広島初のシングルモルトウイスキーが生産開始【前半/全2回】
文・写真:ステファン・ヴァン・エイケン
ハイボールブームから10年が経ち、日本のウイスキー人気も見事な復活を果たした。今ではクラフト蒸溜所の開業が盛んであり、いずれ都道府県ごとに1軒以上の蒸溜所ができそうな勢いである。10年後、日本地図がウイスキー蒸溜所で埋め尽くされている状況もまったく夢物語ではない。
今回は広島に注目してみよう。ここにはジンとモルトウイスキーをつくり始めたばかりの新しい蒸溜所がある。その名もSAKURAO DISTILLERYだ。
他のクラフト蒸溜所でもありがちなケースだが、蒸溜所が新しいからといって新参のメーカーとは限らない。蒸溜所を運営する中国醸造合資会社は1918年10月に設立され、1938年に株式会社に改組された老舗だ。製品のラインナップは焼酎、清酒、みりん、その他のリキュール類である。清酒を紙パック入りで販売した最初のメーカーとしても知られ(1967年発売の「はこさけ一代」)、「ダルマ焼酎」などの人気商品もある。
中国醸造は、ウイスキーづくりにも早期から挑戦している。1938年9月から1989年の酒税法改正まで、中国醸造は2級の「地ウイスキー」を販売していた。法定限度のアルコール度数(37%)で、主に1升瓶で展開するウイスキーである。主力だったのは「グローリーウイスキー・エキストラ」。80年代初頭には6年熟成以上のスコッチモルトウイスキーをバルクで輸入し、自社でつくった10年熟成以上のモルトウイスキーと6年熟成以上の「グレーンスピリッツ」をブレンドしていたらしい。
また2003年にはブレンデッドウイスキー「戸河内ウイスキー」(17年熟成)を発売し、その後ノンエイジステートメント(熟成年の記載なし)から18年熟成までのラインナップを手がけた。同製品に使用されたモルトウイスキーやグレーンウイスキーは海外からの輸入である。
創業100周年で始まった新しい挑戦
廿日市内にある中国醸造の工場内を歩いていると、ウイスキーづくりの歴史をあちこちで垣間見ることができる。だがその詳細については、現在も多くが謎のままだ。ビジターセンターには古いラベルの展示もあり、なかにはウイスキーのボトルを飾ったデザインもある。だが当時のウイスキーの味わいについて知る手立てはほとんどない。
屋外には銅製の古いポットスチルがあった。会社の人の話によると、おそらく自前のモルトウイスキーをつくるため、昭和30年代後半から使用されていたものだという。だがその実態や、引退した時期は誰も知らない。文書やポットスチルにも手がかりはなく、スチルを製造したメーカーすら不明なのである。
また工場の玄関近くには、さらに小型のスチルも置かれている。こちらのスチルはスレンレス製の圧力釜に銅製のスワンネックやコンデンサーを組み合わせたような設計だ。工夫の跡が見られる装置だが、こちらのスチルについても詳細を知る者はいない。
工場見学も終盤に差し掛かったとき、ベテラン社員の方がいかにも古そうな2本のボトルを持ってきてくれた。そのうち1本は、ブレンデッドモルトウイスキー「グローリー」だ。ラベルには「VERY RARE OLD」の文字とともに英文の説明書きがある。読めば「広島最古の蒸溜所で蒸溜と瓶詰めがおこなわれ、樽内での完全なる熟成が化学分析によって証明された」といった意味である。
もうひとつのボトルはもっと古そうだ。ラベルには英語で「Heart Brand, The Finest Old Scotch Whisky」とあり、その下に小さく「Made in Japan」の文字がある。
2本のウイスキーは、日本におけるウイスキー市場開拓時代の遺物といっていいだろう。だがもう時代は変わった。中国醸造のウイスキーづくりは過去と決別し、決然と未来を見据えているのである。
会社創設100周年を祝って設立されたSAKURAO DISTILLERYは、中国醸造による新しい挑戦の象徴である。意気込みの大きさは、工場の外観を見てもひしひしと伝わってくる。古びた白やグレーの古い建物のなかで、鮮やかなコントラストをなす漆黒の建物。このブラックボックスこそがSAKURAO DISTILLERYの総体だ。
蒸溜所はとてもコンパクトにできている。モルトの粉砕から蒸溜までの全工程を、ここよりも狭い場所で完遂するのはほぼ不可能だろう。訪問者は、粉砕以外の全行程を窓ガラス越しに見学できる。だがもっと間近で様子が見たい。そんな私たちを、窓ガラスの向こう側から手招きしてくれる人がいた。中国醸造で開発主任を務める山本泰平さんである。
(つづく)