映像作品でウイスキーが語ること【後半/全2回】
文:クリスティアン・シェリー
イブニングドレスを着てハイヒールを履いた女性が、ウイスキーを飲んでいる。そんな場面に観客が違和感を感じてしまうようなら、作中にそんなシーンは受け入れられない。劇中すべての出来事は、ありそうなことだけでは足りず、観客にとって必然の流れに見えなければならないのだ。
だがその一方で、脚本家たちは長年の先入観を覆すことに深い満足感を得る人々でもある。そんな一人であるマイケル・ピッカリングは、メスメリックメディアの共同創設者兼エグゼクティブプロデューサーとして大人気テレビドラマ『ザ・ワイヤー』などの脚本を手がけた経験を持つ。
「シングルモルトウイスキーに詳しい女性を主人公にしたり、特にタフそうでもない登場人物がウイスキーをストレートで注文するシーンを入れたりすることで、視聴者には強い印象が残ります。それは例えばウイスキーをショットを飲むトニー・ソプラノ(テレビドラマ『ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア』)や、バーボンが好きなジョン・ダットン(テレビドラマ『イエローストーン』)のように「いかにも」な設定より多くを雄弁に語ってくれるのです」
少なくともアメリカでは、テレビ番組での描写も一因となってバーボンウイスキーへの関心が高まってきた。一般の人々によるウイスキーへの眼差しは、時代にあわせて大きく変化しつつあるとピッカリングは考えている。
「視聴者の見識は、進化しています。ウイスキーを飲むことはごく当たり前の行動になり、あらゆるタイプの登場人物と関連付けやすくなっています」
ウイスキーが登場人物について語る内容だけでなく、ウイスキー自体が象徴する物語も重要だ。ピッカリングは、少なくとも男性の登場人物については、ウイスキーが大きく2つのことを象徴していると考えている(女性はウイスキーを飲む女性の歴史自体がまだ短い)。
かつてウイスキーは、男性にとって友人のような存在だった。例えば1950年代のフィルムノワールで、探偵が難事件を解決する前にウイスキーを飲みながら考えを巡らせるような場面だ。
またウイスキーはステータスシンボルとしても登場する。スパイアクションコメディ映画『キングスマン:ザ・シークレット・サービス』(2014年)に登場する「ダルモア62年」はその好例であろう。
観客がウイスキーに抱くイメージによって、そのウイスキーを飲む人物の背景が語られるだけでなく、ウイスキー自体が独自の個性を持ってシーンに意味を与えてくれることもある。脚本家たちにとっては、特定のブランド名を挙げることでそのような物語を解体していく楽しみもあるだろう。
そんな例として、ピッカリングは非常に特徴的なラベルを持つブレンデッドスコッチウイスキー「J&B レア」を挙げている。イタリアのホラースリラー映画である『ジャッロ』にも頻繁に登場した銘柄だ。
「このウイスキーを飲んでいたのは、上等なスーツを着た静かな男たちでした。屈強な男たちという印象ですが、飲んでいるのは手頃なウイスキーです」
シングルモルトの「ダルモア62年」は数千万円もするが、「J&B」はたかだか数千円である。これらの登場人物の男くささが、ウイスキーの価格によって損なわれていないという事実は興味深い。年齢や性別を踏まえたウイスキーの効果を最大限に誇示している例は、映画『007 スカイフォール』でM役を演じたジュディ・デンチがザ・マッカランを飲んでいる場面である。
上記のような論点を説明する例として、ピッカリングは1999年の青春映画『アメリカン・パイ』を挙げた。主人公のフィンチ(18歳)が童貞喪失のチャンスを得るのは、ジェニファー・クーリッジ演じるスティフラーの母親と一緒に18年もののシングルモルト(これも小さなジョーク)を飲むのがきっかけだった。つまり友人たちが飲んでいるビールやフルーツポンチを避け、大人らしく振る舞うという象徴的な瞬間でもあった訳なのだとピッカリングは説明する。
「ウイスキーをステータスとして利用した脚本の一例ですね。しかも上品な飲み物とされるシングルモルトを選び、年上の女性に好印象を与えようと頑張る話の流れでした。ウイスキーが意識的に選ばれた面白い例だと思います」
映画やテレビは社会の変化を移す鏡
視聴者としても考えてしまうことがある。脚本家が登場人物や場面を創作する際に、あらゆるテーマについて問題提起や啓蒙をしなければならない責任はあるのか。例えばウイスキーの描き方で、ジェンダーの格差や階級社会について正しいメッセージを伝える必要があるのか。ボロトニックは答えて言う。
「それはメディアの種類によりますね。脚本家には、まず観客を楽しませるという責任があります。そういう楽しさを提供しながら、啓発や教育みたいなことも同時にできるのが理想ではないでしょうか」
ボロトニックが例に挙げたのは、サッカーコーチが主人公のコメディドラマ『テッド・ラッソ:破天荒コーチがゆく』だ。
「テレビ番組史上で、いちばん好きなドラマのひとつです。思わずクスクス笑ったり、爆笑したり、登場人物たちとずっと一緒にいたいと思わせる親近感があります。涙もあり、学びもあり、そしてウイスキーも大々的に取り上げられています」
責任という言葉までは使わないものの、ボロトニックは現代におけるウイスキーの描写が、ダイバーシブでインクルーシブでなければならないと明確に感じている。それはウイスキーが消費される場面にも深い関係がある。
「カジュアルな社交の場や家族の集まりなど、ウイスキーは日常生活の一部として描かれることが多くなってきました。ウイスキーが身近な存在になっている証拠でしょう」
映画やテレビドラマなどの文化には、人々の考え方を形作る力がある。デイビッド・アッテンボローがナビゲーターを務めるBBCの自然ドキュメンタリーシリーズ『ブルー・プラネット II』が、プラスチック汚染にまつわる議論を劇的に変化させた経緯にも似ている。ボロトニックの説明は続く。
「主に白人男性の仕事だと思われていたウイスキーの製造にも、女性や黒人などの多様な人々が関わるようになりました。このようなダイバーシティの広がりが、伝統重視で排他的なウイスキーのイメージを打破したインクルーシブな考え方として作品中で描かれるようにもなります。つまり社会の変化とメディアでの表現は、相互に作用しながらウイスキーのアイデンティティを再形成しているところなのです」
今日のウイスキーは、映像作品の中で何を象徴しているのだろうか。ウイスキーが象徴する社会や思想は、今世紀に入ってどのように変化してきたのか。人気作品を鑑賞しながら、そのような分析に思いを巡らせるのも面白い。
映画『ロスト・イン・トランスレーション』から、テレビドラマ『テッド・ラッソ:破天荒コーチがゆく』まで、ウイスキーは豊かな物語やキャラクターのストーリーを推進する役割を果たしている。だがおそらく最大のストーリーは、ウイスキーに対する認識の変化が、ウイスキー自身の運命を変えていく未来像だ。これからも説得力のあるストーリー展開の中で、ウイスキーはさまざまに描かれていくことだろう。