スペイサイドの型破りな男たち 【前半/全2回】
スペイサイドほど伝統が染みついている場所が、現代の真の異端児を生み出すことができるのか? この地域の考え方を変えた自由な発想の人々とウイスキーに、ニール・リドリーが迫る。
インターネット検索エンジンのどれかに「maverick」と打ち込んでみよう。一般的な意味は異端者、一匹狼、仲間と離れた独自のスタンスをとる知識人などの人々のことだ。確かに、ウイスキー業界はこれまで多くの自由奔放な考えの持ち主や先駆者を輩出してきた。チャールズ・ドイグ(蒸溜所設計者・パゴダ屋根で有名)、サー・ピーター・マッキー、それにジョージ・スミスやウィリアム・グラントといったスペイサイド人は、明らかにその資格がある。しかし、その遺産と伝統が根付いた現代では、異端児も若干見つけにくいかもしれない。「maverick」のキーワードで照らし出すと、ゆるやかな起伏のあるスペイサイドの大地から3つの名前が浮かび上がった。
ウイスキーの一匹狼 ― アードモア
純粋にウイスキーという視点では、ひとつの蒸溜所がスペイサイドの群から一線を画しているが、同時にそもそもそこは本当にスペイサイドの仲間なのかという疑問も生じる。
「私たちは基本的にはここをハイランドの蒸溜所と考えています」とアードモア蒸溜所のマネージャー、アリスター・ロングウェルは言う。
「実際にスペイサイドの外縁部に位置していますが、ここをスペイサイドの蒸溜所と初めて分類したのはゴードン&マクファイル社だと思います。それからは誰もがそれに倣いました」と彼は笑い、「マイケル・ジャクソンも、いつも私たちをスペイサイドと呼んでいました。『スピリット・オブ・スペイサイド』フェスティバルに入れてもらうために特別料金を払わなければならないかもしれませんね」と冗談めかして言う。
フェスティバルのオープニングの夜、実行委員らがアリスターにパスポートの提示を求めるかどうかはまだ分からないが、どう境界線を引くとしてもこの蒸溜所の地位を否定する者はいない。アードモアは近隣の蒸溜所のブランドに似ているようなウイスキーはつくらないことから、私はアリスターが自分たちを一匹狼と思うかどうかとても知りたかった。
「ウィリアム・ティーチャーの息子がこの蒸溜所を建てた1898年に遡って考えてみれば、確かにここには常に一匹狼の要素がありました」と彼は指摘する。冷却ろ過という標準的な方法を断固として避け(皮肉にもこの方法は、1913年の 木製ヘッド付きコルク栓と並んで1920年代にティーチャー一家が考案していた)、よりシンプルな『バリアフィルター』を好んだこの蒸溜所は、主軸製品の熟成にも経済性の低いクォーターカスクを使用している(アードモア トラディショナル・カスク)。
「ティーチャーズのブレンドには常にこの地域のモルトウイスキーが豊富に使われていました」とアリスターは言う。
「しかし、ブレンダーらがブレンドの中核となるピートの効いた原酒を求めていたので、以来アードモアでは継続的にピーテッドウイスキーをつくっています」
「オリジナルのモルティング記録を見れば、アードモアがいつも十分にピートを効かせていたことが分かるでしょう。さらに、私たちはピーティさを加えた、とてもスイートでモルティなウイスキーもつくっていますが、それは境界の向こうのスペイサイドにいる仲間たちが20年代/30年代以降止めてしまったものです」
当然ながら、無邪気なドリンカーは「ピート」と聞けば直ぐにアイラ島やスカイ島、オークニー諸島といった一連の光景を思い浮かべがちだ。では、アードモアのスタイルはこのかなり広い区分のどこに収まるのだろう?
「私たちのピートはすべて蒸溜所の地元産で、直線距離にしておよそ40マイル(約64㎞)離れたセントファーガスでノーザン・ピート&モス社が切り出しています」とアリスター。「アバディーン州のピートは知名度の高い海岸エリア産のピートとは全く異なります。はるかに炭素が多く、ミズゴケが含まれていませんから、アイラ島のモルトなどが豊富に持っているヨウ素/塩っぽさが感じられません。ここのピートは炭/焦げた燃えさしの特徴がずっと強く、それがウイスキーにドライでススっぽい香りをもたらしています」
【後半に続く】