北ハイランドをめぐる「1週間だけのウイスキー旅行」も4軒めの蒸溜所へ。美しい港町ウィックで、プルトニーのユニークなスチルに出会う。

文・写真:ステファン・ヴァン・エイケン

 

プルトニー蒸溜所は、ジェームズ・ヘンダーソンによって1826年に設立された。「海のモルト」という愛称は、単なる宣伝用のスローガンではない。ある意味で、この蒸溜所は海と切っても切れない歴史があるのだ。

蒸溜所名の由来となったのは、英国屈指の資産家だったウィリアム・ジョンストン・プルトニー卿。スコットランド北部の寒村を工業の中心地に変えようと考え、まずウィックに港を造った。すると港はニシン漁で大いに賑わい、19世紀初頭には隣にプルトニーという名の町まで設立されることに。「シルバー・ダーリン」とも呼ばれる北海ニシンは、1,000艘の船と7,000人の労働者を港町に引き寄せ、人口わずか数百人の町を大きく発展させた。

建物に入らなかったので、スワンネックを切り落としてしまった。世にも珍しいウォッシュスチルは、プルトニー蒸溜所の伝説のひとつである。

19世紀当時、ウィックに陸路で辿り着く方法はなかった。そのためプルトニー蒸溜所も、大麦原料の輸送やモルトウイスキーの出荷を船だけに頼っていた。ウィックの繁栄はすぐに知られることとなり、「あの町には樽に入った銀と金がある」と噂された。つまりニシンの塩漬けとウイスキーのことである。だがそんな喜びも束の間、ある大きな問題が行く手を阻む。

第1次世界大戦前の英国では、禁酒運動が盛り上がりを見せていた。1913年にはスコットランドで禁酒条例の制定を自治体に一任する法令が議会を通過。ウィックの町でも酒類販売の是非を問う住民投票が提議され、1922年5月28日の投票によってアルコールが違法になってしまったのである。

ウィックは1920年代末までにゴーストタウンと化した。ニシン市場も廃れ、ウイスキーの生産も停止されて、かつての銀と金はうたかたのように消えてしまった。

人々が物事を考え直し、社会を変えるのには時間がかかる。ウィックの禁酒条例は、25年後の1947年にようやく廃止。禁酒時代に何度かオーナーが変わったプルトニー蒸溜所は、1946年にロバート・カミングが買収した。カミングはその4年前にもバルブレア蒸溜所を手中に収めている。プルトニーは1950年に電気設備が導入され、1951年に再稼働した。

時は流れて1995年、蒸溜所はインバーハウス・ディスティラーズの傘下に入る。蒸溜所を暗黒時代からよみがえらせ、再び脚光を浴びる存在にまで復活させたのはインバーハウスの功績である。ウィックの禁酒条例廃止から50周年の1997年には「オールドプルトニー12年」を発売。それ以来、蒸溜所はますます元気にウイスキーを生産し続けている。2012年にはウイスキーライターのジム・マレーが著書『ウイスキー・バイブル』で「オールドプルトニー21年」をウイスキー・オブ・ザ・イヤーに選出。蒸溜所の知名度も一段と高まった。

 

蒸溜所は人生の一部

 

プルトニー蒸溜所に着くと、アシスタント・マネージャーのラッセル・アンガスが出迎えてくれた。蒸溜所のことを何から何まで知っている人物だ。ここで働いてもう23年。2003年に現在の夫人と職場で出会い、2016年には蒸溜所で結婚式を挙げた。蒸溜所が人生の一部であると言っても過言ではないだろう。

粉砕室に入ると、見慣れたポーテウス社のミルが鎮座している。赤い野獣といった趣だ。ラッセルが説明する。

「ほとんど100年前の機械だよ。でもまだまだしっかり動いてくれる」

大麦モルトはインバネスのベアード社が週に2〜3回運んでくる。毎週約71トンの大麦モルトを糖化し、すべてがノンピートだという。

「あの賞を獲ってから、ピーテッドもやってみたらとも言われたこともある。でも親会社が却下したんだ」

糖化室に移動すると、セミロイター式マッシュタンが1槽ある。胴体がステンレス製で、銅製の蓋がついた造りだ。

「古いマッシュタンが漏れ始めたので、2012年の夏に導入されたマッシュタンだよ。蓋が銅製だからといって特別な効果がある訳じゃない。ただ見映えがセクシーなだけさ」

1回のマッシュで5.1トンの大麦モルトを使用する。お湯を3回投入する蒸溜所が多いなか、プルトニーでは4回投入する。現在の方式になって、もう10年以上が経つという。

最初のお湯(17,000L) は68℃、2回目(8,300L)は64.5℃。そこから徐々に温度を85℃まで上げて、3回目と4回目(各9,200L)はそれぞれ87℃と89℃で投入される。

多管式よりも古典的な蛇管式コンデンサーは、大きな水槽のなかに長い銅管がとぐろを巻いている。冷却用の水は、6km離れた小川から引いてくる。

次は発酵室だ。設備は糖化室よりも新しい。昨年の春までは、耐候性鋼材でできたウォッシュバックが5槽あった。最古のものは1920年製で、最新でも40年選手という古株だった。そろそろ交代の時期だと長年言われ、昨年ついにステンレス製ウォッシュバック6槽に置き換えられたのだという。新しいウォッシュバックには、内部の様子を観察できるハッチも付いている。

ウォッシュバックには約23,000Lのワートが注がれる。一般的なリキッドタイプの酵母ではなく、ドライタイプの酵母を使用する数少ない蒸溜所のひとつだ。ドライタイプの酵母のペレットを36℃のぬるま湯に加えて10分待ち、再水和したところでウォッシュバックに加える。ウォッシュバック1槽あたり30kgの酵母が使用される。

「ドライタイプに変更したのは、17年くらい前のこと。それ以前はビール用酵母とウイスキー用酵母を使っていたんだけど、夏季の取り扱いが難しくてドライタイプに変えたんだ」

プルトニー蒸溜所では、7人のスタッフが3交代制で生産工程を管理している。だが土日はしっかり休むのもポリシーだ。

「金曜日の正午には、もうスチルを切って週末モードになるよ。週末に休むから、発酵も短時間と長時間の併用になる。短い60時間の発酵が1週間に6回。長い100時の発酵が8回。どちらの方法でも、最終的にウォッシュの度数が8%になるようにしているよ」

 

名物スチルとついに対面

 

さて次は蒸溜室だ。ほとんどのビジターは、ウォッシュスチルの姿を驚いたように眺める。なぜなら必ずあるべきスワンネックがないからだ。これには有名な逸話がある。蒸溜所にスチルが納入された時、蒸溜棟の天井が低すぎて建物に入らないことがわかった。そこで蒸溜所長がてっぺんを切り落とし、直接ラインアームを取り付けることにしたのだ。ラッセルの説明は続く。

「僕らのシステムは変則的なんだ。ウォッシュスチルは一度に16,500Lのウォッシュを蒸溜できるので、ウォッシュバック2槽分でウォッシュスチルの蒸溜3回分に相当する」

初溜には4〜4.5時間かかる。スチルにウォッシュを充填する時間が30分、蒸溜に3時間、排出に30分といった時間配分だ。

プルトニーはスピリットスチルも特異な形状をしており、ラインアームが曲がりくねって精溜器まで付いている。

「スピリットスチルには、約12,500Lのローワインを投入する。再溜の所要時間は全部で6時間だ。フォアショッツ(前溜)が12分で、ハート(中溜)は3時間。フェインツ(後溜)は2時間かけて度数1%になるまで続ける。こうやって約2,000Lのスピリッツができるんだ」

どちらのスチルも、蛇管式のコンデンサーに繋がっているのが面白い。管の長さはそれぞれ約100mある。蛇管を冷却する水は6km離れた小川から採取し、人口の水路を通って蒸溜所まで運ばれてくるのだとラッセルが説明する。

「季節によっては厄介な問題もあるんだ。夏はかなり管が熱くなって、水だけではうまく液化できなくなる。真夏に休業期間を設けているのはそのせいだ。逆に冬になると人口水路が凍ってしまうこともある。今年の冬もそうだったよ」

蒸溜が済んだら、次は樽詰めだ。樽入れは、1週間で約60~70本。残りのスピリッツはブレンディング用になる。ラッセルが熟成の決まりごとを明かしてくれる。

「多くの蒸溜所は加水してスピリッツのアルコール度数を63%にまで下げてから樽入れするけど、プルトニーでは加水せずに69.1%で熟成するんだ」

現在の原酒ストックは約24,000樽。写真のラック式貯蔵庫の他に、ダンネージ式貯蔵庫もある。

蒸溜所には5軒の貯蔵庫がある。3棟がダンネージ式で、2棟がラック式だ。オールドプルトニーのシングルモルトとして発売されるものは、すべてこの敷地内で熟成される。現在の原酒ストックは約24,000樽だ。ほとんどのスピリッツは、ファーストフィルのバーボンバレルか、バレルを組み替えたホグスヘッドに樽入れされる。

「お気に入りはバッファロートレースの樽だけど、ヘブンヒルやジャックダニエルなど他の樽も使っている。年間40本くらいはシェリーバットにも樽入れするよ」

この蒸溜所で最古の樽についても尋ねてみた。

「1968年の樽が2本あるね。そろそろ年齢も大台に乗るから、商品化することになっているよ」

ということは、まもなく50年もののオールドプルトニーがお目見えするのだろう。ファンを自認される方は、購入資金を確保しておいたほうがいいかもしれない。

テイスティングルームで試飲用のボトルをあれこれと取り出しながら、ラッセルはとりとめのない昔話を始める。

「ここで働き始めた頃は、みんな仕事中に酔っ払ってしまうから、前のシフトの誰かが犯したミスを修正するのも仕事だった。でもそのうち修正役だった人もだんだん酔っ払うようになって、さらに後のシフトで修正しなければならなくなる。おいおい、こんな職場で本当にずっと働いていけるのかよって思った頃もあったね」

もちろん、ラッセルは大好きな仕事を20年以上も続けることになった。プルトニーでの仕事や自身の人生について語るとき、彼の言葉の端々には情熱や誇りが滲み出ている。

北ハイランドの旅はまだまだ続く。通常なら、次の目的地はクライヌリッシュになるところだ。しかしディアジオがブローラ蒸溜所を再建中で工事中の場所が多く、ビジターを安全に迎え入れられる状態にないという。クライヌリッシュとブローラが一般公開されるまでは、一路南へ進路を取るのが賢明だ。テインの町には蒸溜所が2軒あるので、少なくとも丸1日から1日半を見ておきたい。グレンモーレンジィとバルブレアのレポートは、次回以降をお楽しみに。