ロニー・コックスの半生とスコッチ業界の舞台裏【第2回/全3回】
故郷スコットランドから、フランスとスペインを経てラテンアメリカへ。グレンロセスの顔になったロニー・コックス氏が取り組んだウイスキーの革新とは?
聞き手:ステファン・ヴァン・エイケン
地下経済が幅を利かせているラテンアメリカ市場で、ビジネスをするのはさぞかし大変だったのでは?
もちろんです。違法な取り引きに関わったことはありませんが、やはり現実を理解しようと努力はしていました。独身だったので、それなりに状況を楽しんでいたところもあります。いつも好奇心旺盛でした。ビジネスマンにとって普遍的な美徳のひとつが、好奇心全開で質問攻めにする気質だと思っています。国外に出た3年間、単身の外国暮らしを通じてそんな気質を身につけていました。ある日突然、ストリートで生き延びるために戦わなければならなくなったことから、素晴らしい学びが得られたのです。そんな訳で、好奇心は失ったことがありません。人との交流も楽しんでいたし、人付き合いが大好きなのでラテンアメリカでは気楽なものでした。当地で13年を過ごした頃には、握手して目を見つめあった相手なら、ビジネスをすべき相手かどうかを即座に判断できるようになっていました。逆にいえば13年もかかったということで、もちろん失敗もたくさんありました。
特に望んでいない国に配属される可能性があったため、1989年に「よし、船を乗り換えよう」と決断しました。その新しい船が、カティーサーク号でした。ちょうどカティーサークがラテンアメリカの担当者を探していたのです。そこで2〜3年働いた後にわかったのは、ラテンアメリカでは、着色していないウイスキーが飲みにくいというイメージがあること。彼らはグラスをなみなみと氷で満たすため、ウイスキーの色もどんどん薄まっていきます。着色料を使用していないカティーサークにとっては、この点がちょっと問題でした。
自分で大きな成功を収めたといえる数少ない国が、ブラジルとパラグアイ(ブラジルへの輸出国)でした。淡い色のウイスキーでも人気があったのは、ボトルとラベルの色がブラジル国旗と同色だったから。でもDCL時代の古いツテは使えませんでした。彼らが扱っていたのは、もっと有名なブランドです。オールドパー、ブキャナンズ、ジョニーウォーカーブラックラベル。ラテンアメリカの消費者は、ブランドに目がないんですよ。
ラテンアメリカ市場で淡い色のカティサークを売るために、何か工夫はしましたか?
ブランドのオーナーに相談しましたよ。でも「俺の目の黒いうちは無理だ」という返事。カティサークは、初めて着色料無添加を謳ったスコッチウイスキーです。そんな大きな特徴を曲げるはずなんかありません。彼は「他のウイスキーは、どういうわけであんなに色が濃いんだろうね?」といたずらっぽく訊ねたものです。もちろん、他のウイスキーが熟成年を長く見せるために着色料を加えていることを揶揄しているのですが。
ブラジルでは12年ものがよく売れました。12年もののウイスキーにとって、ブラジルは一大市場なんです。当時のブラジルでは、すべての売り上げの60%が12年もので、残りはいわゆる普及品のブレンデッド。その点が、他の諸外国とは正反対でした。例えば当時の日本でも、売り上げの90%は普及品のブレンデッドでしたから。
そして1992年頃、買収したてのブランド訪問が始まりました。シングルモルトのブームが到来しつつあり、カティサークと一緒に世界へ輸出するブランドが必要だと考えたのです。ハイランド・ディスティラーズに打診したところ、「好きな蒸溜所を選んでいいよ」という返答。当時のハイランド・ディスティラーズは5〜6軒の蒸溜所を所有していました。カティサークのキーモルトはグレンロセスだったので、それをシングルモルトとして開発するのは理にかなっていたと思います。もちろん当時のハイランド・ディスティラーズが、マーケティングよりも生産主体の会社だったということも念頭に置いてのことです。
グレンロセスは、1987年の発売開始時に失敗を経験していました。ありきたりなウイスキーボトルに入れられ、さえないラベルが貼られていたのです。「なんとか売れているけど、よく売れているわけじゃない」と私たちは話し合いました。何しろ何百万箱というカティサークを売り捌いている私たちが、グレンロセスを数ケース売るのに四苦八苦しているのですから。流通をしくじった国もありました。数量が少なすぎて関心を持ってもらえなかったのです。そこで戦略を練り直すことにしました。
そして1994年、私たちはビンテージ限定の戦略を実行します。当時はさほど大量のストックもありません。なぜなら蒸溜所のオーナーであるエドリントンが、どんどんつくって売り捌く方針だったからです。高品質のウイスキーであっても大半はブレンド用。何しろ99.9%のウイスキーはブレンドに使用されるのです。樽詰めしたばかりのウイスキーや、3年もののウイスキーに需要がありました。
しかし同時に、グレンロセスはスコットランド屈指のシングルモルトであるとも言われていたのです。他社のマスターディスティラーたちに「お気に入りのブレンド用ウイスキーは何?」と聞いてみてください。グレンロセスは風味を増強する「エンハンサー」と呼ばれていました。ありふれた風味のブレンドに、価値を加えて風味を高揚させてくれるウイスキーのひとつなのです。もっとリッチでオイリーなスタイルが望みなら、おそらくマッカランを選ぶでしょう。もっと軽やかでアロマに富んだスタイルならグレンリベットです。でもその中間に位置するフルーティでエレガントな風味ならグレンロセス。この3つの蒸溜所は、特有のスタイルを求めるブレンダーたちの需要に後押しされて成長していきました。
ビンテージ用のグレンロセスは、在庫が潤沢だった訳ではありません。でも大それた野心もなく、既存の顧客に最高品質のシングルモルトを売ることだけが目的でした。直接つながりのある顧客がイギリスに15,000人ほどいて、世界60~70カ国でカティサークの販路を持っています。でもこの計画にはもっと秘められた意味がありました。我々は市場の最上位を目指していたのです。グレンロセスは初心者向けのモルトウイスキーではありません。ビギナー用のモルトウイスキーとは一線を画した勝負がしたかった。このウイスキーは、モルトウイスキーに精通した消費者向けの商品ですから。
ビンテージのウイスキーには、「アッパー」「カンバセーション」「リラクゼーション」という3つのカテゴリーを設定しました。今年5月に担当を外れるまで、この考え方に基づいた3種類のビンテージが市場に出回っていました。発想の根底にはワインがあり、自分が学んだことが活かされています。例えばイギリスでシャンパンを飲む場合、ランチかディナーの前に食前酒として楽しむのが普通です。気分を高めてくれるお酒なので「アッパー」と呼ぶことにしましょう。泡立つような快活さで、少し酸味があり、花や柑橘のような感触もふんだんにあるお酒が「アッパー」です。食後にくつろいだりするときは、イギリスならポートワインなどが登場します。ポートワインはリッチでフルーティー。樹脂やスパイスの力強い風味も強いので「リラクゼーション」にぴったりです。そして、この2種類の中間にあるのがワイン。ブルゴーニュやボルドーなど、世界中のワインが「カンバセーション」のモデルです。
「アッパー」「カンバセーション」「リラクゼーション」は、このようなコンセプトに基づいて分類されています。はっきり分類できないビンテージも一部にはありましたが、大半のウイスキーはこの3種類のどれかに当てはまるのです。
新しいコンセプトを打ち出したとき、最初の反応はどのようなものでしたか?
ボトルのデザインからまったく新奇な感じだったので、「あなた大丈夫?」と言われましたよ。でもボトルのデザインは蒸溜所のサンプル用ボトルをベースにしているので、私たちにとっては完璧に普通な印象なんです。どこかの蒸溜所に行って、サンプル用のボトルをご覧いただけばわかるでしょう。ラベルもサンプル用ボトルを下敷きにしたデザインです。最初は主にイングランド人の旅行者がたくさんやってくるスコットランド西海岸で販売を開始しました。売れ行きを調査したところ、ボトル購入者の60%が女性でした。当時としては極めて珍しいことです。そしてさらに調査を進めると、その女性たちは男性向けのプレゼントとしてグレンロセスを買っていることがわかったのです。ともあれ、かなりの成功を収めました。この成功に学んだエドリントンの元社員が、バルブレアの親会社に移籍して同じような成果を上げました。優れたアイデアが真似されるのはいいことですね。
20年以上にわたってシングルモルト「グレンロセス」を育て、ブランドの顔として活動していたのがロニー・コックスさんです。しかしベリー・ブラザーズ&ラッドは蒸溜所を保有したことがなく、グレンロセス蒸溜所もエドリントンの傘下でした。そして今年の5月、グレンロセスのブランド自体もエドリントンに買い戻されました。ベリー・ブラザーズ&ラッドは、イギリス国内におけるグレンロセスの販売権を保持していますが、これまで同様の関わり方はできなくなくなりそうです。この点について、個人としてどのように感じられていますか?
国境に壁を建設するという計画を、トランプ大統領から聞かされたメキシコ人のような気持ちですね。あの問題に関して感想を求められたメキシコ人が、「がっかりしているけど、乗り越えられるさ」と言っているのを聞きました。私がグレンロセスに感じる気持ちも同じです。青春との決別のようでもありますが、ウイスキーは依然としてそこにあり、これからも素晴らしい成長を見せようとしています。グレンロセスには、必要な教育を与えて育て上げました。ベリー・ブラザーズ&ラッドが路線を継続していることを誇らしく思います。喜びにあふれた仕事で、悲しさもありますが、販売力のある企業の手で世界に届けられることを楽しみにしています。
(つづく)
今回の取材にご協力いただいた店舗様