ワインやブランデーのボトラーとして、日本でもファンが多いドゥニ・シャルパンティエ。しかし彼がつくるスコッチウイスキーの詳細はあまり知られていない。クリストファー・コーツが足跡を追う2回シリーズ。

文:クリストファー・コーツ

 

英国や米国のウイスキーファンで、ドゥニ・シャルパンティエの名を知る人はそれほど多くない。だが日本を中心とするアジア地域では、コニャックなどのブランデー、ウイスキー、ワインなどの独立系ボトラーとして、もう四半世紀以上にわたって親しまれてきた名前である。

ドゥニ・シャルパンティエは、どこから見てもパリ生まれの紳士らしく、身なりも立ちふるまいも洗練されている。フランス陸軍の空挺部隊コマンドーを引退して、ワイン商になった頃のことを回想してくれた。

「初めて日本に旅行したのは1982年のこと。それ以来、長年にわたって日本の人々に敬意と愛着の念を抱き続けてきました。訪日当初より、日本語も話せないまま多くの人たちに出会って、日本が独自の文化に彩られた素晴らしい国であることがわかってきました。そして、日本の人たちと一緒に何かビジネスをしたいという強烈な欲求に突き動かされるようになったのです」

最初は約30銘柄からのスタートだった。無発泡のワインが成功して、すぐにシャンパンを含む 100銘柄を扱うまでに拡大。その後、スピリッツの世界にも進出を果たすことになる。これまでの成功が、妻の美加なしでは成し遂げられなかったとドゥニは語る。会社を設立して、初めて日本市場に参入してから現在まで、一歩一歩階段を上るすべての過程で後押ししてくれたのが妻だった。

「美加の協力なしで、ここまでの事業を実行するのは無理だったでしょう。良い時も、悪い時も、運命を共にしてきました」

周囲の友人や家族を第一に思いやり、彼らがビジネスの拡大に果たした役割を強調するような男。そんなドゥニが手掛けた商品には、大切な人々にちなんで名付けられた商品も少なくない。

スピリッツ市場に参入して数年が経った頃、ドゥニの顧客でもある大手スーパーマーケットチェーンが、独自のコニャックブランドを立ち上げてほしいと依頼してきた。スピリッツ市場に確固たる基盤を築くチャンスだと感じたドゥニは、1994年にコニャックの蒸溜家たちに頼んで高品質のコニャック原酒をグランドシャンパーニュとプティットシャンパーニュから調達。みずからブレンドして素晴らしい商品に仕上がったので、その誇りを表現しようと自分の名前をブランド名にした。

その独自性は、7つの波を象ったボトルのデザインでも表現した。世界中のファンに愛されたコニャックが、7つの海を渡って旅する様子を象徴している。これが新ブランド「ドゥニ・シャルパンティエ」(DC)のコニャックとして打ち出され、一連の商品群で他ブランドと明確な一線を画した個性を訴えることになった。

その結果は、すぐに吉と出る。1994年、ドゥニは初めてのフラッグシップ商品となる「ドゥニ・シャルパンティエ コニャックXO グランドシャンパーニュ」の発売を決断。このコニャックがインターナショナル・ワイン・アンド・スピリッツ・コンペティション(IWSC)で自身初となるゴールドを受賞し、ベスト・スピリッツ・ボトル・デザインも受賞することになった。
 

コニャックの名声で、ウイスキーづくりの夢が現実に

 
ロンドンのギルドホールで開催されたガラディナーで、受賞者のドゥニはステージへと呼び出される。プレゼンターは、他ならぬホワイト&マッカイのマスターディスティラー、リチャード・パターソンだ。この日の出会いから長きにわたる友情が育まれ、今日に至るまで2人の交流は続いている。

その翌年には「ドゥニ・シャルパンティエ VSOP」がIWSCで「最優秀コニャック」に贈られるシリル・レイ・トロフィーを受賞。さらには「最優秀スピリッツ・プレゼンテーション」に贈られるドリンクス・インターナショナル・デザイン・トロフィーまで受賞した。この流れは翌年以降も続き、さまざまなカテゴリーのトロフィーやゴールドメダルを6年連続で獲得し続けた。こうしてドゥニのビジネスは、新しいミレニアムに堂々と足を踏み入れたのである。

IWSCでベストブレンデッドスコッチウイスキーを受賞した「エタニティ 21年」。高級コニャックを彷彿とさせるデキャンタもドゥニ・シャルパンティエらしい。

ドゥニ・シャルパンティエの名は、高級コニャックの世界でよく知られるようになり、そしてゼロからつくりあげたブランデー「ロベールロストン・エキストラエクスレンス」も後に続いた。これはドゥニが愛してやまない無二の親友の名前をブランド名に採用したものである。

フランス文化を伝道する立場のドゥニだが、自分ではスコッチウイスキーをよく好んで飲んでいた。「ベルズ」のようなスコッチウイスキーの味を教えてくれたのは、最愛の父ユベール・シャルパンティエである。ユベールは息子のドゥニと連れ立ってスコットランドで狩りに出かけたものだ。ドゥニにとって最高の思い出は、この狩猟旅行で父と一緒に飲んだブレンデッドスコッチウイスキーの味なのである。

ユベールのスコットランド好きは本物で、愛犬のラブラドールに「スカイ」と名付けたほどだ。由来はもちろんヘブリディーズ諸島のスカイ島である。ユベールは、残念ながら1981年に大好きなスコットランド旅行中の事故が原因で他界。ドゥニは父と自分がスコットランドで過ごした素晴らしい時間と、共に抱いていたウイスキーへの情熱を世に伝えたいと願った。そして決断したのが、自分自身のスコッチウイスキーブランドを設立することである。父の伝説を称え、最高級ブレンデッドウイスキーの新世代を築くのが目的である。

この野心的な計画をまず相談した相手は、リチャード・パターソンだった。ブレンデッドウイスキーにかける情熱も比類がない。すでにコニャックで目覚ましい成功を収めていたドゥニのため、リチャードも一肌脱いだ。ドゥニの高い要求を満たすプレミアムなスコッチウイスキーをいくつか厳選し、高水準のブレンデッドウイスキーに仕上げようと動き始めたのである。

「ブレンデッドスコッチウイスキーは、日常的に味わって楽しんでいました。好きなブレンデッドウイスキーのひとつはフェイマスグラウス。そしてシングルモルトウイスキーならクラガンモアとカーデューがベスト2です。素晴らしい芳香があって、ひたすら滑らかで飲みやすいこと。それが自分にとっての良質なウイスキーの条件なんです」
(つづく)