く感じています。
 

外国人が日本でバーを開店する際に、どんな障壁がありますか? 同じような計画をしている人にアドバイスをするとしたら?

 
日本で外国人がバーを営業するには、かなり厄介な問題が3つあります。まずは正式なビザの取得。2つ目は事業の登録。3つ目は場所探しです。ビザの有無に関わらず、最初の2つの問題は法律の専門家に任せたほうがいいでしょう。費用は高く思われるかもしれませんが、自分でやろうとしたら必要経費も含めてその倍額がかかります。時間に至っては4倍くらいになるでしょう。
 
資金面で問題があったら、JETROに相談することをお薦めします、外国人や外国企業が、東京に(東京限定という点に注意)事業拠点を設ける手伝いをしてくれる独立行政法人です。最後の場所探しは、まず良い不動産業者を紹介してもらうこと。条件にあった場所を探してもらいながら、知り合い全員に良い場所を知らないか尋ねておきましょう。私の場合も良い場所は見つかりましたが、アメリカ人のバーと聞いただけで酔っ払いの喧嘩を連想する大家さんたちに敬遠されました。最終的には、親しい友人の紹介でこの場所を見つけることができました。
 

店主がハワイ生まれで、店名も「アロハ・ウイスキー・バー」。でもハワイとウイスキーの接点はちょっと謎です。なぜあえてこの名前にしたのですか?

 
その答えになりそうな面白い話があるんです。ある夜、地元のお客さんが看板を見て一人でふらりと来店されました。店のドアには窓がついているので、私は微笑みながらも緊張した心持ちでお客さんを見つめます。お客さんの頭の中には、砂浜、ティキトーチ、傘付きのマイタイみたいなイメージが浮かんでいるのは明らかでした。そして、店内であたりを見回しながら、ポカーンとした様子で「なんでアロハ・ウイスキーなの?」と尋ねてきたのです。あまりにも率直な質問なので、思わず笑みがこぼれました。
 
その質問に答えようと、バーの一番奥に誘って、フラの手付きで小さなパイナップル型のウイスキー用デキャンタを指差しました。「これが理由です」と言うと彼も微笑んだので、「ウイスキーもハワイもあたたかい気持ちになる」と続けたら、またポカーンとしてしまいました。そこで慌てて私がハワイ出身であること、ハワイ産のビール、ウイスキー、ラムも置いていることを熱弁。まだまだ言い足りなかったのですが、彼は「わかった、わかった」と椅子に座ってくれました。今でも月に数回来てくれるお客さんですが、そのたびに新しいハワイのシンボルをお見せしています。
 

小さくて親密な雰囲気のバーですね。スペースが限られている中で、どんなウイスキーを揃えていますか?

 

ハワイアンウイスキー「アラワイ」の全ラインナップを味わえるバーは国内でここだけ。日本とハワイの橋渡しもフジモトさんのライフワークだ。

まだ出来たばかりのバーなので、ジャパニーズウイスキーのセレクションは健全です。つまりタイミング良くジャパニーズウイスキーブームの影響をかわすことができたため、山崎、響、白州、マルス、厚岸、キリンなどのボトルがまだ豊富。秩父は壁一面を覆い尽くすようなコレクションがあります。スコッチならベン・ネヴィスとスプリングバンク。新旧のバーボンも専用棚に並べています。それに加えて、親切なお客さんや友人たちが世界中からボトルを持参してくれるため、日本市場には出回っていないボトルもお楽しみいただけます。そして間違いなく他店と違うのは、数々の賞に輝いているハワイアンウイスキー「アラワイ」のラインナップを網羅した国内唯一のバーであるということです。
 

ハワイアンのウイスキー愛好家として、どんなことを大切にしていますか?

 
私がハワイから持ってきたのは、アロハスピリット。誰でも笑顔であたたかく迎え入れ、どんなときでも心を開くという精神です。爽やかな陽光と白砂のビーチのような心地よさを感じてください。また池袋にある「ジェイズバー」や「イレブン」などのバーで学んだのは、ウイスキーの価値をしっかりと尊重すること。店側の意図や、イメージや、テーマを押し付けてはいけません。常に調和を保ちながら、個々のお客さんのご要望に応えることが目標です。
 

アイコンズ・オブ・ウイスキー(以下IOW)では、一度に2つのノミネートを受けましたね。

 
一報を受けたときも、そして今でも、ちょっと信じられないような、恥ずかしいような、感謝の気持ちでいっぱいです。本当に信じられなかったので、翌朝まで待って本当に受賞したことを確かめてからSNSに投稿しました。自分が受け取っていいのだろうかという迷いもありましたが、今ではアロハ・ウイスキー・バーの開店を可能にしてくれたすべての人々の栄誉であると考えるようになりました。そう思うことで、やっと喜びや有り難みを感じられるようになっています。「アロハ」には、こんにちは、さようなら、ありがとう、愛してるなどの意味があります。だからみなさんに「アロハ」の言葉を贈りたいと思います。
 

「アロハ・ウイスキー・バー」とご自身の目標を教えてください。

 
短期的には、経営をしっかりと軌道に乗せてスタッフを大切にすること。売り上げで椅子やサウンドシステムなどを新調して、少しずつバーを進化させたいですね。長期的には自分の樽をボトリングして、店外でのテイスティングやイベントも開催したい。店外の活動で自分の生活を安定させられたら、アロハ・ウイスキー・バーをいつも良質なウイスキーがお手頃価格で楽しめる場所にできるからです。もっと成功したら、日本でハワイアンレストランを開店したいと思っています。フルーツパンケーキやロコモコじゃなく、現地のハワイアンが食べる本物のハワイ料理で!」

 

アロハ・ウイスキー・バー

 

  • 住所:東京都豊島区西池袋3-29-11 泉ビル3F-B(〒171-0021)
  • 電話:03-6912-7887
  • 定休日:火曜日
  • 営業時間:午後6:00~11:30
  • チャージ:500円

  池袋駅のC3出口から通りをはさんだ場所にあり、雨の日でも濡れずに行ける便利な場所です。

 

 

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