未来に向かうクラフトウイスキー【前半/全2回】
小さな挑戦の連鎖が、世界的なブームへと発展したクラフトウイスキーの世界。蒸溜所の新設ラッシュが続くなか、新しいウイスキーづくりはどこへ向かうのだろうか。クリス・ミドルトンによる全2回のレポート。
文:クリス・ミドルトン
10年前のことだ。ボストンではよく知られたバーで、仕事の同僚のためにウイスキーを注文した。誰もがその名を知る、アメリカで一番有名なブランドだ。しかしバーの店長は「それはもう置いていないんです」と言う。「どうして?」と尋ねたら、忘れられない言葉が返ってきた。
「他の店と差別化したいので」
差別化という言葉は、各地で生まれたばかりのクラフトディスティラリーでも呪文のように繰り返されてきた。無理もないだろう。誰もが他とは違う存在になりたいのである。メーカーだけではなく、バーがそう考えるのも理に適っている。結局のところ、ストリート生まれのホスピタリティブランドが、実験的な目標を掲げることで客を呼び込み、固定客を育てるマーケティング戦略なのだから。
同様の原則は、ウイスキーブランドにも当てはまる。誰もが自分たちだけの「違い」を認めてもらい、そのユニークさを祝福されたい。そんな「違い」によって有名になれるのであれば望むところだ。
このような個々の「違い」を見出すことが、クラフトウイスキーの現状を理解する鍵になるだろう。成功しているクラフトウイスキーは、確かに他社との違いがある。前述のバーには、もともとそんな違いがなかったので方針を転換したのだろう。
クラフトウイスキーのブランドは、例外なく独自のストーリーを伝えたがっている。他社との違いを語り、ウイスキーが持つユニークな個性を明らかにして、買い手へのアピールにつなげるようなストーリーだ。マーケティングの常道に則りながら、土地、人、製造法、価格、歴史、パッケージ、品質によってブランドを際立たせようとしている。謳っているのは革新的な生産技術だったり、伝統技法への回帰だったり、先祖伝来の品種だったり、蒸溜所の敷地内で栽培された原料だったりする。
クラフトウイスキーは生産者の横顔も多彩だ。元銀行員の若者もいれば、蒸溜所の4代目もいる。水中で熟成されるウイスキーもあれば、ヘビーメタルを子守唄に熟成させたウイスキーだってある。倫理的で、環境にやさしい生産方法にこだわったウイスキーもも多い。このようなバリエーションはほとんど無限にある。意味のある「こだわり」を見せつけられなかったら、他のブランドとの違いを表明することなどできないのだ。
クラフトウイスキーの定義
「クラフト」という言葉からは連想されるイメージは、第一に「手づくり」だ。ウイスキーの場合、生産地、生産方法、特別な原料などで風味に違いもたらしたり、他とは違う飲み方をされるような個性も重視される。
クラフトを名乗ることで醸し出すオーラは、大量生産の人気ブランドよりも真っ当なウイスキーづくりを印象づける効果がある。そこには職人的な威光も加わっているはずだ。幸運だったのは、クラフトビール醸造所やブティックワイナリーを始めたクラフトの先駆者たちがいたことだ。彼らのおかげで、クラフトウイスキーの受け入れはとてもスムーズに進んだ。
だが忘れてならないのは、過去200年に創設されたほとんどの有名蒸溜所も、最初は小規模でクラフト的なビジネスから出発しているということである。グレンリベット、グレンモーレンジィ、ジョニーウォーカーなどのスコッチウイスキーも、バッファロートレース、パーカーズヘリテージ、ウッドフォードリザーブなどのアメリカンウイスキーも、かつては例外なくベンチャー企業だった。
最高品質を目指してつくられ、それ相応の値付けがされたすべての優れたウイスキーは、クラフト的な要素を持っている。大手メーカーには長年の経験というアドバンテージがあるが、大規模な蒸溜所でもクラフト的な独創性と技術を駆使している場合は多い。
興味深いのは、これらの歴史あるウイスキー蒸溜所も、ほとんどが法改正を契機として誕生していることだ。ウイスキー蒸溜の規制が緩和され、酒税が変更されるときに新しいメーカーが生まれる。グレンリベットは1823年の酒税法改正で、ジョニーウォーカーは1860年の酒税法(蒸溜酒対象)改正で誕生した。アメリカでは、1933年の禁酒法廃止によって新しいウイスキー蒸溜所が次々に創設された。歴史は形を変え、やや滑稽とも思える筋書きで繰り返していくのである。
(つづく)