環境再生型農業とウイスキー【前半/全2回】
文:ライザ・ワイスタック
メーカーズマークを現在のような有名ブランドにしたのは、6代目のビル・サミュエルズ・シニアによる貢献が大きい。一族が続けてきた素朴なバーボンづくりを変革するため、1952年にケンタッキー州ロレットのスターヒル農園を購入して新しい蒸溜所を建設した。
だがビルの孫にあたるロブ・サミュエルズ(現在の最高責任者)は、むしろスターヒル農園購入の160年前から一族がケンタッキー州で続けてきたウイスキーづくりに誇りを持っている。
当時のウイスキー製造といえば、もっぱら農業の余剰事業であった。農家は穀物を収穫して生計を立てながら、売れ残った穀物を蒸溜してウイスキーをつくっていたからだ。だが今やメーカーズマークは1,300万プルーフガロンのウイスキーを生産しており、周辺の農家から4,825万トンのコーンと1,180万トンの小麦を調達している。
蒸溜所のマッシュタンに投入される大量の穀物は、自然環境に配慮した栽培方法で収穫されているのだろうか。ひとつの指標になるのが、環境再生型農業(リジェネラティブ農業)だ。これほど大規模な事業になると、環境再生型農業を実践している農家との提携は非効率だと思われるかもしれない。だがメーカーズマークは、環境再生型農業の認証を受けたスピリッツを2023年11月から熟成している。
メーカーズマークのロブ・サミュエルズは、次のように語ってくれた。
「バーボンづくりは大型設備を使った大量生産の事業でもありますが、品質を差別化するために特別な手順を踏むこともできます。もう70年も前から、私たちはウイスキーが自然からの授かり物であると考えていました。ウイスキーは工業製品ではなく、あくまでも農産物だと信じているんです。現在のスターヒル農園のチームは、穀物の風味について研究を進めています。つまり土壌の健康状態や農法を研究することで、風味だけでなく環境や人間に与える影響について分析しているのです」
この研究の一環として、小麦の最新品種が開発されることになるとロブはいう。ケンタッキー大学のデイビッド・ヴァン・サンフォード教授(小麦部長)をはじめとする専門家たちは、25品種の冬小麦について収率などを研究している。これらの品種は、すべて被覆作物と不耕起栽培を実践する5万エーカーの農地で栽培されているのだ。各品種がスピリッツやウイスキーの風味に与える影響について、これからさらに細かな知見が得られるだろう。
自然環境は人体の健康にさまざまな影響を与えるが、植物も生育条件によって元気になったり衰えたりする。考えてみれば、ごく当たり前の話だ。高度に工業化された農法では、農薬、科学肥料、耕作技術などが表土を破壊し、土壌の栄養素を枯渇させてしまう恐れもある。そんなリスクに立ち向かうため、サステナブルな農業の基本に立ち返ろうという動きが高まっている。
収奪から循環へと発想を転換
生物多様性、土壌の健全性、養分密度、水の循環を最大限に優先させる栽培は、「環境再生型農業」(リジェネラティブ農業)と呼ばれる。輪作や被覆作物の栽培などを通じて、有機物を増加させながら微生物を活性化することで土壌構造と栄養を強化させる農法だ。表土の耕起やと化学肥料を排除することで、土壌のダメージを軽減できるようになる。健全な土壌は炭素を隔離し、気候変動の緩和にも役立つ。
第三者検証機関であるリジェニファイド社に、環境再生型農業の定義を尋ねてみた。サラール・シェミラニ最高経営責任者(CEO)は次のように語っている。
「環境再生型農業とは、土の中はもちろん地上にもあるすべての生命を修復し、回復させ、活性化させることを重視した農法です。それは特定の工程や処方箋のことではなく、チェックリストをすべてクリアすれば完成するものでもありません。最終的な作物を育てるだけでなく、自然の力を収奪しない持続可能な再生産の関係を持つことが大切です」
リジェニファイド社は、環境再生型農業に基づいて土地や製品を認証する段階的なシステムを開発した。これはオーガニック認証のような新しい指標が、認証された農家や企業の価値も高めているのだとシェミラニは言う。
「既存の農法から環境再生型農業に移行するのは、自然から受け取る量を減らして、お返しする量を増やすという考え方を意味します。それはただ単にスイッチを切り替えるような話ではありません。じっくり時間をかけた実践を通して、農業全体を改善させていく継続的な取り組みなのです」
このリジェニファイド社と協力して、合計5万エーカーの農地を「環境再生型農業」に認証した大手蒸溜酒メーカーの第1号がメーカーズマークである。認定農場で生産された穀物を75%以上使用して製造されると、商品としてのスピリッツにも環境再生型製品の認証が与えられる。大企業から小規模な生産者まで、原料のサプライチェーンに注目するウイスキーメーカーは他にも増えている。つまり環境再生型農業を実践している農場から、積極的に穀物原料を調達するようになったのだ。
酒類大手のディアジオは、炭素排出量削減を目的とした10年間に及ぶ環境・社会・ガバナンス(ESG)行動計画に10億英ポンドを投資している。この計画は「ソサエティ2023」と呼ばれ、メキシコとスコットランドにおける環境再生型農業への取り組みも対象になる。スペイサイド、ノーザンスコットランド、スコティッシュボーダーズの農家と協力しながら、土壌内の炭素や健全性の構築を目指してパートナーたちとタッグを組んでいる。この計画を主導するのは、ディアジオの環境再生型農業のグローバル責任者であるヴァネッサ・メールだ。
ディアジオが農場と直接契約している訳ではない。それでもサプライチェーンを見直して、サステナブルな農法を実践する農家と未来志向の関係を築いているのだとヴァネッサは語る。
「ディアジオは、バリューチェーンにおける様々な農法に影響を与えられる立場です。私たちはサプライヤーと協力し、技術組織や研究機関のようなものを取り込み、同じ課題に取り組むパートナーのエコシステムを構築しています。その第一弾が、環境再生型農業プログラムなのです」
ディアジオのような大企業には、イノベーションを起こすためのリソースも潤沢にある。現在は最適な被覆作物の使用方法を見極めるため、さまざまな種子の組み合わせを実験しているところだ。
(つづく)