ライウイスキーの復権【第2回/全3回】
文:ライザ・ワイスタック
カクテルブームが契機となり、ライウイスキーの人気が突如として急騰した。すると間もなく、全米の小規模ウイスキーメーカーがライウイスキーの人気に気づいて競争に加わった。だがひとつだけ指摘しておきたいことがある。それはライウイスキーの生産が、とても難易度の高い事業であるということだ。だから控えめに言っても、ライウイスキーの生産を決断したメーカーは、それなりの覚悟を持って新分野に乗り出したことに間違いはない。
ハドソンウイスキーのブランド担当を務めるジェイコブ・チェッターが、マッシュタンの上部に付着するライ麦特有の汚れを見せてくれたことがある。ライウイスキーのマッシュは、非常に粘度が高くて扱いにくい。この粘度のせいでマッシュ内の炭酸ガスが過剰となり、小さな爆発を起こすときにマッシュの上部に汚れをつけるのである。
つまりマッシュタンの汚れは、勝利を目指して苦闘した戦士の傷跡のようなものだ。そして戦いは見事に勝利で終わることになった。タットヒルタウン・スピリッツが黎明期から始めた挑戦は、「ハドソンライウイスキー」の成功に結実している。
タットヒルタウン・スピリッツは、禁酒法時代以降では初めてニューヨーク産のウイスキーをつくり始めた小規模メーカーである。2015年まではまともな貯蔵庫さえなかったが、現在は5棟にまで増え、各棟に純アルコール換算で10万ガロンもの原酒を貯蔵している。同社のシングルバレルライウイスキーは、権威あるアルティメット・スピリッツ・チャレンジで見事チェアマンズ・トロフィーに輝いた。本物の努力はいつか報われるのである。
カリフォルニアのソノマ・ディスティリング・カンパニーでウイスキー生産部門を率いるアダム・スピーゲルは、ライウイスキーづくりに身も心も捧げている人物だ。定番のフラッグシップボトル以外に、毎年シーズンごとの特別ボトルまで発売している。毎年春にリリースされる特別ボトルには、「チェリーウッドライ」などの変わり種もある。
ソノマ・ディスティリング・カンパニーは地元の燻製業者と共同で大麦のスモークもおこなっており、このスモーク大麦がマッシュビルの10%を占めるという(残りはライ麦80%と小麦10%)。アダム・スピーゲルは「ライウイスキー 2.0」と呼ぶべき新次元のライウイスキーを切り開いている最中なのだ。スモークの効果は、フィニッシュでかすかに感じる程度。アダムがこのスモークの意図を説明する。
「マンハッタンみたいな印象に仕上げたかったんです。スモーキーなウイスキーにしようという訳ではなく、あのドライマラスキーノのようなフレーバーがフィニッシュに現れるようにするためのアイデアですね」
ライウイスキーの復活を呼んだ功労者
だがアメリカのライウイスキーを語る上で、決して忘れてはならない恩人がいる。あのメーカーズマーク蒸溜所で14年間マスターディスティラーを務めた後、米国中で数え切れないほど多くのクラフト蒸溜所をコンサルタントとして支援してきたデイヴ・ピッカレルだ。残念ながら昨年11月に急逝してしまったが、ピッカレルが生産に関わった素晴らしいライウイスキーは確実に未来へと受け継がれることだろう。
そんなウイスキーのひとつが、建国の父ジョージ・ワシントンが建設したマウントバーノン蒸溜所で、史実に基づいて正確に再現された「ジョージ・ワシントンズ・ライ・ウイスキー」である。またホイッスルピッグの「ボス・ホッグ」シリーズを開発したのもピッカレルだった。マンハッタンから北に2時間のニューヨーク州ハドソンバレーで、ヒルロックエステート蒸溜所の「ヒルロック ダブルカスク ライ」を練り上げたのも彼の仕事である。ホイッスルピッグのCEO、ジェフ・コザックがピッカレルの功績を振り返る。
「デイヴ・ピッカレルは、やがてカクテルブームが再来して、元祖アメリカンウイスキーと呼ぶべきライウイスキーの復活につながることを見抜いていました。当時は米国でライウイスキーの大量生産がおこなわれていませんでしたが、そんな状況を変えようとしたのです。先見の明に満ち溢れ、因習を打破してライウイスキーのカテゴリーを押し上げた人でした。あの眼力がなければ、ライウイスキーは今でも酒屋の棚の最下段に埋もれていたことでしょう」
ピッカレルは、常識を打ち破る具体的な方法をいくつか書き遺している。それは、アメリカ人が抱いているカナディアンウイスキーへの偏見を忘れること。カナディアンウイスキーとアメリカンウイスキーの共通点に着目すること。しっかりとしたボディを表現する要件を見極めること。クリエイティブなバレルフィニッシュを取り入れること。
そして何よりも重要なのは、テロワールにこだわったことだ。ピッカレルは伝統的なワイナリーの手法に学んだ「トリプル・テロワール」のコンセプトを、ホイッスルピッグのライ麦栽培や蒸溜にも取り入れたのである。
「水、ライ麦、樽材のオークを、蒸溜所の農場から入手するというコンセプトも、もともとは彼のアイデアでした」
ホイッスルピッグのジェフ・コザックはそう証言した。
(つづく)