メキシコにウイスキーづくりの伝統はない。しかしこの土地で人々とともに生きてきた穀物ならたっぷりある。科学と人類学の視点を踏まえ、正統なメキシカンウイスキーを定義したイバン・サルダーニャの物語。

文:ライザ・ワイスタック

 

「アバソロ」は、地元産のコーンを使用した既存の「メキシコ産ウイスキー」とも一線を画している。そのようなドリンクは、過去にも生産されたことがある。しかし「アバソロ」は、明確にメキシカンウイスキーと呼べる製品だ。なぜならイバン・サルダーニャが設立した蒸溜所は、ウイスキーづくりを目的としたメキシコ初の蒸溜所であるからだ。

イバン・サルダーニャは、サワーマッシュなどのよく知られている手法をただ真似ようとはしなかった。また気候に関連した樽熟成のシミュレーションにも興味がなかった。イバンの望みは、この古代から受け継がれてきた大地の伝統とテロワールをしっかりと捉えた品質を生み出すことなのだ。このメキシコの伝統は、農業、地勢、人類学を学ぶことによって表現できる。

テロワールは、科学や古代料理の伝統などにも関連している。イバンは合計12種類ほどのコーン株で実験を繰り返し、結局はネバド・デ・トルーカ火山の麓だけで栽培されてきた「カカワシントル」という品種に白羽の矢を立てた。ネバド・デ・トルーカは、メキシコシティ近郊にある標高約2,000メートルの火山である。カカワシントル種のコーンは、ボリュームのあるメキシコ伝統のスープ「ポソレ」によく使われる。

アメリカのウイスキーメーカーもコーンの伝統品種に注目し始めているが、イバンも収率より風味を重視しようという意識が強い。通常の蒸溜酒用なら、安価で入手しやすいコーンを使うところだ。1994年に北米北米自由貿易協定が施行されてから、メキシコは国産コーンよりも安価なアメリカ産コーンの輸入量を増やしてきた。この状況によってメキシコ産のコーンは遺伝的多様性を喪失する脅威にさらされ、小規模農家の生活も厳しくなった。

ウイスキーづくりを主目的にした蒸溜所はメキシコ初。少量生産で、収率よりも味わいを優先する。伝統手法のニシュタマリゼーションを踏襲し、メキシコらしい香味を追求することがメキシカンウイスキーの創始に必要だった。

イバン・サルダーニャがいうところの「フェアで、本物で、わくわくするような農業」を支援しながら、カカワシントル種の使用を保全するため、古代からのコーン種を永続させる。これがコーン単作のリスクを遠ざけることができるとイバンは考えているのである。

「市場を失いつつあるコーン品種のなかにも、素晴らしい多様性があります。このウイスキーをつくり続けていれば、そのようなコーン品種を栽培し続けることもできるし、栽培地域を広げていくことさえできます。つまりウイスキーづくりが、コーン栽培の伝統を存続させるということです」

イバンの説明は、コーンの文化的な重要性にまで及ぶ。何千年にもわたって育てられてきたコーンは、そもそも他の植物が変異して生まれた作物。長大な期間の中で、さまざまに異なった地域の環境に順応する品種が生まれてきたのである。

「メソアメリカの経済や歴史を振り返ってみても、人々の生活に欠かせない存在だったコーンを讃えたかったのです」

メキシカンウイスキー「アバソロ」は、近年の成長が著しいワールドウイスキーの分野でも突出した個性を表現している。発酵の前に、コーンはメキシコ料理で何世代にもわたって受け継がれてきたニシュタマリゼーション(石灰水処理)という古代の技術を施される。

ニシュタマリゼーションは、最高級のシェフでも、国道沿いのタコス屋でも知っている技法だ。コーンをアルカリ性溶液に浸け置くことで、殻の組織が崩壊して、コーンの内部に隠されていた特有のフローラルな甘みが引き出される。その後、巨大なコーヒー焙煎機のようなメカニズムでコーンが脱水され、粉になるまで細かく挽かれてから発酵に回されるのだ。

これはトルティーヤやタマレの原材料となるマサ粉の製造工程と同じである。そして「アバソロ」のスピリッツは、新樽ではなく使用済みの樽で熟成される。あえてチャーを施さないのは、コーンの甘みをさらに強調するためだ。

「コーンへの敬意が大切なのです。このウイスキーづくりは、コーンを祀る寺院の建設にも似ています。原材料であるコーンが、このウイスキーの中心的存在であることを示したいと思いました。そういった意味で、樽は主役になりえません。伝統的なウイスキーづくりにおいて、樽材が物語の中心にあることは知っています。でも私たちは、コンセプトを変えていきたいんです。オープンな心で、先入観も何もなく飲んでいただきたい。ウイスキーはかくあるべし、といった先入観は必要ないのですから」

 

唯一無二のメキシカンな味わいを体現

 

イバンはリキュール「ニクスタ・リコール・デ・エローテ」も生産している。原料にしているのは、柔らかくて汁気の多いテンダーコーンをアルコール漬けにしたマッシュだ。ウイスキーの原料になるコーンは、定義により実が硬いタイプのコーンを使用する。

そして「アバソロ」のフレーバーは、既存のどんな蒸溜酒にも似ていない独自の特徴がある。率直な感覚で受け止めたとき、完全に新しいワールドウイスキーなのだと実感できる存在なのだ。ノスタルジックなものではないし、先祖代々に飲み継がれてきたウイスキーへの憧れといった要素もない。このウイスキーの目的は、真のメキシカンウイスキーとして独自の根を大地に下ろすこと。それを千年もの長きにわたって慈しまれてきたこの土地の農業の歴史に織り込むことなのである。

2020年4月に発売された「アバソロ」。まったく新しいジャンルのスピリッツながら、その味わいはメキシコの歴史と文化への敬意を表現した正統性を感じさせる。

メキシコシティを訪れたことがある人なら、霞のかかった暖かい夜に街を歩き、屋台から漂ってくるシンプルな食べ物の匂いを嗅いだはずだ。「アバソロ」の香りは、あのメキシコの記憶を即座に想い起こさせてくれる性質を持っている。ローストの効いたバターたっぷりのコーン。バターとクレマフレスカ(フレッシュクリーム)をたっぷり塗られて輝くエロテ(メキシコ風焼きトウモロコシ)。一粒ごとに絶妙な焦げを付けて手渡してくれる屋台の女性たち。

「アバソロ」は、そんなトウモロコシ本来の魅力を舌の上で力強く主張する。土っぽいバニラ、ミルキーなココア、甘くて青っぽい野菜などの香味と、ほんのかすかな木材の感触。スモーキーな要素はまったくないものの、白コショウのスパイスを伴った繊細な風味がくすぶっている。だがそのスパイスでさえ、ジューシーな夏のスイートコーンの魂を遮ることなどできないのだ。

新しいメキシカンウイスキーの魅力は、すでにバーテンダーたちの手で斬新にアレンジされている。例えばマイアミのバーテンダー、ホスエ・ゴンサレス(アンフィルタード・ホスピタリティ)は、経験に基づいたコンサルタント業務を各種ドリンクブランドやバーに提供している人物。ホスエは生の素材だけを使用するトレンディなバー「シルベスター・バー」でディレクター・オブ・カルチャー(大層な肩書である)を努めているが、「アバソロ」の万能性に感嘆しているのだという。

「スピリッツベースのカクテルに使いやすく、素晴らしいスピリッツです。カクテルレシピで他のウイスキーと併用すれば、よりいっそう複雑さとまろやかさを授けてくれます。コーンの香味を本当によく表現しているので、テキーラの香味を補う働きもあります。ウイスキーのフレーバーが後退し、ある種の調味料としてカクテル全体の味わいを司ることもできるでしょう。ジンとミックスすればコーンのボタニカルみたいな印象にもなるし、ラムベースのティキカクテルに変化を加えたり、ベースをラムと半々にすれば斬新な味わいを表現できます」

そろそろ新型コロナウイルスによる行動抑制も終わり、世界ではバー通いの習慣が再開されそうだ。人々は久しぶりに訪れたバーで、きっと新しいフレーバーを試してみたくなる。何しろずっとバリエーションが少ない家呑みで我慢してきたのだから。こんな時期も「アバソロ」の出発にはうってつけなのかもしれない。イバン・サルダーニャは、現在も製品ラインナップの拡大を進めている。だがやはりそこはイバンらしく、計画の詳細も大雑把で文学的だ。

「将来的には、他の文脈でもコーンの味わいを広げていきたい。いくつもの熟成プログラムが進行中で、蒸溜についてもさまざまな実験が待っています。私達の蒸溜所では、既存の固定観念を取り払って、コーンを最高の形で表現したいと願っているのです」