ラベルを読む・2【旅するウイスキー 前半/全2回】

November 18, 2013

ウイスキーのラベルをめぐる連載第2回では海洋汽船に乗り込み、車、列車、飛行機で少し寄り道をする。

今や日常的になった飛行機旅行も、20世紀初めには富裕層や有名人だけが利用できる贅沢だった。通常、物品の長距離輸送や外国旅行には船が使われた。有名なホーランド・アメリカライン(HAL)はオランダ―アメリカ間を行き来する蒸気船会社として1873年に設立され、当初はロッテルダム―ニューヨーク間のみの運航だったが、間もなくボルティモアなどの他の港が主要目的地になった。
大西洋横断旅客輸送は飛行機の方が有利な手段になった1971年頃に終わり、その後HALは豪華クルーズに力を入れた。現在の本社はワシントン州シアトルにある。HALは目下、15隻の船舶を運航しているが、そのほとんどのバーには豊富なウイスキーの在庫があるそうだ。

HALの設立から4分の1世紀ほど経った頃、アメリカの銀行家、ジョン・ピアポント・モルガン(1837-1913)が旅客と貨物両方の国際海洋輸送を独占しようと試みた。モルガンは実業界の大物で慈善家、銀行家、そして美術品収集家だった。産業の統合と企業融資の編成を生業とするモルガンは、既に米国鉄鋼産業を再編して実質的に独占していたが、事業の場を拡大しようと貪欲に市場を検討していた。
そして大西洋横断輸送に巨大な可能性を見て取り、新たな目標を定めて1902年10月1日に国際海運商事(International Mercantile Marine Co. 以下IMM)を設立した。IMMはアメリカの強力な信託会社に成長し、中には19世紀までさかのぼるところもある多くの重要な輸送会社を買収した。

ほとんどの輸送会社はプライベートラベルを付けた独自のウイスキーを積んでいた。例えば、ホワイト・スター・ラインは1871年の設立でIMMが所有していたが、ここの(悪い意味でも)最も有名な船は1912年に沈没したタイタニック号だった。モルガンはこの船にデッキ付きのプライベートルームを持っていたそうだが、奇跡的に大惨事を免れた。このときの航海を予約していたが、健康がすぐれなかったためフランスに留まって硫黄泉療法でリウマチを直すことにしたからだ。次のようなラベルの付いたボトルがタイタニックによって運ばれ、今も海底に眠っていると思われる。

最終的にホワイト・スター・ラインはライバルのキュナード・ラインと合併した。クイーン・メリー号とクイーン・エリザベス号を所有していたこの大会社は今も存在し、現在はクイーン・エリザベス2号を運航している。
IMM傘下の他の輸送会社には1872年設立のレッド・スター・ラインアメリカン・ライン(1893年)、IMM創立メンバーのひとつであるアトランティック・トランスポート・ライン(1902年)、そしてアーノルド・バーンスタイン・ライン(1926年)がある。

関連するウイスキーすべてのブローカーがヒル・トムソン社だった。酒類を商っていたウイリアム・ヒルは、1793年にエディンバラでヒル・トムソンを設立した。バーンスタイン・ラインという表示のあるラベルは、このブローカーが有限会社になった1935年のものだ。現在の所有者はペルノ・リカール社で、入手可能なブレンドとしてはサムシング・スペシャルクイーン・アン(WMJ註:日本へは現在正規輸入されていない)がある。

【後半に続く】

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