英国のダークホース、ウェルシュウイスキーの基礎知識【第1回/全3回】
文:イェンス・トルストルップ
スコットランド、北アイルランド、イングランドに続いて、英国のウイスキー業界に新風を吹き込みつつあるのがウェールズだ。とはいえスコッチウイスキーやアイリッシュウイスキーを飲んでいる消費者たちも、ウェルシュウイスキーの現状についてはまとまった知識がほとんどない。
起業家精神が旺盛なウェールズ人たちは、隣国との差別化によってウェルシュウイスキーの個性を確立しようと挑戦を続けている。現時点で、ウェルシュウイスキーについて本当によく理解している人はいるのだろうか。そんな質問に対して、ペンダーリンの最高経営責任者を務めるスティーブン・デイヴィスは答える。
「あまりいませんね。ウェルシュウイスキーというカテゴリー自体、まだ広く知られているとはいえません。ウイスキーブランドとしてのペンダーリンは、軽やかでフルーティーなスタイルが知られるようになりました。しかしこれでさえ、かなりニッチな知識の部類に入るでしょう」
それでもウェルシュウイスキーは急成長中の業界であり、認知度を高めるために努力を欠かしていない。ペンダーリンとアバーフォールズを筆頭に、ウェールズの蒸溜所は力を合わせてウェルシュウイスキー機構(WWO)を設立した。徹底的な議論と公開協議を経て、2021年8月に「シングルモルト・ウェルシュウィスキー」(ウェールズ語で「Wisgi Cymreig Brag Sengl」)という地理表示(GI)を申請したのである。英国の環境・食料・農村地域省が、この地理表示を承認して法制化する予定になっている。
提出された地理表示の申請内容によると、ウェールズ産のウイスキーはウェールズの水を原料とし、ウェールズ国内で蒸溜、熟成(最低3年)、瓶詰めされる必要がある。またシングルモルト・ウェルシュウイスキーは、他のニューワールドウイスキーにも類似した「軽やかな酒質」を有しているとも明記されている。
ウェールズのすべての蒸溜所にとって、この指針に沿った蒸溜スタイルと高いカットポイントが軽やかな酒質を実現するカギとなる。
実際にウェールズの各蒸溜所の伝統で確立されつつあるウイスキーのスタイルは、度数が高めのカットポイントにこだわり、ステンレス鋼の設備やコラムスチルも多用しながら、蒸溜設備の内側には銅をふんだんに使ったユニークなアプローチにある。
現在、ウェールズにはウイスキー蒸溜所が7軒ある。ペンダーリンは2023年前半にスウォンジーの古い銅工場を改装してウェールズで8軒目(ペンダリンとしては3軒目)の蒸溜所を開設する予定だ。
前述のスティーブン・デイヴィス(ペンダーリン最高経営責任者)は、ウェルシュウイスキーの今後を次のように予想している。
「ウェールズで起業するクラフト蒸溜所は、これからも増えていくでしょう。でもおそらく大手の企業が参入してくることはありません。ウェルシュウイスキー機構の設立を通じて、私たちはみんなで協力し合うことを学んでいます。アバーフォールズも他の蒸溜所と同じく積極な協力姿勢を見せてくれています」
ウェールズの蒸溜所は、そのほとんどが創業からまだ日が浅い。そのせいか、みな親しみやすいオーラが漂っているのも特徴なのだとデイヴィスは語る。
「みんな仲間意識があって、一緒に仕事をする楽しさを学んでいますよ。ペンダーリンはこのカテゴリーの先駆者で、ちょうど創業から20年が経ったところ。ウイスキーは多くの人々に愛されているし、台湾のウイスキーファンたちもウェルシュウイスキーを話題にしています。まだ無名なウェルシュウイスキーの新しい生産者たちに、そんな状況の変化は勇気を与えてくれると思います」
王家に認められた歴史
スコットランドでほぼ毎月のように蒸溜所が設立されていた時代、ウェールズでもウイスキーづくりを志した人たちがいた。リチャード・ジョン・ロイド=プライスとロバート・ウィリスが、ウェールズに蒸溜所を建設することを決意したのは1889年のこと。ウェールズ北部のフロンゴッホ(バラ近郊)で、ウェルシュウイスキーの第1号となるフロンゴッホ蒸溜所を設立した。会社名をウェルシュ・ウイスキー・ディスティラリー・カンパニーとし、翌年には製麦工場、キルン、事務所を備え、30人の従業員を抱える蒸溜所が生産を開始している。
まだフロンゴッホ蒸溜所が黎明期の頃、近郊を訪ねたビクトリア女王に樽入りのウイスキーを献上したことがあった。そして1894年には、王子であるウェールズ公(プリンス・オブ・ウェールズ)が別のウイスキーを樽入りで受け取っている。
このような献上を受けて、ウェルシュ・ウイスキー・ディスティラリー・カンパニーのウイスキーは1895年にロイヤルワラント(王室御用達)に認定。ウイスキーのブランド名も「ロイヤルウェルシュウイスキー」となった。まだ歴史も浅いウイスキーメーカーにとって、ロイヤルの称号は英連邦全域に認知度を広げられる格好のマーケティングとなったことだろう。
蒸溜所の所在地は鉄道や港に近く、物流の面でも考え抜かれていた。当初から活発に投資が繰り返され、生産能力は年間70万リットル近くに到達。当時のモルトウイスキー蒸溜所のトップ20にしっかりと名を連ねていた。
だがウイスキー事業が成功したとは言い難かった。地元の強い禁酒運動も厳しかったし、長期熟成にこだわりすぎたことも収益を圧迫した。ウイスキーの生産開始から1年が経った時点で、熟成期間をもっと長くしなければ販売すべきでないという品質上の要求も受け入れる。法律で最低熟成期間を定める以前のことである。
当時のフロンゴッホ蒸溜所は、新聞広告でロイヤルウェルシュウイスキーを宣伝している。化学分析者による純度の保証に加え、「ソフトで心地よい味わい」という記述も添えられた。それだけでなく5年熟成であることも保証されていたのだ。
当時のフロンゴッホ蒸溜所はポットスチルを使用していたが、時代の流れでコラムスチルを使用したブレンデッドウイスキーが大きな支持を得ていた。コラムスチルは蒸溜効率に優れ、ポットスチルで蒸留したモルトウイスキーとブレンドすれば軽やかな味わいのウイスキーができる。ブレンデッドウイスキーは飲み口も親しみやすく、価格競争力も十分だ。
しかしウェールズにはグレーンウイスキーの蒸溜所がなく、ブレンデッドウイスキーの生産環境が存在しなかった。そしてウェールズがウイスキー生産国として知られていなかったことも凋落の要因となった。
フロンゴッホ蒸溜所は、 20世紀に入ってからも辛うじて存続していた。しかし1900年4月には閉鎖され、清算人が会社と資産に1万ポンドの値を付けた(初期投資額は10万ポンド)。最終的には、地元のウィリアム・オーウェンが蒸溜所と在庫を買い取った。蒸溜所の再開には至らなかったものの、倉庫に眠っていた大量のウィスキーをしばらく楽しんだに違いない。
次回は現在のウェルシュウイスキー蒸溜所を紹介する。
(つづく)