戦前の日本とウイスキー【その2・全3回】

January 23, 2013

日本にいちばん最初に輸入されたウイスキーを、皆さんはご存知だろうか?そして多くの方はそれはスコッチウイスキーだと思うだろう。しかし、古い文献を紐解き分析すると、そこには思いがけない事実があった。洋酒ライター石倉一雄氏が解き明かす「戦前の日本における輸入ウイスキー」のレポート、第2回。

戦前の日本とウイスキー【その1・全3回】
猫印ウイスキーの謎

戦後長きに渡って、古い洋酒の話の出典とされてきた「大日本洋酒罐詰沿革史」の1915年版には「明治4(1871)年、横浜のカルノー商会が猫印ウイスキーを輸入した」という記述があり、これがながらく「日本に輸入された、もっとも古いウイスキー」とされてきた。実際には前回も書いたようにジャパン・ヘラルドに記載されていた「WHEAT SHEAF」がこれより7年早いのだが、筆者も長年「猫印ウイスキー」がもっとも古いウイスキーだと思って調べていたので、このウイスキーの素性をここで説明しておこう。

現代の輸入ウイスキー市場は、味や嗜好の問題を別にすれば、一にスコッチ、二にバーボン、次いでアイリッシュとカナディアンというのが一般的な感覚だろう。しかし、19世紀末のウイスキー事情はいささか様相が異なっており、ただ「ウイスキー」と言えばアイリッシュを指す場合が多かった。洋酒に関する著書が多く、博覧強記で知られるアレック・ウォーの著書「IN PRAISE OF WINE(邦題:わいん)」によれば、「少なくとも1880年代まではウイスキーと言えばスコットランドよりもアイルランドのほうが連想されがちだった」として、その証明に1875年のギルベイ(※ギルビー)社のウイスキー扱い高を挙げている。それによればスコッチの扱い高が38,000ダースなのに対してアイリッシュが倍以上の83,000ダースだったことを挙げている。
そして日本に早い時期から輸入されていた、かの「猫印」もアイリッシュだった。「大日本洋酒罐詰沿革史」には扱い先が横浜のカルノー商会だったことだけで、それ以上は「猫印」に触れられていないのだが、明治30年4月に発行された逸見山陽堂発行の相場表に「アイリツシユウヰスキー猫印」と明記されている。この逸見山陽堂というのは「SUNYO」ブランドのみかんや桃の果実缶詰で有名な現在のサンヨー堂なのだが、読者の中には「なぜ缶詰メーカーが洋酒を?」と怪訝に思われる方もおられるだろう。壽屋(現サントリー)の創業者鳥井信次郎が薬種問屋小西儀助商店の丁稚から始めたことを想い出して頂ければ判るのだが、開国間もない明治時代に限って言えば、日本の洋酒は在来の酒屋ではなく他業種に携わる業者が扱っており、薬屋と並んで多かったのが缶詰を中心とする乾物屋だったのだ。

さらに当時の価格表のおかげであらかたのグレードも判る。明治30年の段階で1ダース12,500円である。「ローヤルクラオン上等」が1ダース4,500円だから、最高級ウイスキーだったローマル・ブレンドが1ダース13,750円だったのには及ばないものの、なかなかの高級品だったことが分かる。ちなみに「ローヤルクラオン」は現在も「クラウンローヤル」の名前で販売されており、コストパフォーマンスの高いカナディアン・ウイスキーとして有名なことはウイスキー・マガジンの読者ならご存知の方も多いだろう。

猫印に関する読者の一番の関心事は「猫印」の本当のブランド名だろう。戦前の一般庶民は外来語が苦手だったようで、ビーハイブ社のブランデーを「蜂印」として売っていたし、舶来ウイスキーにも「鹿印」やら「熊印」があった。「猫印」もウイスキー・キャットの絡みかと思ってアイリッシュ・ウイスキー関連の文献を散々探してきたが、ネコと絡んだ話がなかなか出てこない。諦めかけていた時、英国版ウイスキーマガジンサイトのフォーラム内驚くような画像に行き当たった。
この「20世紀初頭ではないか」と所持者が推測しているアイリッシュ・ウイスキーの瓶のラベルには間違いなく猫が入っている。この「BURKE’S Fine old Irish Whiskey」というアイリッシュ・ウイスキーの出自は不明なのだが、明治4年に日本に輸入された猫印ウイスキーだった可能性は時代的に言ってもかなり高いのではないだろうか。

話を日本に戻そう。それまでブランデー一辺倒だった日本が一気にイギリスに親しみを持ったのが明治35(1902)年の日英同盟締結だった。ロシアの南下政策に危機感を持った日本と、ボーア戦争で国力を疲弊し、中国権益がロシアに脅かされるのを防ぐ手立てを持たないイギリスが手を結んだ…というのは世界史の授業の話で、日本の国民にとっては初めての先進国との二国間同盟、それも相手は当時世界の海を肩で風切る勢いの大英帝国だった。
そのイギリスが「光栄ある孤立」を捨てて初めて手を結んだ相手が我が国であることで、「一等国の仲間入りをした」ことに加えてイギリスはフランスのような共和政体では無く、日本と同じ立憲君主国であり、更に親近感は高まっていく。日露戦争でも欧米で「圧倒的にロシア有利」の声の中、中立を保ちながら諜報やロシア艦隊への補給業務の遅滞行動を行う等、影に日に日英同盟を守って支援してくれたイギリス産品を愛用しようという声は年を追うごとに強くなり、その後日本人の対英感情は紆余曲折を辿るものの、ことウイスキーに関して言えばスコッチの優位は第二次大戦まで変わることが無かった。
戦後アメリカ文化が日本を席巻した現在でも愛好家の根強い支持があることからもわかるように、現在に至ってもバックバーの大半をスコッチとそのモルトウイスキーが占めている状況は今後も変わらないことだろう。

(その3に続く)

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