1週間だけのウイスキー旅行:北ハイランド編(9) トマーティン蒸溜所
文・写真:ステファン・ヴァン・エイケン
最北のオークニーから、1週間をかけてインヴァネスまで南下してきた。ここからエディンバラへ急行列車で一気に移動して旅を終えるのはもったいない。道中に「ソフトなハイランドモルト」を代表するトマーティン蒸溜所があるからだ。
トマーティンはインヴァネスとエディンバラを結ぶ鉄道沿いにあるものの、残念ながら鉄道駅からは距離がある。そこでインヴァネスからバスに乗って蒸溜所を目指すことにする。最寄りの待避所からは徒歩約15分だ。
トマーティン蒸溜所の創業は19世紀末であるが、同地では1700年代から密造酒が生産されていた証拠も残っている。秘められた過去の暗示は、蒸溜所の名前からも推察される。「トマーティン」とは、「ジュニパーが茂る丘」という意味。ジュニパーの木は、燃やしても煙が出ないため、酒を密造する者とって格好の燃料になるのだ。往時には家畜商人たちが北ハイランドから中央市場を目指して歩き、この地に立ち寄ってしばし休憩したのだろう。フラスクに補給したのは、もちろん水だけではなかったはずだ。
1897年、3人の男と幾人かの投資家がこの地に蒸溜所を創設した。名前は、ザ・トマーティン・スペイ・ディストリクト蒸溜所。ちょうどビクトリア時代のウイスキーブームが起こったばかりで、スコットランドでは他に10軒もの蒸溜所が同年に創設されている。
辺鄙な土地柄だが、ウイスキーづくりに有利な条件もあった。運行が始まったばかりの鉄道がすぐそばを通っていたこと。インヴァネスからわずか30km南の場所であること。そしてハイランドらしい軟水の小川「オウルタナフリー」もすぐそばを流れている。
唯一の問題といえば、地元の労働力をあてにできなかったことだ。そこで蒸溜所の創業者たちは蒸溜所内に従業員たちの家を建てた。蒸溜所が大きくなるにつれて、住宅の数も増えていく。現在は蒸溜所の敷地内に30世帯が暮らしており、全労働力の80%をこの住民たちで賄っている。トマーティンで働くことは、単なる仕事を越えたひとつの生き方でもあるのだ。
最初の創業者チームは、長期にわたって蒸溜所を維持することができなかった。1906年、創業から10年も経たないうちに事業は頓挫し、1909年に新しいオーナーのもとで生産を再開した。1950年代半ばから1970年代半ばまでは生産量も一気に増大する。初代のスチルは2基だったが、1956年に2基を追加。1958年にはさらに2基、1961年にはさらに4基を加えて5対(合計10基)のスチルによる大型の生産体制を確立した。
1964にはさらにスチルが1基追加されたが、1974年にはスチルの合計が23基(ウォッシュスチル12基とスピリットスチル11基)となる大規模な拡張がおこなわれた。当時のトマーティン蒸溜所は、生産量が純アルコール換算で年間1,200万Lというスコットランド最大の蒸溜所だった。
かつてトマーティンのウイスキーは、大半がブレンデッドウイスキーに使用されていた。だが1980年代にウイスキー(主にブレンデッド)の需要が落ち込むと、蒸溜所の悪戦苦闘が始まる。1984年には会社を整理し、過去数十年で最大のお得意先だった宝酒造に買収された。こうしてトマーティン蒸溜所は、スコットランドの蒸溜所としては初めて日本企業の完全子会社になったのである。蒸溜所は生産量を縮小しながら、量より質を追求するようになった。近年の生産量は、純アルコール換算で年間170万L程度である。
ノンピートとピーテッドを別ブランドで展開
原料の大麦モルトは、ベリック・アポン・ツイードにあるシンプソンズ社が毎週130トンを納入し、モルトビンに保管されている。10槽のモルトビンに合計500トンが常備されているが、これは4週間分の生産を賄うことができる量だ。使用されているモルトは2種類あり、ノンピートがレギュラーの「トマーティン」用、ピーテッドが「クボカン」用だ。グレアム・ユンソン蒸溜所長が説明してくれる。
「クボカンを最初につくったのは2005年。もともとはフェノール値15〜18ppmのピーテッドモルトを使っていたけど、最近になって38ppmまで上げたんだ。もっとピートが効いたウイスキーもつくれるし、ノンピートのモルトと混ぜ合わせて既存の15ppmに調整することもできる。これからいろいろな方向性が柔軟に模索できると思うよ」
マッシュは週に12回で、月曜日の午前中から金曜日の昼食時まで休みなく続ける。これまでは1回8.2トンだったが、最近になってグレアムが調整を加えた。現在のマッシュは各9.2トンで、使用する水の量は以前と同じである。これによって糖化工程全体の時間が長くなった。以前6時間だった工程は7時間15分に延長。液体の量は変えずに糖分だけ増えたので、麦汁の粘り気も増して排出にも時間がかかるのだとグレアムが語る。
「酵母の株も、以前のマウリから新しいタイプに変えた。糖度が高い麦汁から、高めの温度でもうまく発酵できるようにね。そうやってスピリッツの品質は変えずに、マッシュの量だけを増やすことができたんだ。嬉しい副産物といえば、エネルギー消費量を削減できたことかな」
体積あたりの糖分が増えたため、同じエネルギーで生産できるアルコールの量も増えた。結果的にエネルギーの削減につながっているのである。
トマーティン蒸溜所でのお楽しみは、かつての遺構が放置されているところだ。蒸溜所には1930年代から使用されていた古いミルがまだ残っている。新しいミルが設置されたのは1974年で、マッシュ1回分のモルトを1.5時間で粉砕する。同様に1960年代に設置された古いマッシュタンも残されており、内部からじっくりと観察できる。これはスコットランドで最初に製造された2槽のフルラウター式マッシュタンのひとつ。マッシュタンの中に入って内部を観察できる機会はなかなか貴重だ。新しいマッシュタンは1980年代に設置されたもの。お湯の投入回数は一般的な3回で、1回めが64.2°Cで33,000L、2回めが77°Cで14,000L、3回めが90°Cで10,000Lという流れである。以前に行ったことのある蒸溜所でも、再訪する価値は常にある。設備や工程の変更を知らされるだけでなく、まったく予想外の細部に気づくこともあるからだ。今回も蒸溜所内を歩きながら、糖化棟から屋外に突き出したパイプの中にサッカーボールが1つ入っているのに気づいた。おそらくパイプ内の掃除に使われているものだろう。サッカーボールをパイプに入れ、空圧をかけることでボールに掃除をさせる。かつてはサッカーボールの代わりに豚の膀胱が使われていたので、英国ではパイプ掃除のことを今でも「pig the pipes」と呼ぶのである。
特別な原酒が眠る第6貯蔵庫
生産工程の話に戻ろう。麦汁はポンプで熱交換器を通って60°Cから20°Cにまで冷却され、12槽あるウォッシュバックのひとつに送られる。マッシュ2回分がウォッシュバック2槽分にあたり、そしてウォッシュバック2槽分がウォッシュスチル6基分、スピリットスチル4基分という具合に配分される。
麦汁がウォッシュバックに溜まって、深さ1mほどになったら酵母が加えられる。使用する酵母はペースト状で、ドライとリキッドの中間にあたるタイプだ。冷暗所なら1ヶ月も保存できるのだという。酵母はウォッシュバック1槽あたり100kgが加えられる。発酵時間は54時間で、週末をまたぐとさらに長くなる。最終的にはアルコール度数8〜10%のもろみ(ウォッシュ)が出来上がる。
古いミルやマッシュタンと同様に、耐候性鋼材でできた古いウォッシュバックも蒸溜所内に残されていた。もう発酵工程には使用されていないが、緊急事態が発生したときのために待機しているのだ。緊急事態とは、悪天候のためにポットエールをトラックで運び出せないような状況を想定している。
いよいよ蒸溜棟へ移動しよう。ウォッシュスチル6基とスピリットスチル6基が両側に分かれて並んでいるが、スピリットスチルで稼働しているのは4基のみ。ウォッシュスチルは手前の2基がピカピカで、それ以外はくすんだ色をしている。スタッフがその理由を教えてくれた。
「訪問者から間近に見える近い2基だけ磨いているんだよ。1基きれいにするのに1,000ポンド(約15万円)もかかるから、他のスチルはそのままさ」
泡立ったウォッシュがネック付近で沸騰してコンデンサーに入ってしまうと、バッチがまるごと台無しになるので細心の注意が必要だ。ウォッシュスチルに覗き窓は付いていないが、ヘッド上方からロープで吊るされている木製のボールが役に立つ。このロープを引っ張るとボールがヘッド部分に当たって音を立て、その音色の変化でスチル内部の状況を教えてくれるのだ。この手法は石炭直火でスチルを加熱していた時代の名残である。木製のボールがあれば、スチルマンが目でスチル内部の様子を確認するために駆けずり回る必要はない。ただ時折ボールを当てて音を確かめ、スチルの下で火加減の調整に専念すればよいのである。
トマーティンのローワインは、かつてアルコール度数が23%ほどだったが、マッシュを9.2トンに増やした現在は25%に近い。再溜は比重計を用いて進行状況がチェックされ、カットは時間で区切られる。フォアショットと呼ばれる前溜は30分、ミドルカットは4.5時間(アルコール度数は75〜65%)、その後はテイルである。蒸溜所の稼働中は、マッシュマン1名とスチルマン1名が常時付きっきりで工程を監視する。
スピリッツは平均度数71%ほどでスチルから取り出され、樽入れ度数の63.5%まで水で希釈される。マッシュ1回分の蒸溜で3,500L(希釈前)のスピリッツがつくられ、蒸溜所内で樽詰めされて熟成に入る。
現在、蒸溜所内では約170,000本の樽が熟成中だ。特別な樽(いわゆる重要資産)は第6貯蔵庫にある。前回訪れた時に比べると、トマーティンの象徴でもある1976年のビンテージバレルが増えていた。ファンには嬉しい兆候である。この「第6貯蔵庫コレクション」には注目しておこう。
蒸溜所には小さな樽工房と、原酒を樽出しするエリアがある。樽を抜け出したウイスキーは、タンクローリー車でブロックスバーン(エディンバラ近郊)のボトリング工場に運ばれるのだ。タンクローリー車1台には、3万〜4万Lのウイスキーを積載できる。一番安いウイスキーでも100万英ポンド(約1億5千万円)に相当する液体だから、実に高価な貨物であるといえよう。
ビジターセンターの訪問時間は多めにとっておきたい。品揃えのいいバーがあり、ショップでも面白い商品がたくさん用意されているからだ。ハードコアなファンなら、お気に入りのバレルを選んで自分のボトルに手詰めできるコーナーも要チェックである。
蒸溜所を去る前に、グレアムから将来の計画を聞き出そう。だがグレアムは笑いながら答えた。「訊いてくれてありがとう。でも秘密を教えたらマーケティングチームに怒られちゃうので、悪いけど今日ここで見たものから想像してほしい。今は4〜5年後のリリースに向けた準備を始めたところ。準備に何年もかかるから、先手先手で動く必要があるんだ」
南を目指して、最後の旅を進めよう。トマーティン蒸溜所までは公共交通機関で簡単に辿り着けたが、帰りは少々工夫が必要になる。基本的には蒸溜所からアヴィモアまで移動して、エディンバラ行きの急行列車に乗るのが近道だ。おすすめは蒸溜所のスタッフにタクシーを呼んでもらい、アヴィモアでたっぷりランチを食べてから電車に乗ること。エディンバラまでの旅は午後いっぱいかかるが、夜に市内の素晴らしいバーをはしごするだけの時間は残されているだろう。
北ハイランドを巡る1週間の旅は、オークニーに始まりトマーティンで終わった。通して読んでいただいた方にはおわかりいただけるように、時間が足りないからといってディープな蒸溜所体験を諦める必要はない。欲張って無理なスケジュールを組まなくとも、ある特定の地域に集中すれば、ウイスキーづくりを深く掘り下げて理解することはできるのだ。レンタカーなしの一人旅でもそれは可能である。運転しない代わりに、節度を保ちながら道中でたくさんのウイスキーも味見できる。
来年はまた別の地域を目指すとしよう。1週間という限られた時間を最大限に活用し、大好きなウイスキーの魅力をより深く理解したい。ウイスキーがつくられる土地の魅力と、ウイスキーづくりに携わる人々との出会いが、かけがえのない思い出を残してくれる。