ジャパニーズウイスキーの世界が1冊の本に
世界中のファンが、この本を待ち望んでいた。日本のウイスキーの歴史を紐解き、すべての蒸溜所に足を運び、ユニークなバーやカクテルなども網羅した1冊がついに登場。著者のステファン・ヴァン・エイケンに、出版の動機と背景を訊く。
文:WMJ
ジャパニーズウイスキーの評価は年々高まっている。国際賞の常連である大手メーカーはもちろん、小規模蒸溜所のウイスキーがオークションで高値をつけることも今や珍しくない。日本のウイスキー蒸溜所は外国人観光客で混雑し、わざわざミズナラ樽で熟成したウイスキーを発売してジャパニーズウイスキーにあやかる海外メーカーも出現している。
そんな状況がある一方で、これまでジャパニーズウイスキーに関する情報は極めて断片的だった。歴史、蒸溜所、ボトル、バーなどを一元的に網羅した書籍は皆無に等しく、海外ファンにとっては依然としてミステリアスな世界だったのである。
だがそんな状況もついに終わりだ。アメリカのサイダーミルプレス社が4月4日に刊行する『Whisky Rising: The Definitive Guide to the Finest Whiskies and Distillers of Japan』は、豊富なカラー図版や詳細なデータをもとにジャパニーズウイスキーの全貌を明らかにする400ページのウイスキー事典。内容と豪華な装丁を考えると、40ドルの価格はかなりお手頃だ。
日本語でも類書がほとんど存在しないなか、この労作を書き上げたのは日本在住ウイスキージャーナリストのステファン・ヴァン・エイケンだ。当サイトの記事や、ウェブサイト「Nonjatta」への投稿でウイスキーファンに知られるジャーナリストである。
「この本には、僕のジャパニーズウイスキーに関する知識の95%が詰まっています。ご一読いただけたら、もうNonjattaに細かな質問を送る必要もほとんどなくなるでしょう」
出版元のサイダーミルプレス社から、同書の企画を打診されたのは2015年9月のこと。翌2016年1月から、日本の蒸溜所を漏れなく訪ね歩いた。折しも日本各地で新しい蒸溜所の建設計画が進行していた時期である。
「このような本を書くのに、2016年はある意味で最悪な年でした。1年で7軒も新しい蒸溜所が開業し、書き終えたと思った途端に新しい情報が入ってくるので。しかし同時に、ベストのタイミングでもあったといえます。それは事業が始まる現場に立ち会い、ドラマを体験できたからです」
蒸溜所訪問を続けながら、4月から執筆を開始。本職と家族の時間の隙間にできたわずかな自由時間をすべて注ぎ込んだ。その成果がついに実を結び、2017年4月4日に初めての著作が発売される。
「校了後はどっと疲れが出ましたが、数ヶ月経った今では2冊めに取り掛かる意欲さえ生まれています。本を書くのは登山にも似ていて、一度体験した山だから次はもう少し効率よく登れるのではないかと期待もしているんです」
1冊でジャパニーズウイスキーの全容を俯瞰
さて、注目の本を開いてみよう。第1章はジャパニーズウイスキーの歴史について。鳥井信治郎や竹鶴政孝の逸話はもちろん、現在進行系の蒸溜所建設ブームを経て未来を見据える視点で構成してある。業界に大きな影響を与えた酒税の変遷について、これほどまでに詳しく解説している本は日本語でも読んだことがない。
第2章は蒸溜所について。詳細なデータに加え、生産スタイルと風味を結びつける論考にページを割いている。もちろん昨年創業した新しい蒸溜所が網羅されているのも嬉しい。そして第3章では、全国のバー、おすすめボトル、有名バーテンダーのカクテルなどを通してジャパニーズウイスキーの愉しみ方を紹介している。カクテルは、ベースとなるウイスキーの銘柄を細かく指定している点にこだわりを感じる。
「カクテルレシピのレシピで『ウイスキー25mm』などと指定するのは、肉屋で『肉ください』というようなもの。銘柄の個性にあった完全にオリジナルなカクテルを開発してもらいました」
北海道から九州まで旅しながら、ジャパニーズウイスキーを豊富に置いているバー50軒を厳選した。おすすめボトルは、日本とヨーロッパの専門家たちにアンケートをとって個性的な33銘柄を選んだ。閉鎖された蒸溜所、新しい蒸溜所、シングルモルト、シングルカスク、シングルグレーン、ブレンデッドモルト、ブレンデッドなどあらゆるジャンルが網羅され、コレクターの参考にしてもらうことを念頭に置いている。
「入手が困難なボトルも紹介していますが、50軒のバーのどこかで見つかる可能性もあります。バーでは希少なボトルでもグラス単位で味わえますので、自分になりに探求する指針にはなるでしょう」
巻末にはジャパニーズウイスキーの影響を受けた外国メーカーへの取材記事もある。日本人でさえ気づかないグローバルな視点から解剖されたジャパニーズウイスキーの本なのだ。今年は台湾の読者をターゲットにした中国語版の出版も予定されている。
日本在住だからこそできた仕事
ジャパニーズウイスキーを扱う書籍は、今年だけでもあと数冊の発行が予定されている。だが類書の執筆者のなかで、日本在住者はステファンだけ。他の著者は「Nonjatta」などの情報を参考にしながら数日間の来日取材で書き上げてしまうケースがほとんどである。
「実はNonjattaを読んだ英国のジャーナリストに協力を依頼されました。そのとき『俺はプロだから数日間の取材で1冊書ける』と豪語するのに驚いて。知人に話したら、そろそろ自分で書いたら?とアドバイスされました。そんなこともあって、執筆を引き受けることにしたのです」
ベルギー生まれのステファンは、2000年から日本を拠点にしている。それ以前はスコットランドに住んでスコッチウイスキーを愛飲していたが、日本のウイスキーの知識は皆無だったという。
「日本に来て数年間は、ウイスキーのことなど気にしていませんでした。それが2004年頃に旅先でたまたま蒸溜所を見つけて関心を持つようになりました。特に印象的だったのは軽井沢蒸溜所。蒸溜所のショップでテイスティングしながら、こんなに素晴らしいウイスキーが、なぜ日本では話題にすらのぼらないのかと不思議になって。ショップの客もウイスキーではなくワインを買っていましたから」
他の蒸溜所にも足を運び、さらに深く知りたいと思っても英語の情報はない。唯一の例外が、英国人ジャーナリストのクリス・バンティングが立ち上げた「Nonjatta」だった。ところがクリスの仕事が忙しくなるにつれて更新が滞るようになり、ステファンが自分のブログで新商品などを紹介するようになった。それに気づいたクリスが「情報は1ヶ所にあったほうがいい」とステファンに持ちかけ、数人の著者で「Nonjatta」を共同運営する体制に変更。2011年にクリスが英国に帰ってからは、ステファンが事実上の主筆となっている。
「ジャパニーズウイスキーの人気で特別なボトルの入手も難しくなっています。それでもNonjattaのコミュニティを維持するため、できるかぎり情報発信は続けていくつもりです」
欧米のブログ運営者には、メーカーがサンプルを送ってきたり、蒸溜所のイベントに航空券付きで招待されることも珍しくない。だが日本ではすべての個人活動が手弁当となる。リサーチもすべて自力でおこない、交通費やウイスキーバーの代金もすべて自腹だ。
「本の出版をきっかけに仕事が増えることはあっても、本の出版自体で儲かることはない。実際に本を書き上げて、それが真実だとわかりました。でもしっかりとした本を出版しておけば、将来この時代を振り返るときのポートレートになります。この本は未来の読者も想定して書かれています」
日本語よりも先に英語でこのような本が出版されるのは、ジャパニーズウイスキーが新時代に入った証拠である。創設されたばかりの蒸溜所も、順調にいけば10年後にはみな10年もののウイスキーをリリースしているはずだ。その頃にはステファンも、自作にたくさんの改訂を加えているかもしれない。