フェッターケアンの森【後半/全2回】
文:アビー・モールトン
ファスク・エステートの敷地内にある製材所は、ダイナミックな産業の息吹を感じさせる場所だ。木材を伐ったり削ったりする機械音が鳴り響き、空気中に漂うおがくずが爽やかな木香で鼻腔を刺激する。スピリッツを入れる前の新樽には、鮮やかなスパイス香やシガーボックスを思わせる濃厚なアロマもある。
樽材となる板はうず高く積まれ、品種や加工の違いで分類されている。空気乾燥、水分の管理、カットの手法などでも別々に扱われる。グレッグ・グラスが板を何枚か引き出して、そんな違いを説明してくれる。木材の密度にはバラツキがあり、その密度によって板が樽のどこに使われるのかが決まってくる。また端材の利用にも知恵が絞られる。
「こういう専門的な知識や技術は、もともとスコットランドにもあったはずなんです。フランスや米国では、今でもしっかり受け継がれていますけどね。でもスコットランドでは、そんな職人技が一度失われてしまいました」
そう説明するグレッグは、歴史の現状に不満や憤りさえ覚えているようだ。
「私たちスコットランド人は、木を育てる知恵を失い、製材の技術も途絶えさせてしまった。これが他の国だったら、ふつうはすべて継承されているはずなんですよ」
かつて盛んだった林業が、ここスコットランドでは廃れてしまった。グレッグはそれが悔しくてならないのだ。
蒸溜所と製材所が緊密に連絡を取り合って仕事をすることは、お互いのスキルアップに役立っている。グレッグ・グラスは、樽材となる木材について技術的な助言を製材所のチームに伝えやすい。また製材所がすぐそばにあることで、捨てられたり燃料になったりする端材も実験用に調達できる。
このような状況もまた、無駄をなくして環境に貢献しようという蒸溜所の理想にかなっている。樽材にならず余ってしまった端材は、家具作りのワークショップに回すこともある。また不要な樹皮は、鞣し革の工房で重宝される。
「この取り組みは、全体としてさまざまな物事を地域経済の枠内で回すという理想に根ざしています。資源を無駄なく利用できる人たちが、すぐ連絡が取れる近所にいることが大切なんです」
産業復興と環境保護に貢献する
グレッグはさまざまな斜陽産業の復興を支援したいと願っている。そのひとつが樽工房だ。フェッターケアンが、スペイサイド・クーパレッジと提携した理由もそこにある。既存の見習い制度の枠内で、4年間にわたって技術をしっかりと見に付けてもらえるような訓練プログラムを一緒に作った。このプログラムによって、未経験者が一から自分の手で樽を製造できるようになる。この職人技もまた英国から失われつつある技術のひとつだ。
森で育てられた木は、いずれ伐採されて製材所へ行く。そして製材所で切り分けられた木材が、樽工房へ行く。樽工房で組み上げられた樽は蒸溜所へたどり着くが、そこからまた樽工房へ帰っていくことになる。このような技術と資源の流れは、サーキュラーエコノミー(循環経済)と呼ばれるサステナブルな未来を築く足がかりになるだろう。
このような異業種間の提携関係は、現実的で具体的なものだ。マーケティングのために見せかけている美徳よりも遥かに実効性がある。敷地内の木を加工するために開業したファスク製材所も、今では着実にその業務を拡大させ、他の地域で伐採される木材も取り扱うようになった。会社の成長にあわせて、雇用する人数も増えてきているとグレッグは語る。
「この流れをウイスキー業界全体に広げていくのが目標です。いつの日か、すべてのモルト蒸溜所が自前の木材や製材所を運営し、できれば樽工房までを抱えることによって、生産工程全体での環境負荷を抑えられるようになったらいいなと願っています」
フェッターケアンのような植樹活動には、もちろん荒廃した大地を緑化することで環境改善に貢献する側面もある。ウイスキーメーカー各社と農業界は、地球温暖化による大きな変化と早急な対応策について考えている。フェッターケアンは英国の林業委員会や緑化慈善団体「ツリーズ・フォー・ライフ」をプロジェクトに招き入れている。
この森を育てて活用することで、輸入針葉樹の独占状態を是正して生物多様性の保全にも貢献できる。またスコットランド原産のオークを増やし、二酸化炭素の回収目標に向かって取り組みを勧められる。現在、苗木の周辺には草が生え始めており、将来的にはさまざまな野花やクローバーで覆われるようになるだろう。このような周辺の植物も二酸化炭素の吸収に役立ってくれるはずだ。グレッグいわく、この土地は幸いにして過去に化学物質で汚染されたこともない。
「ここで人為的に自然をはぐくむことにより、さまざまな意味で理想的な熟成樽を得られるようになります。この森は、そんな未来を描く真っ白なキャンバスのような存在ですよ」
ホワイト&マッカイ傘下で広がる取り組み
社会や地球環境に配慮しながらも、ウイスキーのプロジェクトとしてはフレーバーが大切だ。グレッグによると、スコットランド産オークの香味はウイスキーに影響を与えつつあるのだという。
「今年、ホワイト&マッカイ傘下のすべてのモルト蒸溜所が、何らかの形でスコットランド産オークの樽を使い始めます。ベンチマーク試験に使ったり、チャーの効果を検査したり、酸素含有量を調べたりとアプローチはさまざまです。新世代のウイスキーという切り口で、商品を発売する蒸溜所もあります。ここフェッターケアンのように、これからのウイスキーメーカーとしてはごく当然のこととして地元産の原料にこだわる蒸溜所も出てくるはずです」
このような可能性が、植樹プロジェクトから広がっていくのは極めて興味深い。だがグレッグ・グラスにとって、スコットランド産オークの使用をみずからに義務付けることが目的という訳ではない。
「アメリカンオーク樽で熟成した原酒の代わりになるとは思っていません。でも樽の出自について、みんなが関心を持てたら面白いと感じているんです。世界では貴重なジャパニーズオークのミズナラ樽がもてはやされていますが、稀少性でいえばスコットランド産オークのほうが珍しい。それにフレーバーの多様性でも優っています」
だからこそ、スコッチウイスキーづくりにスコットランド産オーク材が利用できたら素晴らしい。そしてグレッグは、それよりもさらに大きな理由で恩恵を感じているのだという。
「よくウイスキーには仕込み水が重要だという話をしますよね。確かに水は重要だと思うのですが、でも最終的な製品であるウイスキーで、水の違いがどれだけ感知可能なものなのでしょうか。そんな意味でいけば、この森林は大きな違いをウイスキーにもたらしてくれます。樽の影響は香味全体の50〜80%と言われていますから、それくらい大きな要素がスコットランド産の原料からもたらされるということになるのです。この目標を目指さない手はないですよね」
ホワイト&マッカイのコミュニケーション部長、キエラン・ヒーリー=ライダーは次のように語っている。
「このプロジェクトは、コミュニティの助けになり、エステートの助けにもなっています。そしてエステートが土地を守り、土地が私たちを守ってくれる。こういう関係が、理想的な未来のあるべき形なのではないかと感じているんです」
敷地内には、樹齢200年を超える大木もある。スコットランドの国民的詩人、ロバート・バーンズが代表作を書き上げていた頃からここにいるのだ。その後も老木は2つの大戦を乗り越え、禁酒法も経験し、ウイスキー産業の盛衰を見届けてきた。やがてデジタル時代に入り、現代は政治や環境の難局にも直面している。
植えられたばかりの苗木が、これからどんな時代を生きていくのはほとんど予想もできない。他のウイスキーメーカー各社もグレッグ・グラスのチームと手を携えて、明るい未来に向かっていくことを願うばかりだ。