ブレンディングの科学【その1・全4回】
英国版本誌記者がブレンディングに関する昔からの疑問に取り組み、様々な伝統を調べる連載がスタート。
「ブレンディングの理想は」と、ウイスキーライターのアルフレッド・バーナードは書き始める。「『複数のウイスキーを合わせたもの』ではなく『ひとつのウイスキー』だ。『完全なる融合体を味わっている』と消費者が感動するほど完璧なブレンドを作ることだ」
そのシンプルなテーマを最初に理解したのはスコットランドの商人たちだった。1850年代初期、アンドリュー・アッシャーとウィリアム・サンダーソンが手がけたブレンデッドウイスキーが市場に現れた。二人はアイリッシュウイスキーが市場を独占していた時代に登場した。スコッチはスコットランド以外ではほとんど知られておらず、まれに国外で手に入ったとしても、評判は良くなかった。
その理由は、「一貫性」という一語に尽きる。
ダブリンの大手蒸溜所は当時のスコッチウイスキーの特徴だった焦げた風味とストレートな味わいを避け、非常に大きなスチルを使って3回蒸溜し、ブレンディングにより製品の一貫性を高く保ち続けていた。
1850年までに、連続式蒸溜機が広く使われるようになり、スコットランドでは多くの蒸溜業者が我先にと入手していたが、アイルランド人は不信と反感の目で見ていた。
彼らに言わせれば、ポットスチルでつくったモルトウイスキーに連続式蒸溜機でつくったグレーンウイスキーを加えることは「混ぜ物をすること」であり、詐欺だった。彼らの目には、消費者が騙されて「まがい物」をつかまされていると映ったため、この方法に反対するキャンペーンを精力的に繰り広げた。
しかし、消費者は気にしなかった。むしろ、ブレンドの方が熱烈に好まれるようになった。
1860年の税制改定により保税中のブレンディングが可能になり、間もなくアッシャーが「アッシャーズ OVG(Old Vatted Glenlivet)」を発売した。「アッシャーズ・グリーン・ストライプ」ブランドは1950年代にアメリカで相当な数の支持者を獲得し、高級ウイスキーとなった。これは今でも入手が可能だ。
アイルランドの蒸溜業界がウイスキーのブレンド需要に抵抗し続けた一方で、スコットランド人は続々この新技術を取り入れた。その結果、19世紀後半の間にアイリッシュウイスキーの市場シェアをそっくり手に入れた。伝統的な食料雑貨店の仕事場から(下記コラム「紅茶」参照)、幾つかの名家が生まれた − ウォーカー、ブキャナン、デュワー、バランタイン、ベル、そして今では忘れられたか大会社に吸収された他の多くの家族会社を含めて。
運がこれらの会社に味方した。
アイルランドの大手のライバルたちは自滅の道を辿り続けたのに対し、大英帝国の成長により世界的な販路が広まり、同時にスコットランドは英連邦の愛国的一員になった。「北英(North Britain)」という名称は、スコットランドという国を知らない人々にも信用を与える助けとなったようだ。
そして、フランスのコニャック産業がフィロキセラの影響で壊滅した1870年代以降、中流・上流階級の飲酒家は喜んでブレンデッドスコッチウイスキーに目を向けた。往々にして一代で、莫大な財産が築かれた。ウイスキーが、かつての密造酒や小さな食料品店での販売に留まるようなことは二度となくなった。
1908/09年の「ウイスキーに関する王立委員会」の調査結果によりブレンディングは合法になった。今日、世界中で販売されている全スコッチウイスキーのうち、実に90%以上がブレンデッドウイスキーだ。シングルモルトの方が注目を集めているが、ブレンデッドウイスキーが業界に財産を築いているのだ!
スコットランドではブレンディング業が急速に完成していった。19世紀末頃にアルフレッド・バーナードはこう書いている。
「とりわけ、古くから続いているスコッチ生産者であれば、高級ウイスキーをつくることができるという事実はよく知られている。彼らはブレンディングの科学を注意深く研究し、今では芸術の域に達しているからだ」
バーナードはここで大いに、科学と芸術の両面で、ブレンディングの素晴らしさを主張した。彼はスコッチウイスキーが正当に評価されるべく、根拠をPRすることに非常に力を入れていたのである。
【その2に続く】
コラム:紅茶
ウイスキーの歴史を紐解くと必ず登場する記述がある。多くの偉大なブレンダーは食料雑貨、ワインやスピリッツの商人として、あるいは「イタリア輸入品販売店の店員」であったということだ。
スーパーマーケットや郊外のショッピングセンターが登場する前、特に第二次大戦以前は、スコットランドの目抜き通りには必ず食料雑貨店があり、それらの店の多くが独自の紅茶とウイスキーをブレンドしていた。ある識者は1896年に、紅茶のブレンディングについてこう書いている 。
「ブレンディングの目的は、品質を犠牲にしてレベルやコストを下げることではなく、良い紅茶を作ること…単一種よりはるかに上等で、好ましい風味にすることだった」
これでお分かりだろう。「紅茶」を「ウイスキー」に置き換えれば、ぴったり当てはまる。シーバス・ブラザーズ、デュワーズ、ジョニー・ウォーカー、ベル、バランタインがそのルーツを小さな食料雑貨店までさかのぼることができる。上記のことを踏まえれば、そのことが良い印象を与えているのもあまり意外ではない。紅茶のブレンディングで培った技術が19世紀中頃からウイスキーに応用されるようになり、間もなくブレンドウイスキーが世界市場を支配して、今日に至っている。
コールドストリーム(イングランドとスコットランドの境にある小さな村)にあった食料雑貨店をルーツとするスモールバッチの限定リリース、トゥイーデイル・ブレンド。昨年、アラスダー・デイがこれを再現して、伝統が受け継がれていることを証明した。これはもう単なるウイスキーではない − 遺産だ。