戦前の日本とウイスキー【その1・全3回】

January 16, 2013

日本におけるウイスキーの歴史といえば、「ジャパニーズウイスキーの歴史」として語られることが多い。しかし今回は、「舶来物」であったウイスキーが世の中に普及し、人々に愛されるようになるまでの歴史を掘り下げよう。食品や外食に携わるプロ向けのサイト「Food Watch Japan」で豊富な洋酒の歴史的知識をもとに連載を持つ石倉一雄氏に、戦前の日本のウイスキー事情を紐解いていただいた。


ウイスキーに関してコアで知識量も経験値も高いウイスキー・マガジンに、読者の知らない話を書くことになった。そうなると歴史のホコリを被ったどころか、地中に深く埋もれていた話をスコップで掘り返していかないと、読者には満足してもらえそうもない。そんなわけで、最新モルトの入荷情報のように読者に直接役立つ情報…にはならないが、酒場で話題に出来そうな昔のウイスキー話を書かせて頂くので、よろしくお付き合いの程をお願いしたい。

さて「戦前日本のウイスキー事情」と聞いて読者の方々は何を思い浮かべるだろう。
昭和4年に発売されたサントリー(壽屋)やニッカ(大日本果汁)に関しては様々な文献で語られているし、本稿では、取り敢えずあまりに有名な鳥井・竹鶴両氏への言及は避けて「それ以外」のところから話を進めていこう。

幕末日本のウイスキー事情

まだ日本でウイスキーを知る人が少なかった時代のウイスキーの解説

現在のバーの品揃えからは想像もつかないことだが、日本が開国した1863年から50年近くに渡ってウイスキーは蒸溜酒の主役では無く、ジュネバ(オランダ・ジン)やトムジン(ジンに甘みを加えたもの)と並ぶ「その他大勢」に過ぎなかった。
例えば明治35(1902)年に出版された「食物彙纂(しょくもついさん)」という漢字のテストに出て来そうな難しい本でラムが9ページ、120行に渡って詳解されているときに、ウイスキーについては何行の説明があったと思われるだろう?これが、なんと5行。誤植では無い、たったの5行しか書かれていなかった(※画像参照)。
証拠はこれだけではない。明治24(1891)年に歌われて全国的に広がった「オッペケペ節」という歌の三番を引用してみよう。
「むやみに西洋鼻にかけ/日本酒などは飲まれない/ビールにブランデー、ベルモット/腹にも馴れぬ洋食を/やたらに食うのも負け惜しみ」(※本来の作詞者である川上音二郎のバージョンより)
つまり、明治20年代~明治35年に至るまで(ここで明治「35」年にこだわる理由は後に明らかにしていく)の時点で日本の庶民が思い描く洋酒は「ビールにブランデー、ベルモット」であり、ウイスキーはベルモットより知名度が低かったことになる。

幕末の英字紙Japan Heraldに掲載された洋酒広告

実際に幕末から明治初期の輸入リストを見てもブランデーの優位は明らかだった。
元治元(1864)年2月、つまり明治に元号が変わる4年前の英字紙THE JAPAN HERALDにはヘネシーやオタールを初めとする5銘柄がG.H.CARRIER商会の宣伝に掲載されているものの、ウイスキーに関してはWHEAT SHEAF 1銘柄のみで、他は「古いバーボン」に「アイリッシュとスコッチ」としか書かれておらず、言ってみれば「その他大勢」という扱いに甘んじていたことがわかる。
神谷バーの電気ブラン(昔は電氣ブランデー)が電気「ブラン」であって電気「ウイスキー」ではないのは、素材もさることながら、電気ブランが誕生した年(明治26年)が深く関連していた(※画像参照)。

「WHEAT SHEAF」というのも不思議な名前だ。
本誌の読者ならばご存知のように、モルトウイスキーの原料は大麦(Barley)であり、小麦(Wheat)は使われない。とうもろこし(Corn)や、ライ麦(Rye)ならばともかく、小麦(Wheat)の束(Sheaf)ではパンやビールの材料にはなるがウイスキーの主原料、ひいては銘柄名としては考えにくい。

ここで「それでは筆者がそこに隠された真実を読者にお知らせしよう」と大見得を切ることが出来ればたいそう気分もいいのだが、現在のところ残念ながら筆者の手元にそれ以上のヒントを示す資料は無い。スコットランドとアイルランド、バーボンが当時のヘラルド紙に列記されていることから消去法で行くとカナディアンではないかと推測できるのだが、筆者の推測にすぎない。
それ以上の根拠については、今後製造事情や海外の古い歴史に詳しい識者の発見を待つこととして、次回は少し時代が下った明治4年の「あるウイスキー」について書き進めていきたい。

次回予告ということで昭和9年の東京卸賣相場表のカルノー商会の取扱商品の一部をお見せしたい。80年近く前の資料だから単位は円と銭。バーテンダーやお酒に詳しい方なら表記の違いはあれ、思い当たる銘柄があるかと思う。

横浜山下町で輸入販売を行っていたカルノー商会の取扱商品

(その2に続く)

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