スカイ島とトラベイグの未来【前半/全2回】
文:マルコム・トリッグス
北のシェトランド諸島から南のキンタイヤ岬まで、スコットランド北部にはハイランドと呼ばれる地方が広がっている。ハイランドはスコットランドの3分の1を占め、大半の山脈が集中する地域でもある。
大西洋のジェット気流で湿った西風が上空に押し寄せると、ハイランドの山脈にぶつかって雨雲になる。そのためヘブリディーズ諸島を含む西ハイランド地方は、イギリス諸島の中で最も降雨量の多い地域となっている。
だがマーク・トウェインが書いたとおり、気候と違って天気は気まぐれである。今日もまさにそんな日なのだろう。スカイ島に降り立つと、雲ひとつない快晴だった。風向きが変わったのだろうか。いや、そもそも風自体がほとんど吹いていない。スコットランド名物のブヨたちも、日差しを避けてどこかに隠れているようだ。もうすぐ8月で、島は夏本番を迎えようとしている。後で地元の人に聞いたが、この日は今年一番の晴天だった。
トラベイグ蒸溜所は、スカイ島のスリート半島にある。島のほぼ南端なので、移動には四輪駆動車がいいだろう。マレイグからのフェリーが到着する港から、数キロ先のアーマデール村まで細い道が続く。そこから道はさらに細くなって、スカイ島最南端まで伸びている。小さな農場を過ぎると、エアド・オブ・スリーツの集落に着く。
スカイ島といえば、雄大な山々が織り成す北部の景色が有名だ。だが島の南部には山が少なく、その代わりオアシスのように緑豊かな風景が広がっている。息を呑むような海岸の眺めは、スコットランド有数の絶景といえよう。東のスリート湾からスコットランド本土を見下ろすと、まるで宇宙から地球を眺めているような気分になる。トラベイグ蒸溜所が建つのは、そんな景色を最前列で満喫できる恵まれた場所だ。
トラベイグ蒸溜所にある2基のスチルから、初めてスピリッツが流れ出したのは2017年のこと。これまで「レガシー・シリーズ」の名で2種類の商品を発売しており、最終的にはフラッグシップ商品となるシングルモルト(10年熟成以上)の発売を目指しながら長い道のりを歩んでいる。
蒸溜所建設の計画は、2017年以前から本格的に始まっていた。この蒸溜所は、19世紀に建てられた農場施設の一角にある。オーナーのモスバーン・ディスティラーズが大規模な修復に着手したのは、2014年のことだった。
文化財を守りながら蒸溜所を新設
もともとの農場施設に使用されていたレンガは、鉄器時代に建てられた要塞「キャシュテル・ハムッシュ」のレンガだったらしい。この要塞は、1632年までマクドナルド氏族が所有していた歴史的な遺産だ。そんなレンガをちゃっかり使うのも、「ヘブリディーズ諸島民らしい実利主義」なのだとモスバーン・ディスティラーズは考えている。
さらに時間を遡ると、ここで蒸溜所の建設を思い立った人物は他にもいる。最初の計画は、スコットランド初のマーチャントバンクを創設した故イアン・ノーブル卿が立てた。現在の蒸溜所の敷地は、マクドナルド卿の領地だった2万エーカーの土地をノーブル卿が購入したもの。土地を購入した2002年には蒸溜所建設計画の認可を受けていたが、構想が実現する前に他界したためプロジェクトの完遂を見届けることはできなかった。それでも彼の名前は再溜器に、妻のレディー・ノーブルの名前は初溜器にそれぞれ刻まれている。
トラベイグ蒸溜所が当初から思い描いた理想は、今やほとんど妥協なしで実現されたように見える。蒸溜所自体は築5年ほどだが、とても新築とは思えないほど景観に溶け込んでいる。つまりそれだけ改修時に元の建物の外観を保全したということなのだ。
かつて農家の埋葬地だった中庭に立つと、ここに蒸溜所を建設しようという計画自体が奇跡的な発想だったのではないかと思えてくる。2014年に改修される以前は、この農場の建物も数十年にわたって放棄され、ほとんど廃墟も同然だったからだ。
しかもその廃墟同然の建物は、スコットランドの歴史遺産(カテゴリーB)に指定されているため保全の義務があった。そんな建物の中に蒸溜器2基と発酵槽8槽を設置して、近代的なウイスキーの生産機能を確保するのは至難の業だったはずだ。
屋根の大部分を取り外し、伝統技法で積まれたレンガは石工が3年もかけてひとつひとつ打ち直した。さまざまな努力の果てにようやく完成したのがトラベイグ蒸溜所なのである。
このように特殊な建設の条件が、最終的なスピリッツの特徴に与える影響は決して軽視できない。モスバーン・ディスティラーズの最高責任者、ニール・マシーソンは次のように語る。
「最初に蒸溜所を設計したときは、私たちが表現したい香味の特性を得るために知恵を絞りました。設備の配置には、自然とさまざまな制約があります。文化財指定を受けた建造物なので、屋根の高さや勾配を勝手に変えることができませんから」
蒸溜器、ラインアーム、コンデンサーの形状や大きさについて、チームは検討を重ねた。物理的制約に従いながら、望ましいフレーバープロフィールを得るためにさまざまな工夫が必要だったのである。
(つづく)