ラベルを読む・3【農夫のウイスキー 前半/全2回】

January 20, 2014

ウイスキーのラベルに関する連載の第3回では「シープ・ディップ」と「ピッグス・ノーズ」を取り上げる。

羊のラベルと豚のラベル。
どちらのブランドも1970年代に売り出されたが、21世紀の初めには事実上忘れ去られていた。それが数年前、スペンサーフィールド・スピリッツの創設者、アレックス・ニコルによってしっかりと埃を払われて見事に生き返った。

ニコルは飲料業界の新参者ではなく、少し挙げるだけでもホワイト&マッカイラフロイググレンモーレンジィなどで働いてきた実力者である。グレンモーレンジィ蒸溜所では、大きな賞賛を浴びたウッドフィニッシュシリーズの開発の共同責任者でもあった。

彼の現在の本拠はファイフ州インヴァーカイシングという町だ。ここにスペンサーフィールド・ファームがある。
ここは歴史的な場所でもある。15世紀にはフランシスコ会(WMJ註:13世紀のイタリアでアッシジのフランチェスコによってはじめられた、カトリック教会の修道会)からジョン・スコットという人物に与えられた城塔が建っていた。1651年のインヴァーカイシングの闘いでは、その周りで国王軍とクロムウェルの軍が戦った。スペンサーフィールドは度重なる砲撃だけでなく、ウイスキーを大量に飲んだ挙げ句に家具を「作り直した」兵士たちからも重大な損傷を被った。

インヴァーカイシングはたまたま、農夫でウイスキー蒸溜業者のジェームズ・アンダーソンが生まれたところでもある。
彼は18世紀に新世界で運を試すべくアメリカに旅立ち、最終的に他ならぬ初代アメリカ大統領、ジョージ・ワシントンの元でマスター・ディスティラーになった。
1797年にワシントンが彼に出した手紙がその事実を証明している:
「蒸溜所というものは私にとって全く未知のビジネスですが、あなたの知識とそこから得られる利益に対するあなたの自信を信じて、私も参加してみようかという気になっています」
アンダーソンは結局、バージニア州にあるワシントンの所有地、マウント・バーノンに蒸溜所を建設し、退職した元大統領はすぐにいくばくかの利益を得ることになった。

アレックス・ニコルは農夫でもあるが、何よりもウイスキーのつくり手だ。現在のスペンサーフィールド・ファームは大麦畑に囲まれ、敷地内では数頭の馬や 「ダグ・ザ・デリバリー・ドッグ(配達犬ダグ)」をはじめとする様々な動物が歩き回っている。

端的に言って、この場所には歴史とウイスキーが染み込んでいる。「シープ・ディップ」「ピッグス・ノーズ」には最適な場所だ。
しかし、この2つの名前はどこからきたのだろう?
かつては、農夫が望ましくない降雨にさらされた大麦から、自家用にウイスキーを蒸溜することは一般的だった。彼らは税金を避けるために、そのスピリッツを羊の病気のための有名な治療薬、「洗羊液(「シープ・ディップ」)」と称した。また、この言葉は一日の重労働の後にパブで飲む、「ビールの次に楽しむ一杯のウイスキー」をも意味していた。

【後半に続く】

カテゴリ: Archive, features, TOP, テクノロジー, 最新記事