名乗りを上げろ ― ウルフバーン蒸溜所【前半/全2回】

October 21, 2013

新たに動き出したスコットランド本土最北の蒸溜所をガヴィン・D・スミスがレポートする。

一昔前なら、スコットランドで新たに建設された蒸溜所を見つけたいと思ったら、以前はなかったところにそびえるドイグ氏考案の目立つパゴタ式キルン屋根を探せばよかった。
しかし時代は変わり、現代の蒸溜所は必ずしも観光案内パンフレット定番のあのお馴染みの伝統的な造りとは限らない。例えば、スコットランドに最も新しくオープンしたウルフバーン蒸溜所だ。
スコットランドの北部沿岸に位置するケイスネス郡の町、サーソー。その郊外にあるビジネス区画を示す郵便番号には、「目印なし、ドラフ(麦芽の搾りかす)トラックを探すこと」という警告が付いている。
訪れてみると納得した。姿を現したウルフバーン蒸溜所はいわゆる蒸溜所らしい特徴のない、現代的でさっぱりした建物で、ウィックのプルトニー蒸溜所に代わってスコットランド本土最北という称号を得たにしては謙虚な姿だ。

ここが蒸溜所であるという手掛かりは、建物の横に停まっている、ウイスキーづくりの副産物を運搬する「ドラフ・トラック」と、そして毎日10立方メートルの処理水を引いているウルフバーン川に近いということだけだ。わずか350メートル離れたところに建っていた元々のウルフバーン蒸溜所(1821年から1850年代まで当時のケイスネス郡最大の蒸溜所として操業していたが、姿を消して久しい)にも、同じ川が水を供給していた。
「新しい」ウルフバーン蒸溜所に入ると、ここが実際にウイスキーをつくっている場所であることがはっきりする。タータンチェックのスカートをはいたツアーガイドもいなければ、高価過ぎるニューメイクスピリットのミニチュアボトルも見あたらず、きっぱりと機能的でビジネスライクだ。

ウルフバーン蒸溜所を統括するのはグレンファークラスで生産マネージャーを努めていたシェーン・フレイザーで、この配属は新規参入事業にとって大成功だった。さらに元グレンリベットのイアン・カーをフレイザーの補佐に当て、豊かな蒸溜の伝統とノウハウを活用している。

しかし、グレンファークラスの要職にあった男に、高名な蒸溜所の確固とした地位を投げ打ってまで、新しく未知の蒸溜所とシングルモルトブランドを構築するという賭けに出ることを決めさせたものは何だったのか?
「私は蒸溜所の設計とスピリッツの方向性を決定する自由裁量権を与えられましたし、何の隠し事もしないという考え方がとても気に入りました」と彼は言う。「グレンファークラスにいた頃は地所内に住み、基本的に常に待機状態でしたから、大きなライフスタイルの変化です。今では週に5日働き、家族と過ごす時間が増えました。どちらにせよ、蒸溜所を運営して、ウイスキーづくりにも直に関わっていられたらそれが最高なのです」

ウルフバーン蒸溜所の創業ミッションは非常に密かに進行した。PR担当のデイヴィッド・スミスの説明によると、「ここの所有者は国を離れたケイスネス人の結束の堅いグループで、南アフリカで順調に事業を営むかたわら、帰国してここで何か建設的なことをしたいと望んでいました。銀行も、外部資本も関わっていませんから、収入を得ることが目的です。誰もがウイスキーをつくりたいと思っていますが、お金にならなければ事業全体が失敗してしまいます」

蒸溜所プラントの設計と建設を率いたのは、世界で最も信頼の厚いロセスのフォーサイス社で、リチャード・フォーサイス・ジュニアがプロジェクトリーダーだった。デイヴィッド・スミスによると、「主として経費と時間に関して、基本的にある程度まで彼に委任しました。生産プラントの設計にはシェーンも携わりました」
建設作業は昨年8月に始まった。フォーサイス社は11〜12月中に蒸溜機材を設置し、翌月には最初のスピリッツが流れた。「2日目には最大能力になりました」とスミスは断言する。「今のところモルト1トン当たり400リットルの生産量ですが、セカンドランでは421リットルもあったのですから、実に有望です」

【後半に続く】

関連記事はこちら
妥協なきスチル製造
直火と蒸気 【前半/全2回】
コンデンサーが風味を変える

カテゴリ: Archive, features, TOP, 最新記事, 蒸溜所