歴史の息吹―グレンギリー蒸溜所【前半/全2回】
スコットランド最古の1つともいわれる蒸溜所でありながら、これまでシングルモルトとして注目されずにいたグレンギリー。全2回の連載で、その秘められた個性に注目する。
これほど歴史を感じる立派な蒸溜所なのに、グレンギリーは創業からの長い間、概して気付かれずに過ごしてきたようだ。それはおそらく静かに―ほぼ無名のままブレンディング産業に重きを置いてきたためだろう。
あるいは、立地のせいかもしれない。グレンギリーがアイラ島やスペイサイドの中心部にあったなら、有名になり訪れる人も多く、賛美されていたのではないかと思う。
グレンギリー蒸溜所は、スコットランドの中でもあまり目立たないアバディーンシャーの小さな町、オールドメルドラムの中心部に静かに鎮座している。
そばではアバディーンからバンフに通じる騒がしいA947号線が無遠慮に町を縦断しているが、あちこちに急ぐ車の流れはわずか数メートルのところにある宝のような蒸溜所の存在に気付かないのか、絶え間なく通り過ぎてゆくだけだ。
なだらかに広がる豊かな農地に囲まれ、ここは主要なウイスキーの生産地のひとつに違いないと思ってしまうが、かつて「ギリーの谷」にあった多数の蒸溜所はどれひとつとして繁栄せず、グレンギリーだけが残った。
ウイスキー関連の書物を多数著した作家のアルフレッド・バーナードは、彼独特の調子でこの辺りを次のように描写している。
「肥沃でよく耕され、フォーマーティンとブシャンの両地域と、そびえ立つベンアキー山を広く見晴らす丘の連なりに全方位を囲まれて、しっかりと守られた谷」。
彼はここを「アバディーンシャーの穀倉地帯」と名付け、町自体は「興味深く、歴史的」と見なしたが、通りは「多くの良い家が並ぶものの、実に変則的に造られている」と考えた。
しかし、いずれにしてもグレンギリーは生き残り、ここを知る者はこの蒸溜所とそのシングルモルトを大変に高く評価している。とりわけモリソン・ボウモア社のマスターブレンダー、レイチェル・バリーはこう語る。
「まだ7歳の頃、耳が痛くなった私のために祖母がグレンギリー 8 年を少し加えたミルキー・ホットトディ(材料は蜂蜜とホットミルクとグレンギリー)を作ってくれました。それが余りにも気に入ってしまい、その後何回か耳が痛いふりをして、痛みを和らげる特製のトディをせがんだことを覚えています」
現在、レイチェルは「クリーミーでコクがあり、肉っぽくスパイシーな香り」というグレンギリーの個性を尊重し、このウイスキーはノンチルフィルターで通常より強めのアルコール度数、48% が一番楽しめると強調している。
彼女の説明では、ずんぐりと太いスチルに長いラインアームを備えたグレンギリー蒸溜所の特徴、さらに短いミドルカットの賜物だと考えられている。その結果、脂肪酸エステルのクリーミーな口当たりとスパイス、クリーム、果物の香りが現れるのだそうだ。
このような個性を愛されているのは今日のこの蒸溜所の姿だが、過去はやや込み入っている。
設立については諸説あるものの、グレンギリーが1797年にさかのぼるスコットランドで最も古い蒸溜所のひとつだということは確かだ。それ以前、この場所には、革なめし工場とブルワリーがあった。
1785年という早期にここで蒸溜所が操業していたらしいという説もあり、そうするとスコットランド最古ということになるが、残念ながらまだ真偽のほどは確かめられていない。
1837年には(おそらくはもっと早くから)この蒸溜所はマンソン一家が所有していた。その後、一家は1884年にここをリース(エディンバラの港町)のJ. G. トムソンに売却し、彼が2年後にウィリアム・サンダーソンをパートナーとして引き入れた。のちにVAT69を生み出して有名になった人物である。
グレンギリーはすぐにサンダーソンがつくり出す数々のブレンデッドウイスキーの重要な構成原酒となり、蒸溜所は拡大した。その後間もなく訪れたアルフレッド・バーナードは「新たに建設されたスチルハウス」について記しており、貯蔵庫も拡張された。
【後半に続く】