ワイン王国オーストラリアの樽熟成【前半/全2回】
文:ルーク・マッカーシー
「世界に知られた酒精強化ワイン、そしてオーストラリアを代表するウイスキーの故郷」
モーリスワインズの熟成庫には、そんな看板が掲げられている。モーリスワインズがあるのは、ビクトリア州北東部のラザグレン郊外。スコットランドのグラスゴー近郊にも、同じラザグレンという名の町がある。どちらのラザグレンでもウイスキーをつくっているが、オーストラリアのラザグレンは世界有数の酒精強化ワインの生産地に囲まれている。メルボルンから北へ車で3時間という比較的恵まれた場所だ。
1859年以来、モーリス家は5世代にわたってワイン造りを続けてきた。英国の著名なワイン評論家であるジャンシス・ロビンソン氏は、モーリスワインズを「オーストラリアが世界のワイン業界にもたらした最大の贈り物」と高く評価している。モーリスワインズの熟成庫に入ると、暗い土間の上に漂うかびの匂いや、臭い焦げたトフィーのような芳香が漂っている。この香りを体験するだけで、酒精強化ワインが何十年間にもわたって世界中のワイン愛好家を魅了してきた理由がわかるだろう。
「ここにあるマスカットワインやトパークワインの中には、樽の中で100年以上熟成されているものもあります」
モーリスワインズのダレン・ペックが、ヨークシャー訛りで誇らしげに語る。ペックは南極を除いた世界の全大陸で酒造の経験があり、オーストラリアは最後に辿り着いた大陸なのだという。ディアジオに勤めていたペックは、ヨーロッパ、アフリカ、アジアなどの世界各地でお酒の醸造や蒸溜に携わり、10年ほど前にモーリスワインズにやってきた。
ペックの雇用主であるカセラ・ファミリー・ブランズは、世界有数の売り上げを誇る「イエローテイル」の生産者である。そのカセラ・ファミリー・ブランズが、2016年に当時不調だったモーリスワインズの事業を救済した。もとのオーナーは、世界的な酒類製造企業であるペルノ・リカールだ。
酒精強化ワインの売上が急落し続ける中で、カセラはオーストラリアで最も重要な遺産であるワイナリーのひとつであるモーリスワインズの醸造所内に、ウイスキー蒸溜所を追加するという野心的な計画を立案する。
モーリスの新しいウイスキープロジェクトが走り出すと、ペックはヘッドディスティラーとしてウイスキーづくりを担うようになった。そしてマスターディスティラーには、ベテランのジョン・マクドゥーガルをスコットランドから招聘した。マクドゥーガルは、バルヴェニー、ラフロイグ、スプリングバンクなどでの勤務経験もある。ちなみに故ジム・スワン博士もモーリスウイスキー発足時からの主要メンバーだった。
ここにある生産設備とシングルモルトウイスキーの香味を設計するにあたって、チームは徹底してモーリスの歴史を前面に押し出そうと決意していた。1930年代に廃棄されたモーリスの酒精強化用スチルが、モルトスピリッツ蒸溜のために修復され、完全な形でよみがえった。その後も、酒精強化用スチルとほぼ同時代に製造された古い一対のスチルが、同様の修復を経て生産ラインの一角に加わっている。
潤沢なワイン樽供給を活かした香味戦略
新しいモーリスウイスキー用のスピリッツが蒸溜されると、いよいよエースが登場する。つまり熟成に使用するモーリスとカセラのワイン樽だ。オーストラリアの有名なワイン産地であるバロッサとクナワラには、カセラ傘下のワイナリーが点在している。このファミリー企業で使用されたワイン樽を再生し、スワン博士が提唱したSTR樽(シェービング、トースト、リチャーリング)を供給しはじめたのである。
そして2021年6月にはモーリスのフラッグシップウイスキー「ザ・シグネチャー」と「マスカットカスク」が初めて発売。さらにはこのウイスキーをモーリス自慢の酒精強化ワイン樽で後熟した商品もリリースした。ペックがこの経緯を振り返る。
「とにかくワインが特別なので、モーリスの後熟樽も特別な効果が期待できる。でもワインの特殊性だけに頼ってウイスキーの香味を構成するつもりはまったくありません。冬はマイナス4度、夏は42度という寒暖の差が激しい気候なので、この熟成の速さに合わせたバランスを意識しつつスピリッツをつくる必要もあるのです。つまりスピリッツには、早く熟成する環境を想定した品質が必要です。スコットランドでは10年熟成や15年熟成などでもタンニンが過剰になったりしませんが、オーストラリアではすぐ樽材に香味を支配されてしまうのです」
オーストラリアには歴史あるワイナリーが数多く、モーリス以外にもウイスキーづくりに乗り出したメーカーがある。なかでもアンゴーブ・ファミリー・ワインメーカーズは、オーストラリアワインの中心地である南オーストラリア州で1886年に創業した有名なワイナリーだ。アンゴーブ家は、1925年より世界有数と評されるブランデー「セントアグネス」を生産しており、蒸溜酒の分野でも知らぬ者はいない。
そのセントアグネス蒸溜所が、2022年7月に初めてウイスキー分野へ進出した。シングルモルトウイスキーのブランド名は「カンボーン 」。ワインメーカー5代目のリチャード・アンゴーブが、1910年に設置された古いセントアグネスのブランデー用ポットスティルに大麦原料のウォッシュを投入し、ウイスキープロジェクトを始動させたのだ。リチャード・アンゴーブが経緯を説明する。
「オーストラリアのワイン産業では、1800年代後半から1900年代前半にかけて蒸溜技術が隆盛しました。すべてのワイナリーとまではいいませんが、多くのメーカーがブランデーや酒精強化ワインをつくるために蒸溜器を所有していたんです。高級な商品として売れないワインは、ブランデーや酒精強化ワインにするのがとても有効な方法でしたから。でもこの事実はあまり知られていません」
モーリス同様に、セントアグネスも自社内で完結できる樽熟成のプログラムを持っている。オーストラリアワインの歴史を消費者に知らしめることで、大きな可能性が切り開かれるとリチャード・アンゴーブは期待しているようだ。
「ウイスキー用のスピリッツを樽入れする前から、樽を社内で管理できるのはとても幸運なこと。赤ワイン、白ワイン、希少な酒精強化ワイン、ブランデーなど、それぞれの樽の来歴が正確に把握できています。たとえば、ここにある樽はもともと自社畑のシングルヴィンヤード・マクラーレンヴェイル・シラーズを6年間熟成させたもの。その後はセントアグネスXOを8年間熟成して、ようやくウイスキー用の樽になりました」
(つづく)