アメリカのウイスキーブームがきっかけとなり、世界中でライウイスキーの人気が再燃している。ニューヨーク在住のライザ・ワイスタックによる現地レポートの第1回。

文:ライザ・ワイスタック

 

「先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない」(伝道の書1章9節)

アメリカの歴史を振り返ればすぐにわかる。ライウイスキーは、最初から私たちと共にあった。アメリカ合衆国初代大統領のジョージ・ワシントンが、退任後にマウントバーノンの蒸溜所でウイスキーをつくっていたのは有名な話だ。甥に宛てた1799年の覚え書きには、こんなくだりがある。

「君が依頼した200ガロンのウイスキーが、この日に出来上がる予定です。なるべく早く取りに来てください。このライウイスキーの需要はかなり高くなってきていますから……」

ライウイスキーは、カウボーイたちのお気に入りだった。アメリカが西へ西へと勢力を広げていく過程で、冒険家、バーの常連、悪党どもにも愛されたお酒だ。当時の東海岸では、地域によってウイスキーのスタイルが異なっていた。ペンシルベニア州のライウイスキーはライ比率が高く、メリーランド州のライはマッシュにコーンを必ず使用するといった具合である。

いわゆるクラシックカクテルの多くも、この時代のウイスキースタイルに合わせて創作されたものが多い。バーボンが米国中で入手可能になる遥か以前の話である。そしてライウイスキーを使った流行りのカクテルは、ディスコやモヒカン刈りのように時代遅れのファッションとして忘れ去られていった。

しかしその後、都会っ子や流行の先導者が再びライウイスキーに注目し始める時代がやってきた。影響力のあるバーテンダーたちが、新時代のカクテルルネッサンスを生み出した。胡椒を思わせるスパイシーなライウイスキーの風味は再び全米に広まり、正統派のアメリカンウイスキーとしての地位と面目も維持したのだ。そしてアメリカ国内外におけるライウイスキーはの注目度はますます高まり、蒸溜所の在庫が底をつくまでになった。

現在のライウイスキー人気に陰りは見えない。米国蒸溜酒評議会の上席バイスプレジデントを務めるフランク・コールマンが語る。

「数年前、ライウイスキーの売り上げは10万ケース以下でした。それが2018年には、100万ケースの大台に到達しそうな勢いです。アメリカ人がこれほどまでにライウイスキーを楽しんでいるのは、禁酒法以降では初めてのことでしょう。この急速な成長には、いくつかの要因が考えられます。消費者がクラシックカクテルに再び注目していること。ウイスキー市場全体の高級志向。そしてアメリカの歴史にライウイスキーが果たした役割が知られるようになったことも要因の一部でしょう。ジョージ・ワシントンが当時全米最大の蒸溜所でライウイスキーをつくっていた逸話はみんなのお気に入りですよ」

 

ライウイスキーを維持していた有名ブランド

 

急激な復権には、他にも理由がある。バーボンブームに対応しようと四苦八苦したウイスキーメーカーが、うっかりライウイスキーの優先順位を下げてしまった時代があったからだ。2008年頃、ライウイスキーの需要が急激に上昇したのは、メーカーにとっても予想外の現象だった。ワイルドターキーのマスターディスティラーを務めるエディー・ラッセルは、全米に広がったクラシックカクテルへの回帰が直接の原因になっていると見ている。

「2008〜2011年に、よく需要が供給を上回ることがありました。無理もありません。多くのメーカーは、突然の需要増を予想していなかったのですから。それまでのライウイスキーは、大半のウイスキーファンから見放された存在でした。ワイルドターキーが幸運だったのは、父のジミー・ラッセルに未来を見通す力があったことです。あの需要増も予測していたので、『ワイルドターキー』と『ラッセルズリザーブライ』で2009年以来の需要増にもしっかり対応できました」

バーボンの影に隠れていた元祖アメリカンウイスキーに大きなブームが再来。ヘブン・ヒルの傘下になったバーンハイム蒸溜所でも、人気のライウイスキーが日々ボトリングされている。

事実、「ワイルドターキーライ」はカルト的なファンを生み出し、バーテンダーやウイスキーファンの人気を維持している。エディー・ラッセルは「息子のブルースの友達も、みんな甘口のバーボンよりもスパイシーなライウイスキーを好んでいるよ」と教えてくれるが、そこに皮肉めいた響きはない。

ヘブン・ヒルでウイスキー担当グループ製品ディレクターを務めるスーザン・ウォールも、ライウイスキーの需要増について次のように語っている。

「アメリカンウイスキーの人気が復活する機運のなかで、ライウイスキーはいつもバーボンの背中を追ってきました。ライウイスキーとバーボンは同じタイミングで需要が上昇し始めましたが、取り巻く状況はかなり異なっています。 少なくともライウイスキーの『リッテンハウス』は、まだ多くの競合他社がライウイスキーを販売していない時期からカクテルブームを土台にして需要を伸ばしてきました。もともとライウイスキーは、禁酒法時代の直後から数十年にわたって大人気だった経緯もあり、この時期には多くのクラシックカクテルが生まれています。そんな背景を考えると、リッテンハウスを維持してきた我々は幸運だったということになりますね」

アメリカンウイスキーの隆盛が再び始まった原因のひとつは、ウイスキーマニアたちがスーパープレミアム商品に関心を持ったことだとスーザン・ウォールは語る。その余波が、すぐメインストリームの商品群にも影響を及ぼしたのがブームの発端だった。
(つづく)