ラベルを読む・4【キング&クイーン 後半/全2回】

April 16, 2014

ウイスキーのラベルから様々な世界を読み取る連載第4回。ラベルに描かれた王と女王は、必ずしも理想的な国王ではなかった…? その人物像に迫る。

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女性王族もウイスキーのラベルとブランドに惜しげもなく使用されている。
例えば、エリザベス1世。前半に登場したヘンリー8世の娘にあたるが、母親でヘンリー8世の2番目の妻、アン・ブーリン(別名、ナン・ブリン)は王が離婚を望んだために斬首された。
エリザベス1世の治世は1558年から1603年に亡くなるまでと長く、テューダー朝の最後の君主として知られる。彼女の時代に、英国の劇が盛んになった。ウィリアム・シェークスピアと同時代でもある。あだ名は「処女王(バージン・クイーン)」(この点については今も歴史家の間で熱い論争が続いている)、「 よき女王ベス」、「グロリアーナ(栄光ある者)」

メアリー・スチュアートは1542年から1567年までスコットランド女王(メアリー1世)だった(WMJ註:カクテル「ブラッディ・メリー」の名前の元になったイングランド女王メアリー1世とは別人)。
1567年の反乱で、1歳の息子であるジェームズ6世を後継とし退位を余儀なくされ、従姉妹のエリザベス1世の庇護を求めてイングランドに逃げた。が、これはあまり賢明な動きではなかった − かつて彼女はイングランドの征服を試みたことがあったからだ。
この事を忘れていなかった「よき女王ベス」は直ちに彼女を幽閉し、18年後、メアリーは国家反逆罪で処刑された。この間、彼女は様々な城に幽閉されたにもかかわらず、エリザベス1世の暗殺計画に3度も関与したと言われている − 権謀術策、華やかなりし頃よ。

エリザベス1世は結婚せず、直系の世継ぎを持たずに亡くなったため、結局はスコットランド人がイングランドの王位を継ぐことになった。スコットランド王ジェームズ6世イングランド王・アイルランド王ジェームズ1世になったのだ。
彼の治世は、前任者たちの誰も達し得なかった58年もの長きにわたった。彼はアイルランドのアルスター地方にスコットランドとイングランドの新教徒を意図的に移民させた「アルスター植民」の扇動者として知られている。そのため彼は「アイルランド問題」に、そして独立国としての北アイルランドの成立に、大きく寄与した。

割愛できない王族として、スコットランド王ウィリアム2世でもあったイングランド王ウィリアム3世がいる。スコットランドとアイルランドでは「キング・ビリー(King Billy)」と呼ばれた。
彼はオランダからイングランドを攻撃して、イングランド王ジェームズ2世(かつスコットランド王ジェームズ7世を王座から追い出し、1690年にはボイン川の戦いで打ち負かした。余談ではあるが、ウィリアムはジェームズの娘のメアリー2世と結婚していた(!)。そして1694年に彼女が亡くなるまで共同統治し、その後も1702年3月8日に死を迎えるまで王位を維持した。
彼は忙しい男だった − 長い間、王としての職務に加え、オランダ諸州(ホラント、ゼーラント、ユトレヒト、ヘルレ、オーファーアイセル)の「総督」としての仕事も兼ねていた。さらにはフランスと戦い続けることに特に関心を寄せていた。

ラベルに描かれた王の最後の例は、大英帝国の支配者、ジョージ6世。君主としては相当に異論が多い。
一方では、浪費癖があり、片っ端から女性を口説く大酒飲みとして名を馳せ、かなりの自己中心主義者と見なされた。1830年に彼が亡くなったとき、タイムズ紙(The Times)は次のような死亡記事を書いた:「彼は常に、政治や説教より若い女性と酒を好んだ」。
その一方、存命中はウィットと知性を称賛されもした。ナルシストの傾向があったことは、治世中に「陛下」像が数多く建てられたという事実からよく分かる。トラファルガー広場には、馬上のジョージ像がある。この風変わりな王はブライトンのロイヤル・パビリオンを建てた人物でもある – 英国の宮殿というよりインドの寺院に近い建物だ。

ともあれ、自国にどのような貢献をしたにせよ、これらの王や女王は物語や宗教の中に、そして建物や銅像としてだけでなく、ブレンドウイスキーとシングルモルトウイスキーの世界でも生き続けている。

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