アナンデール蒸溜所のシングルカスク戦略【前半/全2回】
文:ガヴィン・スミス
スコットランド南西部のダンフリーズ&ガロウェイ州。この地で新しく創設されたアナンデール蒸溜所は、21世紀にスコットランドで創業した多くのクラフトディスティラリーと一線を画している。
まずアナンデールは、ゼロから新規に建設された蒸溜所はない。そして既存の建物を改修して蒸溜所に変貌させた事例とも異なる。
アナンデールは、以前に廃業した蒸溜所の再生プロジェクトだった。アナンデール蒸溜所は1836年に創業し、1895年よりキルマーノックのジョニー・ウォーカー&サンズ社の傘下で営業を続けたが、1918年には閉鎖された。残された建物の一部は農家が利用することになったが、残りの建物は荒廃するがままとなっていた。
そこに登場したのが、地元出身でオックスフォードシャー在住のデービッド・トムソンと、妻のテレーザ・チャーチだ。ローランドに現役のシングルモルト蒸溜所を復活させよう。そんな思いから、夫妻は2007年4月に敷地と建物を購入。アナンデール蒸溜所の再興プロジェクトが2011年6月からスタートした。ウイスキーづくりだけでなく、傑出したビジター体験の整備も目標のひとつとなった。
再興プロジェクトに投じられた資金は、1250万英ポンド(約17億円)。最高品質のウイスキーを目指すため、一流の職人技と原料を確保して、細部にまでこだわるのがアナンデールの方針だ。そのプロセスすべてに、トムソンとチャーチが直接かかわるという経営スタイルも注目された。
そして2014年11月、ついに最初のスピリッツが蒸溜された。原料のモルトには、ピーテッドとノンピートの両方を使用。どちらもシングルモルトウイスキーを前提としたスピリッツである。ノンピートのウイスキーは「マノワーズ(Man O’ Words)」と名付けられた。偉大な吟遊詩人で、地元の収税吏も務めたロバート・バーンズにちなんだ名称である。またピーテッドのウイスキーの名称は「マノスウォード(Man O’ Sword)」 で、こちらはアナンデールの第7代領主でもあったロバート1世(スコットランド国王ロバート・ブルース)を記念したものである。
初出荷と同時期に初代総支配人を任命
熟成の時間が流れ、2つのシングルモルトウイスキーは2018年の半ばに初出荷された。そのわずか2ヶ月後、アナンデール蒸溜所の初代総支配人に任命されたのがデービッド・アシュトンハイドだ。
クラフト蒸溜所立ち上げの経験が豊富なアシュトンハイドは、アナンデール蒸溜所のチームに貴重な知見をもたらしてくれた。就任の直前まで、高名なシェフで起業家のヘストン・ブルメンタールと一緒に、バークシャー州ブレイのファット・ダック・グループで働いていた。本人がみずからの来歴を説明してくれる。
「生まれたのはアスコットです。父はホスピタリティ分野でさまざまなキャリアを積んだ人物。愛する母は、看護師として40年間働いてきました。私自身はまずレストランやホテルの仕事に就いて、それがきっかけでスピリッツやカクテルの世界に導かれたのです」
両親の影響はもちろん、アシュトンハイドは仕事を通じてさまざまな重要人物たちに学んできた。
「サイモン・キング(ファット・ダック・グループ、ゴードン・ラムゼイ・グループ)、アルマン・ファゾーラ(マーロウのデーンズフィールドハウスホテル)、そしてゴッドファーザーのような存在のホルヘ・ドミンゲス(ロンドンのレインズボロウホテル)、スティーブン・ウィンヤード(ストボキャッスル)から多くを学んできました。みな古き良きホスピタリティを実践するプロフェッショナルたちで、極めて有能なビジネスマンでもあります。私の仕事に対する考え方は、彼らと一緒に働くことで形成されたと言ってもいいでしょう」
アシュトンハイドは、スペインでインターナショナルな雰囲気のタパスバールをオープン。その後で英国へ帰ってきた。ビジネスキャリアを振り返り、当時のいきさつを教えてくれた。
「12年前、ブレイにあるヘストン・ブルメンタールのハインズヘッドホテルの副店長に任命されました。有名レストランのファット・ダックの隣にあるバーです。その後、同じ店の店長と総支配人も務めました。その間にミシュラン1つ星をとれたのが、キャリアの中でも素晴らしい思い出です。またヒースロー空港の第2ターミナルにあるパーフェクショニストカフェの立ち上げにも関わり、ヘストンのザ・クラウン・パブでも総支配人を務めました」
そんな経歴の中でも、テレビ番組の企画でファット・ダックの「エクスペリメンタル・キッチン」(実験厨房)のドリンク開発にチャレンジしたり、ウェイトローズの企画商品を手掛けたり、レストランメニューの開発に関わったのは幸運なことだったとアシュトンハイドは語る。
「役員になってから、ヘストンを2人きりで話してアドバイスをもらいました。『なあデービッド、君にはすべてのことに疑問を持ってほしいんだ。よく見えるものでも、それ以上に良いものにできる可能性がある。一番だと思われているものだって、誰もそれ以上のものを作っていないから一番でいられるだけなんだ。だから上の立場にいる人を追い越すためにチャレンジして欲しいし、疑問に思っていることを周りの仲間に聞いてくれ」と言われました。2週間ごとにあるテイスティングも素晴らしい体験でした。ヘストンのチームは、魔法のキャンディを作ろうとしている子供みたいにマニアックだったんです。あのエネルギーや情熱に触れた興奮は忘れられません」
美食の世界からウイスキーづくりへ
ヘストンと一緒に9年間にわたって働いてきたアシュトンハイドだが、ビジネスの先行きが不透明になったことから変化を求めるチャンスだと考えた。
「テレーザ・チャーチのお母さんが、私の母と旧知の仲だったんです。そんな縁があって、アナンデールのニューメイクスピリッツをテイスティングしてみました。香りも味わいも素晴らしく、それまでに味わったどんなものにも似ていませんでした。ブレイで最高級のウイスキーや蒸溜酒を世界中から取り寄せていたのに、アナンデールの魅力は傑出していたのです」
その後、デービッド・トムソンとテリーザ・チャーチに何度か会ったアシュトンハイドは、蒸溜所を訪問するように招かれた。そのときのことをアシュトンハイドは回想する。
「ウイスキーの品質も素晴らしいし、細部に至るまでのこだわりにも驚かされました。ウイスキーづくりにかけたデービッドとテリーザの努力と情熱に、すっかり影響されてしまったのです。ウイスキーは樽の中で熟成されており、2つのブランドで商品を発売する準備が整っていました。だから新しくできる蒸溜所総支配人という役職に誘われたときは、喜んで引き受けることにしました」
(つづく)