グレートブリテン島の最北にある美しい港町。ジョン・オ・グローツのエイトドアーズ蒸溜所を訪ねる2回シリーズ。

文:ガヴィン・スミス

 

スコッチウイスキーの蒸溜所名には、所在地にちなんだゲール語がよく使われている。だが例外もあって、例えばウィックにあるプルトニー蒸溜所は、町の発展に寄与した政治家がその名の由来だ。そのプルトニーよりさらに北にある新しい蒸溜所も、やや風変わりな名称について説明が必要である。

ケイスネスの北海岸をどこまでも走ると、やがて観光地として人気の高いジョン・オ・グローツにたどり着く。この町に設立された新しい蒸溜所の名前は「エイトドアーズ」(8 Doors)。この名前は、ヤン・デ・グルートというオランダ人の伝説に由来するものだ。ヤン・デ・グルートは、15世紀末から16世紀初頭にかけて、現在のジョン・オ・グローツからペントランド湾経由でオークニー諸島に渡るフェリーを運航していたとされる人物である。

ヤン・デ・グルートは、自分と7人の息子たちの間に序列を巡る争いが起こるのを避けるため、8角形の家を建てた。その家には8つの玄関と8角形のテーブルがあったという。そんな『アーサー王と円卓の騎士』を彷彿とさせる中世のエピソードが、エイトドアーズ蒸溜所の由来である。

エイトドアーズ蒸溜所は、ジョン・オ・グローツで180年ぶりに誕生したウイスキー蒸溜所だ。ジェームズ・サザーランドとジョン・ギブソンが、ペントランド湾に面したカークスタイル(カニスベイカーク近郊)に元祖ジョン・オ・グローツ蒸溜所を創立したのは1826年のこと。地元で栽培されたベア大麦を敷地内で製麦し、地元のピートも熱源として豊富に供給された。だが蒸溜所の寿命はやや短く、1837年には閉鎖されてしまった。閉鎖直前に、蒸溜器をはじめとする銅製品一式は135.45ポンドで売却された。ジョン・オ・グローツで初めてのウィスキー蒸溜所跡地には、かつての建物の痕跡を示す石がいくつか散在しているだけである。

スコットランド本土最北の町として知られるジョン・オ・グローツには、ホテル、キャラバンサイト、ホリデーロッジなどが点在している。観光客向けの店舗が多く、小さなビール醸造所も有名だ。こぢんまりとした港には、今もデ・グルートの時代と同じようにオークニー行きの旅客フェリーが停泊している。

ジョン・オ・グローツは、グレートブリテン島縦断を目指す人々の起点や終点にもなる。ここから874マイル(約1406km)離れた本土最南端のランズエンドまでの道のりを、何千人もの人々がチャリティウォークや自転車で踏破した。なかには乳母車を押して本土を縦断した猛者もいたという。実際の最北端は町から西に24km(15マイル)ほど離れたダンネットヘッドだが、北のジョン・オ・グローツと南のランズエンドは、英国人にとって「地の果て」のイメージが定着している。

エイトドアーズ蒸溜所は、地元ケイスネス郡に住むデレク・キャンベルとケリー・キャンベルの夫妻によって設立された。妻のケリーがいきさつを振り返る。

「この地域が好きだから、ずっと住み続けています。ブリティッシュ・テレコムに勤めていた頃は、サーソからロンドンまで月に2回ほどの出張をこなしていました。でも、もっと地元に密着した仕事をしたいと考えるようになり、夫とマイクロディスティラリー(小規模蒸溜所)を立ち上げようかという話になったんです。地元の人を雇いたいという意欲も手伝って、創業の動機につながりました」

蒸溜所の建設地を選んだ決め手は、建物の基礎がすでに出来ていたこと。ここは1980年代に建設が始まったものの、完成には至らなかった施設の跡地だった。ジョン・オ・グローツの中心にあるメインの駐車場に隣接し、毎年この村を訪れる何千人もの観光客が立ち寄れる絶好のロケーションである。
 

地元出身者と業界経験者でチームを編成

 
夫のデレクは、会計士が本業だ。職業柄もあって、新会社の社屋を建設したり、設備を導入したりする際の財務管理がスムーズに進んだことは間違いない。本人の計算によると、創業にまつわる全作業の96%が地元業者の手で遂行されたという。

ウォッシュスティル(容量1,700L)とスピリットスチル(容量1,300L)の組み合わせ。原料と熟成樽のバリエーションを増やしながら、独自の個性を確立させていく予定だ。

エイトドアーズ蒸溜所の立ち上げによって、一度はケイスネスを離れた多くの人々が故郷に帰ってきた。これはデレクとケリーが目標にしていたことでもあり、2人は大いに喜んでいる。特に蒸溜所長のライアン・サザーランドは、ジョン・オ・グローツの南西にあるハルカークの出身だ。

ライアンは電気技師の資格を取ってロールスロイス社で見習いをした後、エディンバラのヘリオットワット大学で電気電子工学の修士号を取得した。その後はウィリアム・グラント&サンズ社でプロジェクトエンジニアとして働き、グラスゴー近郊にある同社のベルズヒル加工管理センターで勤務経験がある。

またエイトドアーズが誕生する際に、貴重なアドバイスをくれたウイスキー業界のベテランが2人いる。それがイアン・エヴァンスとジョン・ラムジーだ。イアン・エバンスは、飲料業界で40年以上の経験を持つ蒸溜コンサルタント。ウィリアム・グラント&サンズ社で15年間にわたって製造工程の開発、品質管理の責任者、蒸溜所全体の戦略開発部長を務めた。

ジョン・ラムジーにもウイスキー業界で40年以上の経験がある。エドリントンで17年間にわたってマスターブレンダーを務め、マッカランのファインオークシリーズの開発に携わった。エイトドアーズ蒸溜所が原酒の熟成を待つ期間は、エイトドアーズ銘柄で販売する特注ウイスキーの製造にも携わっている。

ケリーはジョン・ラムジーの貢献ぶりについて次のように語っている。

「ジョンはスコッチウイスキーの伝統を受け継いでくれる大きな存在。テイスティングやノージングの感性も信頼しています。小規模な独立資本の蒸溜所で、蒸溜と熟成の両方に重点を置くというウイスキーづくりのアプローチを気に入ってくれました。だからこそ、その豊富な知識を私たちに分け与えてくれるのです」
(つづく)