ジェームズ・ボンドに捧げるウイスキー【後半/全2回】
文:クリス・ホワイト
スコットランド本土には、ラグジュアリーなシングルモルトブランドがたくさんある。マッカランやダルモアの名前は即座に思い浮かぶだろう。だがウイスキーの聖地と呼ばれるアイラ島に目を移すと、シングルモルトメーカー各社が一丸となったラグジュアリー分野への取り組みは見られなかった。
アイラにある蒸溜所(もうすぐウイスキーづくりを再開するポートエレンも含め)からは、ほぼ例外なく長期熟成のレアなボトルが市場へ流れている。実際に目の眩みそうな高値で取引されているものも珍しくない。だがそのような例と比べても、「ブラックボウモア DB5 1964」に付けられた1本50,000英ポンド(記事公開時のレートで約700万円)という値段は桁違いだ。
モルトウイスキーのファンで、特にアイラ産のウイスキーを愛する人は、みな高級路線に走りすぎない従来の方針を好ましく思っていたことだろう。人気の産地ブランドでありながら、価格が徐々に高騰していくこともなく、比較的手頃な商品として楽しめてきたからだ。
だがそんな状況のなかでも、ボウモアは今回のパートナーシップを通じて、アイラ島の砂浜に大きな旗を立てたということができる。つまり我こそがアイラ随一のラグジュアリーなモルトウイスキーであると宣言し、百億英ポンドの富がうごめく世界のラグジュアリー市場に参入したのだ。
ではそのような富裕層市場にいる人が、「ブラックボウモア DB5 1964」のボトルを購入したら、その値段相応の喜びは得られるのだろうか。まず私がこれまでに見てきたウイスキーのパッケージに、これほどまでにインパクトのある美しいものはなかった。最高級ストリンググレインのカーフスキンから手造りした特製ボックスには、ニッケルでメッキした真鍮製のヒンジや留め金もあしらわれている。
ボトルを手造りしたのは、テインを拠点とする現代的なガラス工房「グラストーム」。精巧なガラスの上に、本物のDB5のピストンを被せたデザインだ。だがウイスキーとしての商品価値を十分に検証するには、まずブラックボウモアの歴史を振り返り、カルト的な人気を確立した経緯に迫らなければならない。
ブラックボウモアの歴史
1964年、英国では花火や焚き火を楽しむ11月5日のガイ・フォークス・ナイト。ボウモアでは、設置されたばかりの新しいボイラーを初めて使ったニューメイクスピリッツが蒸溜された。それまでは石炭の直火式による加熱だったが、ボイラーの導入で蒸気式に変わったのである。まったく新しい方式でつくられたスピリッツは、ウィリアムズ&ハンバートから調達した何本かのオロロソシェリー樽(ファーストフィルのシェリーバット)に樽詰めされた。この樽は伝説の第1貯蔵庫に置かれ、熟成の時を過ごすことになった。
ボウモアの第1貯蔵庫は、ダンネージ式で不気味なほど薄暗い。壁の一部はロッホインダールの海水面よりも低い「潮かぶり」の建物だ。室内に湿気が籠もる環境は極めてユニークで、いわゆる「天使の分け前」と呼ばれる蒸発が少ない。そのため、じっくりと長い年月をかける熟成に向いているのだ。アロマやフレーバーは凝縮され、スモーク香、フルーツ香、木の香りがシームレスに融合した極上のウイスキーになる。この1964年に樽入れされたシェリー樽熟成の原酒は、1993~2016年に5種類のブラックボウモアとしてボトリングされた。熟成年は29〜50年という特別な商品である。
1993年に29年熟成の「ファーストエディション」が2,000本限定で発売された。このときの価格は80~110英ポンドで、今から考えると馬鹿馬鹿しいほどに安い値付けだ。それでもシングルモルトのカテゴリー自体が未成熟だった90年代初頭には、それなりに頑張った高値のつもりだった。商品は数週間ですぐに完売し、酒屋の棚から姿を消すことに。四半世紀前の市場でも「ラグジュアリー」なシングルモルトウイスキーにも需要があったという証拠である。
翌年の1994年には30年熟成の「セカンドエディション」が2,000本リリース。このときも魅力的な価格設定は変わらなかった。1995年に31年熟成の「ファイナルエディション」が1,812本発売されたときは、初めての値上げがおこなわれたが、それでもわすかに100〜150英ポンドという価格だった。「ファイナル」を謳ったことから、ブラックボウモアの商品はこれで見納めだと誰もが考えた。
しかし2007年には「フォースエディション」が発売される。ウイスキー市場は90年代半ばから大きく変貌を遂げており、長期熟成のレアなウイスキーはコレクターが注目する希少品として価値が急騰していた。そんな状況を反映して、42年熟成のウイスキー(827本)は、2,400英ポンドにまで跳ね上がった。「フォースエディション」から「フィフスエディション」までは9年のブランクがあり、2016年に50年熟成の「ブラックボウモア ファイナルカスク」が発売される。ウイスキー人気はさらに高まっており、ラグジュアリーなウイスキーは将来の値上がりが確実な投機の対象として見られるようになっていた。
ウイスキーのセカンダリー市場が誕生し、急速に発展を続ける現代。レアなウイスキーの値段は、かつてないほどに吊り上げられた。消費者、コレクター、投資家たちが、毎週のように開催される各社のオンラインオークションを注視している。当時16,000英ポンドで発売された「ブラックボウモア ファイナルカスク」(159本)も、そんなコレクターアイテムだ。ブラックボウモアや同等価格のウイスキーは、もう開封して味わうためだけの商品ではなく、コレクションや投資の対象となっているのである。
最新ボトルの中身はどこから?
すでに「ファイナル」を名乗った商品が2種類も市場に出ているので、今回また新発売されるブラックボウモアは、一体どこに原酒の在庫があったのだろうと訝しがる人もいるはずだ。実はボウモアが独自に秘蔵していた「ファイナルエディション」(3回目のリリース)が27本だけ残っており、この中身のウイスキーが「ブラックボウモア DB5 1964」として装いを変えたというのが真相である。市場で販売するのは25本のみで、2本は蒸溜所のアーカイブに保管される。
スパイのように目ざとい人なら、「ブラックボウモア DB5 1964」のアルコール度数が「ファイナルエディション」よりもわずかに高いことを指摘するかもしれない。これは魔法や不正などではなく、単純に科学の進化によって明らかになった誤差である。1995年には、アルコール度数の測定が現在ほど厳密ではなかった。アルコールは、糖分や木材由来の成分によってほんの少量ではあるが隠されたり覆われたりして検知できなくなることがある。つまり1995年当時に公表されたアルコール度数は、実際よりもわずかに低く測定されていたということだ。
もしこの誤差が1995年当時に考慮されていたら、ボトルに記載されていた49%よりは少しだけ高い49.8%程度になっていたことだろう。そして25年という歳月が加わることで、ボウモアが保存するボトル内のウイスキーからも少量の蒸発があった。このような要因から、「ブラックボウモア DB5 1964」の度数が49.6%となっているのである。
マニアックな詮索はこれくらいにしておこう。アストンマーティンのコラボレーションによって、ボウモアがブランドのステータスをまったく新しい分野にまで進出させたことは間違いない。
ボウモアとアストンマーティンは、将来にわたるコラボレーションを約束している。新しい商品、エクスペリエンス、取り組みなどが、ウイスキーカテゴリーにとってさらに好ましい効果をもたらすことになるだろう。個人的には、このようにラグジュアリーなウイスキーを買う人たちの動機や論理的裏付けがわからない。それでもボウモアをはじめとするシングルモルト市場は、消費者の心理的なトリクルダウン効果によってイメージアップが期待できる。
今回のリリースによって、オークションなどで取引されるブラックボウモア商品のコレクション価値は増すだろう。いずれにしても、まったく新しいオーディエンスがスコッチウイスキーに注目する好機となるはずだ。