ハイランドパークとヴァイキングの魂【前半/全2回】
荒々しい略奪者のイメージが強いヴァイキングは、独立心旺盛な中世の商社マンだった。ハイランドパークを味わいながら、歴史のロマンに思いを馳せる2回シリーズ。
文:WMJ
英国のメインランドはグレートブリテン島。スコットランドはその北部を占め、さらに海を越えた島嶼部にも及んでいる。北緯59度のオークニー諸島まで足を伸ばすと、もうロンドンよりノルウェーのほうが近い。
実際にスコットランドの島々を旅すると、地域の文化にスカンジナビアの伝統を感じることがある。そう語るのは、スコットランド北西部の島々をめぐり、その風土や人々の暮らしを撮影し続けている加藤秀さん(写真家・文筆家)だ。
北欧文化の痕跡は、各地の旗にも現れていると加藤さんは言う。確かにオークニーの旗は、十字架が左側に寄ったノルディッククロス(スカンジナビア十字)だ。スコットランド北部は、実際にノルウェー領だったこともある。
かつてこの海域を行き交っていた北方民族といえば、すぐにヴァイキングたちのことが思い浮かぶ。オークニー諸島は長くヴァイキングの定住地として栄えた歴史があり、島内の古墳にはルーン文字が刻まれている。
誰もがその名を知るヴァイキングだが、日本で普及している知識はいささか断片的と言わざるを得ない。勇ましい海賊たちや、無慈悲な略奪者というイメージ。あるいは、ホテルの朝食などで採用されているビュッフェスタイルの別名。だがひとたびヴァイキングの歴史を紐解くと、そこは世界史と神話の世界がリンクする逸話の宝庫だ。
ヴァイキングが活躍したのは、主に8~11世紀のことだったという。繁栄を後押ししたのは、卓越した造船技術だった。そう説明するのは、北欧中世史を背景としたヴァイキング研究で知られる小澤実さん(立教大学文学部教授)。ヴァイキングの生き様を描いた人気テレビアニメ「ヴィンランド・サガ」の時代考証も担当している日本随一の専門家だ。
スコットランド北部で受け継がれるヴァイキングの伝統
ヴァイキングの本拠地は、古ノルド語が話されていたスウェーデン、ノルウェー、デンマークの海岸地帯である。ここから船で交易を広げ、アメリカ大陸やアラビア半島にまで文化遺産を残した。よく知られる略奪行為は、彼らの一面に過ぎないと小澤さんは語る。ヴァイキングの活動は、アラビアの銀を獲得するための交易が本質。つまり現代なら商社マンのような人々である。ダブリン、ロンドン、ルーアン、ノヴゴロド、キエフなどは、すべてヴァイキングの市場開設を機に発展した都市だというから驚きだ。
危険を冒して海を渡り、世界中から家族に宝を持ち帰る。そんな冒険こそがヴァイキングの男たちに相応しい生き方であり、天国への道だとさえ信じられていた。北欧各地の地層からは、今でも ディルハム貨幣、 ペルシア語間の絹、 ガンダーラ美術の仏像などの交易品が発掘されている。ヴァイキングの女性たちが造る美しい工芸品も、シルクロードを経由して売買されていた。
スコットランドのオークニー諸島でも、『オークニー人のサガ』(12世紀末)という書物がヴァイキングの視点から執筆されている。これは日本における『古事記』や『日本書紀』のような神話的文献だ。シェトランド諸島とオークニー諸島は、1266年のパース条約によってノルウェー領土となった。その後、1468年に王室同士の婚姻によってスコットランド王国の一部となるまで、島々で北欧文化が根付くことになったのだ。
もともとは日本やギリシャにも似た神話の世界に生きていたヴァイキングだが、交易先のフランク王国などでキリスト教に出会い、10世紀からは徐々にキリスト教を受容していった。ノルウェーにあるウルネスの木造教会は、当時からの伝統を今に伝える世界遺産だ。キリスト教の施設でありながら、扉には古代の北欧神話に基づいた文様が刻まれている。この文様は、ハイランドパークのボトルデザインにも援用されて話題になった。
次回は、いよいよヴァイキングの魂を受け継ぐシングルモルトウイスキーを味わおう。
(つづく)
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