マスターディスティラーのグレアム・ユンソンが、ウイスキー業界34年の長いキャリアを閉じる。その半生を振り返り、トマーティン蒸溜所での集大成を称えるインタビュー。

文:ガヴィン・スミス

 

ハイランドの首都、インバネスから南へ約25キロ。ウイスキー業界の隆盛がピークを迎えた1970年代に、トマーティンはスコットランドのモルト蒸溜所として最大の生産能力を誇っていた。蒸溜器23基を擁し、年間最大1,250万リットルのスピリッツを生産していたのだから驚きである。
 
それ以来、トマーティンは時代の流れにあわせて劇的な変化を遂げてきた。その変遷の多くを間近に見つめてきたリーダーがグレアム・ユンソンである。ブレンデッドウイスキー用に大量生産する蒸溜所から、数々の受賞歴に象徴される高品質なシングルモルトウイスキーの製造に転換したのもユンソンだった。シングルモルトのラインナップも次々と開発し、過去10年間だけでトマーティンの販売量は170%も増加している。

ユンソンは2011年にトマーティンの蒸溜所総支配人として入社し、8年後には蒸溜所運営責任者に任命された。スコッチウイスキー業界では34年間にわたって勤務してきたが、このたび惜しまれながら引退することになった。着任した当時よりも、トマーティンを明らかに良い状態にして去るのはプロフェッショナルとしての誇りである。

さまざまな蒸溜所で経験を積んだグレアム・ユンソンの集大成は、トマーティン蒸溜所の改革だった。ブレンデッド用の大量生産からシングルモルト中心に方針を転換することで、品質の一貫性とブランド力を大きく高めた。

ユンソンはオークニー諸島で生まれ、肉牛を育てる農家で育った。大工の見習いを経て、島のスキャパ蒸溜所で働いたのがウイスキー業界との馴れ初めである。貯蔵庫、糖化棟、蒸溜棟で仕事をおぼえ、見習いながら発酵工程の管理をするようになったのだとユンソンは回想する。

「仕事を覚えていく順序は、ウイスキー蒸溜所の伝統にのっとっていましたね」

だがスキャパ蒸溜所は、残念ながら1994年に閉鎖されてしまう。ユンソンは妻と1歳の息子を連れてスコットランド本土に移り住み、アバディーンシャーのグレンドロナック蒸溜所で働き始めた。だがこれも運命なのか、1996年にはグレンドロナック蒸溜所も操業停止に追い込まれてしまった。

次の職場は、グレンモーレンジィ蒸溜所だった。ビル・ラムズデン博士のもとで助手として働き、ラムズデンが本社に移ったのを期に蒸溜所長の職を引き継いだ。

務めていた蒸溜所が2軒も閉鎖されるという経験をしたグレアム・ユンソンだが、今度はグレングラッサ蒸溜所の再稼働という重責を引き受けることになった。マレイ湾に面したグレングラッサ蒸溜所は、22年間の休業状態を経て2008年に再び動き出した。

グレングラッサ蒸溜所の再出発を軌道に乗せたユンソンの手腕に、トマーティンが熱視線を送っていた。トマーティンは、1986年にスコットランドの蒸溜所としては初めて日本資本(宝酒造と大倉商事)の傘下となった蒸溜所だ。ちょうど将来に向けた経営方針を模索している時期だったのだとユンソンは説明する。

「私が入社した当時のトマーティン蒸溜所は、12基の蒸溜器でフル稼働していました。しかも1日24時間、年間365日というほとんど無休のウイスキー製造を続けていたのです」

蒸溜器が空になると、すぐに次の蒸溜を開始するような忙しさだった。ユンソンはそんな量産体制から品質重視の方針へを舵を切ったのだという。

「私が体制を変更し、蒸溜工程のバランスも改善しました。現在は再溜器の運転時間も12~13時間に設定されており、トマーティンに必要な軽やかでフルーティな甘いスピリッツをコンスタントにつくっています。生産能力は十分なので、急ぐ必要はありません。その代わり、品質の一貫性が格段に向上しました」
 

シングルモルトブランドとしてのトマーティンを牽引

 
ユンソンがトマーティンに招かれたのは、他社のブレンデッドウイスキー用に大量のモルト原酒をつくる方針から、自社ブランドのシングルモルト製造に大きく方針転換するタイミングでもあったのだとユンソンは振り返る。

「生産方針を見直して、私たちは自らの運命を掌握できるようになりました。着任した当時は業者間の販売が事業の70~80%を占め、シングルモルトは20~30%に過ぎませんでした。現在ではシングルモルトが60~70%を占めています」

トマーティン蒸溜所は、ウイスキー観光客にも人気の目的地となった。ビジターは2018年に記録的な年間4万人を超え、今年も3万2,000~3万4,000人が見込まれている。

「ビジターセンターの収入は、売上全体の4~5%に過ぎません。でもここはブランドを体験してもらうショーウィンドウのような存在でもあり、いずれ新しいビジターセンターが建設される予定です」

トマーティン蒸留所の実績で満足しているのは、樽熟成の方針を揺るぎないものにしたこと。その成果は、自身のためにブレンドされた特別ボトルにも表れている。

トマーティン在任中に、ユンソンは軽やかなピート香を効かせた「クボカン」ブランドのウイスキーも開発した。さらには1996年に買収して2024年に再発売したプレミアムブレンデッドウイスキー「アンティクァリー」の監督でもその手腕を発揮した。

同時にシングルモルト「トマーティン」のラインナップも拡大し、50年熟成のウイスキーまで発売するに至った。それでもユンソン本人のお気に入りは、年数表示のない「トマーティン レガシー」なのだという。

「カクテルにも合うように、熟成年数が若めで甘くて飲みやすいトマーティンを開発しました。候補のブレンドを3種類に絞り込み、スタッフのブラインドテイスティングを経てレシピを確定したんです。本当にチームワークの成果でした。オーク新樽とバーボン樽の組み合わせがとても気に入っています」

引退を決めたユンソンだが、今年末までは月に2~3日ほどトマーティン蒸溜所で働く予定だ。

「私の娘はディアジオのローズアイル蒸溜所で蒸溜所長を務めています。その娘の家と庭の改修が必要なので、その作業も手伝う必要があります。妻との旅行も増やしたいと考えていて、日本旅行も計画中です。また10月にはトマーティン蒸溜所のシフトで働いている息子のスコットに初孫が生まれる予定です」

トマーティンの歴史に残るグレアム・ユンソンの多大な貢献を称えて、蒸溜所はシングルモルト「トマーティン レガシーメイカーズ グレアムユンソン エディション」を発売した。これは1990年に樽詰めされたホグスヘッドのリフィル樽と2011年のフレンチオークバリック樽で熟成された特別なウイスキーだ。

トマーティンでの最も重要な成果について尋ねると、ユンソンは在籍中に定めた樽熟成の方針であると答えてくれた。

「最高の樽を手に入れなければ、ウイスキーづくりはうまくいきません。長期熟成にはリフィル樽を使用し、樽材の風味がスピリッツを支配しすぎないようにしています。在庫を適切な状態に保つことが、何よりも重要でした。良質なスピリッツを良質な樽に詰めるという基本に徹してきました。樽熟成の管理について言えば、私がここに来たときよりも良い状態にして去ることができると自負しています」