ラベルを読む・7【誇り高きクラン 後半/全2回】
「クラン」の歴史はスコットランドの歴史…クランやタータンを掲げたウイスキーのラベルとともに、その歴史を学んでみよう。「ラベルとクラン」考察レポートの後半。
実は初期の頃、タータンはクランを見分ける目印ではなく、伝統的にローランドとハイランドの織工の違いを表す方法だった。徐々にクランを示す手段になったが、元々は地理的な区別だったのだ。
さらに、クランとタータンが持つ現代のイメージについては、スコットランドの最も著名な詩人・作家、ウォルター・スコット卿(1771〜1832年)に感謝したい。
イングランドによる数十年の抑圧の後、ロマン溢れる英雄物語や叙事詩を書いてスコットランド人に新たな誇りをもたらした彼は、禁止令廃止後のタータンの復興にも一役買ったと言われている(WMJ註:時のイングランド王ジョージ4世が、1650年以降初めて国王としてスコットランドを訪れた際、タータン柄のキルトを着用して氏族代表と謁見し、人気を博したが、キルト着用はスコット卿のアイディアだったとされている)。
伝統的にそのクラン固有とされるタータンと地域は、この時代に決まったものだ。ただ、スコット卿が著した物語には確かに真実もあるが、相当に割り引いて受け取る方がいい。
そして19世紀後半、スコットランドを愛したビクトリア女王とアルバート公のお陰でクラン意識が高まり、現在まで続いている。今では同じ姓を持つ者は誰でも自動的に同じクランに属するが、既婚女性は父親の姓を維持して、父親のクランの一員であり続けてもよい。血縁者でなくても養子にできる。
クランはタータン、そして普通はラテン語かフランス語のモットーと紋章で見分けられる。例えば、我が家のクラン・Rossのモットー「Spem successus alit」は「成功が希望を育む」という意味だ。私の妻のベッキーはロヴァット(インバネス州)のクランであるFraserの子孫で、そこのモットーは「Je suis prest」(「私は用意ができている」)。
妻の父親はサウスカロライナ州のチャールストン・ハイランドゲームズで常にFraserのテントを主催していた。彼女と結婚した私は Fraserのタータンの着用を許され、2つのクランの板挟みになるところだったが、幸いなことにFraserとRossは言葉を交わす程度の仲だ。
「キャンベル(Campbell)」はスコットランドで最も重要かつ強力なクランのひとつだが、その力の一部はハイランドの広大な地所と引き換えにイングランドに協力することで得られた。彼らはクラン・マクドナルド(MacDonald)の大敵で、1692年にはグレンコーでマクドナルドのある分家が2週間にわたって彼らをもてなした後に非情にも虐殺されるという事件があった。間もなく、これは軍事・政治的な理由による罰則的な処刑だったことが判明したが、それでもやはり恥ずべき行為だった。
クランの印を付けたウイスキー・ラベルは、このような過去からずっと、ずっと後のものだ。例えば、エルギンのゴードン&マクファイルでは、思いつく限りほぼ全てのクランの印が付いたミニチュアボトルを買うことができる。当然かもしれないが、私の書き物机にはRossのタータン付きミニチュアボトルがある。どんなウイスキーが入っているのかは全く分からない。
しかし、様々な熟成・風味のブレンドやモルトが、よく知られたクラン名を誇らしげに掲げている。
例えば、過去はどうあれキャンベルを抜かすわけにはいかないし、若干遊牧民 的なクランで、ロブ・ロイ(1671-1734)というカリスマ性のある首長のせいである人からは普通の家畜泥棒群と見られ 、その他の人々からはロビン・フッドと見られていたマクレガー(MacGregor)もある。ロブ・ロイは富める者から盗み、貧しい者に与えた。彼の墓は、バルクヒダーにある。伝説によると、彼は雲つくばかりの大男だったそうだ。20年近く前、ハリウッドは彼をリーアム・ニーソンの姿で永遠に銀幕に焼き付けた(映画「Rob Roy」日本語タイトル「ロブ・ロイ/ロマンに生きた男」)。家畜泥棒にしては悪くなかろう?
まぁ、ほぼ全てのクランには何かしら面白い物語があるということだ。多くのウイスキー・ブランドと同じように。