嘉之助蒸溜所でメローなウイスキーづくりが始動【前半/全2回】

April 16, 2018

九州地方の鹿児島県で、またウイスキーづくりの新拠点が誕生した。4月28日の一般公開を前に、小正醸造の嘉之助蒸溜所を訪問。新事業に乗り出した経緯と、将来のビジョンを探る2回シリーズ。

文・写真:ステファン・ヴァン・エイケン

 

焼酎づくりの伝統があるのは、嘉之助蒸溜所の明らかな強みだ。自社のノウハウも駆使しながら、蒸溜でも熟成でも意欲的なチャレンジに乗り出そうとしている。

日本のウイスキー史を振り返ると、つい数年前まで九州地方はほぼ不毛の地だった。だがそんな時代もすでに遠い過去のように感じられる。情熱と先見の明に満ち溢れた人々が、この地に新しいウイスキー蒸溜所を建設した。それも1軒ではなく2軒。場所はともに鹿児島県である。今回は新しい方の蒸溜所を訪ねてみよう。小正醸造が運営する嘉之助蒸溜所は、鹿児島県西部の日置市にある。

小正醸造の創立は1883年。初代の小正市助が1905年に免許を取得し、短期間で鹿児島県屈指の焼酎メーカーに成長した。1953年からは2代目社長の小正嘉之助が舵を取り、日本全国に焼酎の魅力を広めるべく尽力を続けた。

小正嘉之助が家業を継ぐ2年前から、小正醸造はウイスキー用と同タイプのオーク樽で米焼酎を貯蔵し始めている。6年間の熟成を終えた「メローコヅル」が新発売されたのは1957年のこと。その後の成り行きは、鹿児島県民なら誰でも知っている。「メローコヅル」は多くの酒通たちに愛され、発売開始から60年以上経った現在でも小正醸造を象徴する人気銘柄である。

小正醸造の社内で、ウイスキー蒸溜所設立の計画が生まれたのは2015年のことだった。 焼酎づくりの歴史も130年を超え、働く人々は新しい挑戦を求めていた。蒸溜所建設を主導したのは、創業家4代目にあたる小正芳嗣専務。2003年に小正醸造に入社し、生産部門でさまざまな分野を担当してきた。海外の日本風居酒屋をはじめとする飲食店で焼酎の魅力をアピールし、国際的な日本関連コミュニティーで認知拡大に務めてきた実績もある。

 

焼酎王国から生まれたチャレンジの萌芽

 

海まで100mの敷地という恵まれた立地の嘉之助蒸溜所。隣接する吹上浜は日本最長の砂丘としても知られている名勝だ。

樽熟成は、小正醸造が過去60年にわたって技術を蓄積してきた分野でもある。だがその詳細は、焼酎の厳格な規制に沿ったものだ。瓶詰めする焼酎の色に関するルールは殊更に厳しい。一定水準を超えて濃い色になったり、基準以上に樽の成分を取り込んだら違反になる。そのため革新的なチャレンジは難しい事情があった。だがウイスキーなら、熟成に関する制約は適用されない。そのため小正醸造としても、新しい挑戦をするのなら、焼酎の枠内で工夫するよりもウイスキー蒸溜所を設立してしまうのが理に適っていたのである。

最初の障壁は、ウイスキーの製造免許を取得することだった。小正醸造には製造地を変更するだけで済む旧来のウイスキー製造免許がなかったので、新規の許可を申請する必要があった。焼酎王国の鹿児島県にあって、このプロセスは容易なものではない。地元の税務署を動かすために、かなりの努力が費やされた。ようやく製造免許が下りたのは申請からほぼ1年後。ウイスキー用施設がすべて整った頃だった。

新しい蒸溜所の建設地には、会社所有の空き地が選ばれた。3軒ある焼酎貯蔵庫の隣である。このロケーションがまた素晴らしい。東シナ海を眼下に望み、海まではわずか100mほど。敷地が面している吹上浜は南北47kmもある日本最長の砂丘で、白砂の美しさから日本の渚百選にも選ばれた名勝だ。

この建設地には、会社と小正家にとっても特別な因縁があった。2代目社長の小正嘉之助が「メローコヅル」の本拠地となる建物を建設しようとした場所なのだ。1982年から始まった計画の詳細を示す資料も残っている。だが嘉之助がこの世を去ったことで計画は中断。空いた土地だけが残されていたが、ウイスキー蒸溜所建設の機運が高まったことで、すべてのピースが繋がったのである。

蒸溜所の近くにある美山地区は、薩摩焼の発祥地として有名な陶芸の里だ。つまり蒸溜所周辺は、クリエイティブなものづくりが数百年にもわたって営まれてきた地域でもある。

 

地元とスコットランドの先達にノウハウを学ぶ

 

小正醸造が創設した嘉之助蒸溜所の一般公開は4月28日。クリエイティブな伝統も豊かな鹿児島県で、また新しいウイスキーづくりの歴史が始まっている。

蒸溜所の設備を整える際に、本坊酒造から助言が得られたのは幸いである。小正醸造が蒸溜所建設を計画し始めた時期に、本坊酒造もまた同じ鹿児島県で津貫蒸溜所を建設している最中だった。津貫蒸溜所は嘉之助蒸溜所から国道270号線で南にわずか40分。焼酎ではライバル関係にある両社だが、60年以上もウイスキーづくりに携わってきた本坊酒造のアドバイスはありがたい。

小正醸造は、蒸溜所運営に関するアドバイスを海外にも求めた。実際に手を動かしてウイスキーづくりを学ぼうと、小正芳嗣は焼酎蒸溜所のスタッフ2名を連れてスコットランドを訪問。ストラスアーン蒸溜所のウイスキースクールに参加したのが2016年5月のことである。スクールはわずか1週間のコースで、生産規模も嘉之助蒸溜所とは異なっている。ストラスアーンはスコットランド最少クラスの蒸溜所で、マッシュはわずか300kg。一方の嘉之助蒸溜所はマッシュが1トンある。それでも小正芳嗣氏は、この1週間で何物にも代えがたい貴重な体験が得られたと振り返っている。

スコットランド滞在中に、小正醸造のチームはアイラ島、スカイ島、スペイサイドでさまざまな蒸溜所を訪ねた。なかでも深く印象づけられたのは、コンパクトに設計されたバリンダロッホ蒸溜所のレイアウトだったという。バリンダロッホ蒸溜所は、2014年9月にスペイサイドで操業を開始した新進の蒸溜所。生産規模も嘉之助蒸溜所の計画に極めて近い。例えば、バリンダロッホのマッシュは嘉之助蒸溜所と同様に1回1トンである。その他の蒸溜所の仕様については、自社内での焼酎づくりからもヒントを掴んでいた。焼酎用に採用してきた蛇管式のコンデンサーもその一例ある。

導入する実際の設備については、海外メーカーに頼る必要はなかった。すでに津貫蒸溜所も採用していた三宅製作所に決めていたからである。蒸溜所の建設は2017年3月にスタート。生産設備はやや遅れて夏に運び込まれ、ウイスキー製造の免許が11月に下りた。正式に生産を開始したのは11月13日である。

次の大きなマイルストーンは、2018年4月28日に予定されている一般公開だ。ビジターセンターのオープンを記念して、同日には初めての公式商品となるニューメイクのミニボトル(200ml)も発売される。最初は蒸溜所限定商品として扱われるが、6月以降は日本全国でも入手可能になる予定だ。

(つづく)

 

 

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